第85話 スリアン王子の推測

「承知しました。私のような非才の身でお役に立てるのであればぜひお手伝いさせていただきます」

「おお、そうかね!」


 その途端、大魔道士の表情が目に見えて明るくなった。


「しかしながら大魔道士様。僕は今少しばかり困難を抱えています」

「何だね? 私で解決に協力できることであれば何でも手を貸そう」

「はい。実は学校での待遇のことなのです」


 サイは、この際なのでいろいろとぶっちゃけることにした。あれだけわかりやすく太い釘をさされた以上、校長がこれ以上サイに嫌がらせをしてくるとは思えないが、サイ自身、かなりうっぷんが溜まっていたので話し出すと止まらなかった。

 話を聞くうちにアルトカルは渋面を深くし、懲罰房の話になったときにはさすがに呆れたように首を振った。


「あいわかった。理事長として善処を約束しよう。他にはないかね」

「ございません。どうもありがとうございます」


 サイは内心で妙な違和感を感じながら、深く頭を下げてその場を辞した。

 以前のアルトカルはもっと傍若無人な性格で、自分の好き勝手に周りをこき使い、他人を気遣うような素振りを見せたことは一度もなかった。

 サイ自身も、散々振り回され、あらゆる物を奪われ、あげくに存在すら否定された。そんな悲惨な過去を忘れるつもりは毛頭ない。

 今回の妙に手厚い待遇も、アルトカルがサイの才能が自分の役に立つと考え、それを手に入れるための手段として考えているのは間違いない。だが、六年の間に、この男にも多少は変わった部分があるのかもしれない、と、少しだけ思った。


 サイが部屋を出ると同時に、廊下で冬眠明けの熊みたいに落ち着きなく歩き回っていたガマガエル校長はサイをひとにらみし、傲然と肩をいからせて扉の向こうへ消えた。その後しばらくは「しかし!」とか「ですから!」といった言い訳の切れ端が漏れ聞こえていたが、アルトカルの一喝が廊下にまで響いた途端、急に静かになった。


「ほら、こっちだ! ノロノロするな!」


 サイは上級生の罵倒を受けながら再び手かせをはめられる。そのまま懲罰房に向けて引きずられながら、心はすでに次の一手に飛んでいた。





 サイが懲罰房に戻されて一時間もしないうちに状況は大きく変わった。

 ついさっきまでさんざんサイをあざけり笑っていた見張りの上級生がまるで手のひらを返したように腰の低いへり下った態度で現れ、卑屈な薄笑いを浮かべながらサイを寮の最上階に案内した。昔から寮の最上階は最上級生専用みたいな習わしがあるので、中途入学の異民族に与えるにしては破格の待遇だ。

 部屋は二間続きのかなり広い間取りだった。中間にある壁の扉を施錠すればそれぞれが個室としても使えるよう、ベッドは各部屋に用意され、廊下に通じる扉も両方の部屋についている。貴賓室のように個別の水回りまでは完備されていないが、サイが六年前に使っていた部屋よりもかなり格上だ。

 と、中扉が向こう側から小さくノックされ、エンジュがひょいと顔をのぞかせた。


「ああ、なるほど、こういう造りになっているのですね。道理で」


 ひとり納得して小さく頷いている。どうやらエンジュも隣に部屋を与えられたらしい。


「エンジュ、ありがとう」

「何が、でしょう? 私は別に何も——」


 相変わらずの仏頂面で小さく首をかしげるエンジュ。


「僕が早く解放されるよう色々動いてくれたよね。アルトカルに話を通したのもエンジュ?」

「あ、ああ。昨日たまたまタースベレデに古くから縁のあるサンデッガ貴族の方にお目にかかることができましたので、時候のあいさつ代わりに軽く現状のご報告をしたまでです」


 サイは目を丸くして内心息を飲んだ。

 エンジュはさらっと簡単に言っているが、つまりこれはサンデッガの有力者が密かにタースベレデに通じていて、ある程度サンデッガの内政に影響力を及ぼすことができるということだ。


「凄いな」

「いえ、凄いのは私ではなく、こちらの方々とも深い親交をお持ちのスリアン殿下ですので」


 ああ、なるほど、とサイは納得した。

 いつもふざけた態度で飄々としているように見えて、あの王子はかなりの戦略家だ。サンデッガ貴族に深いつながりを作っているのも、今のこの状況をずいぶん前から読んでいたということなのだろう。


「さすがは殿下スリアン、年齢に似合わない老獪ろうかいな人ですね」

「まあ、歳に似合わずという意味では私の目の前にも似たような人間がもう一人おりますが……」


 エンジュは小さくため息混じりにぼそりとつぶやくと、懐から折りたたまれた皮紙を取り出してサイに差し出した。


「殿下からです。先日の報告への返信と、その後の指示が」

「はい」


 皮紙を受け取って丁寧に広げてみる。

 中には、懲罰房で断食を強いられたサイの体調を気遣う文面と共に、ヘクトゥースの流れについてスリアンの推測が書かれていた。


「エンジュも内容は?」

「はい、承知しています。というか、セラヤの口述を私が書き写しましたからね」

「ああ、そうか」


 瓜二つの双子であるシリスとセラヤは、精神感応という高性能通信機顔負けの能力を持つ。二人の間にどれほど距離があっても時間差なしで情報を共有できる諜報活動にはもってこいのスキルだが、かつて魔女が誇っていた大陸屈指の強大な魔力と共に、双子もまたスリアンの広くて深い戦略眼を支えているのは間違いない。


「で、今後の動きですが」

「ちょ、ちょっと待って。もう一度ちゃんと読むから」


 急かすエンジュを押しとどめ、サイは印刷のように整った文字を一字一字じっくりと読む。ぶっきらぼうな態度とは裏腹に、エンジュの文字は全体に丸みを帯び、しかも細かい部分まで丁寧に書かれていて読みやすい。


「ええと」


 スリアンの推測では、学校に流れ込んでいるヘクトゥースは貴族学生達に快楽を提供すると同時に、入学基準に能力ではなく身分を優先したためこの六年で落ちこんでしまった学生の魔力レベルを無理やりかさ上げし、卒業生の質を取りつくろうのが表向きの目的だろう、とされている。

 

「うーん、この時点ですでに絶対表沙汰おもてざたにできないと思うけど……」


 魔道士学校にヘクトゥースを持ち込んだ目的がただそれだけなら、あのガマガエル校長がみずからの保身のため、卒業生の魔力を偽っているということになる。

 だが、スリアンは、魔道士となったヘクトゥース中毒の卒業生達をクスリで縛り、入手の便宜を図ることで絶対に逆らえないように支配したあげく、命令絶対服従の魔道兵を作り出そうとしているのではないかとまで推測している。


「だとすると、アルトカルがそのことを知らないわけはないんだよな」


 サイは、六年ぶりに顔を合わせたアルトカルが以前より丸くなっているように感じていた。だが、スリアンの読みが正しいのだとすれば、それはあくまで見せかけで、邪悪さに関してはむしろ昔より磨きがかかっているのだ。

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