第86話 サイ、因縁をつけられる

「まずは学校にヘクトゥースを供給している黒幕を突き止めること。あわせて校長のもくろみを確認すること。可能なら王立魔道士団や大魔道士アルトカルがこの件にどのくらい深く絡んでいるか調べること。そんな感じだよね」

「ええ、可能であれば、サンデッガにヘクトゥースを持ち込んでいるからくりについても解明したいですね。恐らくですが、タースベレデにヘクトゥースを不法に持ち込んでいる組織と同じ根っこだというのが殿下の見立てです」


 エンジュはそう結んでカップに残った黒豆茶を飲み干すと、顔をしかめ「美味しくないです」と一言で切って捨てる。


「自分でいれておいてそれはないんじゃ——」

「いえ、これは腕の問題ではなく、そもそも素材が駄目なんです」


 エンジュは微妙に悔しそうな表情でそう言い訳する。


「タースベレデには東のオラスピア王国から品質のいい黒豆が入ってきますが、ここの黒豆は全然ダメです。そもそも、食べ物に対する愛がありません」

「そんなものかな。でも、オラスピアだって、数年前まではドラク帝国という専制国家だったんだろ? 僕の中では独裁者の治める国はとにかく閉鎖的で食事もマズいっていうイメージなんだけど」

「いえいえ、クーデターで即位した若い女王がものすごくやり手なんですよ。王室自体がディレニアっていう大型の快速貿易帆船を持っていて、大陸外周の海をグルグル巡りながら、ものすごい勢いで他国との貿易を拡大させています」

タースベレデうちも女王国だし、これは強力ライバル誕生って感じかな」

「そうです。あの国は砂漠地帯の緑化でも着実に成果を出しつつあります。大麦の栽培が成功して、昨年からは他国からの輸入に頼る必要もなくなったそうですし、スリアン殿下も、もっと積極的にオラスピアとの関係を強化したいとお望みです。本来、こんな下らない戦争の影になんかに関わり合っている暇はないんです」

「なるほど。それで……」

「ええ、サンデッガが自国内の不満を外にぶつけるため、タースベレデうちに因縁を付けて戦争を吹っかけようとしているのはわかっています。でも、私たちがそれに正面から付き合う筋合いはないはずです」

「まあ、そうだね」

「そのためにも、サイには頑張ってもらわなくてはなりません。食事もマズいですし、こんな内偵さっさと終わらせて国に帰りたいです」


 言いたい放題で多少気分が晴れたのか、エンジュはうーんと大きく伸びをして立ち上がる。


「では私はそろそろ失礼します。ここ数日夜通し動き回ったせいで寝不足です」

「エンジュ」

「何ですか? 眠いんですけど」


 サイも立ち上がり、両手を揃えて深々と頭を下げた。


「迷惑をかけてごめん。それに、助けてくれて本当にありがとう。嬉しかった」


「任務なんですから……礼を言われる必要はないと言いましたよ。では……ああ、ところでサイ」


 エンジュはプイと顔をそむけると二人の部屋を隔てる扉に手を掛け、そこで思いついたように付け足した。


「この扉、勝手に開けたらサイの命はありませんからね。では」


 それだけぶっきらぼうに言い残すと、彼女はさっさと扉の向こうに消えた。

 最後に見た耳たぶが紅色に染まっていたのは多分、礼を言われて彼女らしくもなく照れていたのだろう。


「さて、と」


 一人残されたサイは、自分のカップに半分残って冷め切った黒豆茶を改めてすする。


「うーん、今の僕にはわかんないか」


 身体年齢を巻き戻され、味覚もお子様舌になってしまったサイにとって、コーヒーに似た味わいの黒豆茶はただただ苦いだけの飲み物だ。山羊の乳を大量に注いでどうにか胃に流し込むと、理彩の世界で慣れ親しんだコーヒーの味わいを懐かしく思い出す。


「コーヒーを飲みながら理彩と色々話すのは楽しかったな」


 理彩の自宅が破壊され、避難先のマンションでつかの間の同棲生活を送った短い月日。互いに異なる世界に育ちながら、理彩とは不思議に馬が合った。サーバーにコーヒーを大量に淹れ、それを深夜までがぶがぶ飲みながら、お互いの世界の暮らしや魔法のことについて話をするのも楽しかった。


「元気でやってるかな」


 見上げる夜空に輝く月は、理彩の世界のそれよりもずいぶんと小さかった。





 それから数日は平穏に過ぎた。

 教官から吹っかけられる無理難題はすっかりおさまり、表面上は何事もなく授業が進む。実技に関しても、頼めば常に完璧な試技を披露するので、次第にサイを頼りにする教官が増えてきた。

 だが、教官からサイへの圧力がなくなった分、同級生からのやっかみや差別はかえって激しさを増した。


「おい、ゼンプ! ゼンプ・ランスウッド!」


 その日の授業がすべて終わり、小柄な体には分厚すぎる教本を抱えて部屋に戻ろうとしていたサイは、突然男子生徒数人に取り囲まれた。


「何?」


 見覚えのない大柄な体格が四人。どうやら四人とも上級生のようだ。加えて、同じクラスで顔を見る生徒一人の合計五人。相手をするには少し面倒な人数だ。


「ちょっとそこまで付き合えよ」


 サイの正面に腕組みをして立ち塞がるのは、初日からサイを敵視する同級の代表生徒だ。

 サイは彼の名前を思い出そうとして、そもそも紹介も名乗りも受けてなかったことに気づいてあきらめた。


「ごめん。代表生徒君。僕は部屋に戻りたいんだけど」

「うるさい。お前に口答えする権利はないんだよ」


 言うなり教本をはたき落とされ、五人がかりでぐしゃぐしゃに踏みつけられた。ページがボロボロに破れ、引きちぎられ、とどめにバケツの泥水がかけられる。


「あー、何をするんだよ、代表生徒君」


 教本は学校からの貸与品だし、内容は特技の瞬間記憶能力ですでに全ページ暗記している。その上過去に一度学んだ内容なのでサイ自身は教本などなくてもまったく困らないのだが、一応棒読み気味に抗議する。


「代表生徒言うな! 俺にはシタン・ダフリカって名前がある!」

「……ああ」


 そこまで言われてサイはようやく思い出した。確か同級生がそんな名前で彼を呼んでいたような気がする。


「ざまあみろ。俺に逆らうとどういうことになるかわかっただろう?」

「ええと……」


 そこまで言いかけ、ふといたずら心が沸いたサイはニヤリと口角を持ち上げる。


「……ありがとう、助かったよ。これで重い教本を運ばなくて良くなった。実を言うと毎日持ち歩くのが地味に大変だったんだ」

「んだと! てめぇ!」


 サイの人を食ったセリフにシタンがいきり立つ。

 周りでは無関係な生徒達が哀れな犠牲者いけにえを見る目で取り囲んでいるが、サイを助けようと動く者は誰一人いない。

 そういえば、エンジュの姿もない。どうやらさっさと帰ったらしい。


「……仕方ないな」


 サイはため息をつくと、腕を組んでふんぞり返っている代表生徒シタンに声をかける。


「君の言うとおりだ。場所を変えよう」


 結局誰も止める者のないまま、サイは猫のように襟首をつまみ上げられて校舎裏の演習場に連れ込まれた。

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