第83話 サイ、理事長に呼び出される

「で、あなたは入学早々一体何をやらかしたんです?」


 その日の深夜。

 懲罰房の鉄格子窓からぼんやりと月を見上げていたサイは、通りに面した窓の外からささやき声で呼びかけられる。エンジュだ。


「いや、別に何もしてないんだよ。言われた通り課題をこなしたら、偉そうにふんぞり返っている生徒から良くわからないいちゃもんつけられて、あげくの果てにここに放り込まれた」

「はあ……大方、そういうことだと思ってました」


 ため息交じりの返事が返る。


「で、どうされますか? 脱出するのは簡単ですが、そうなると今度は——」

「脱走犯呼ばわりされるよね。いいよ、しばらくここでおとなしくしてるさ」

「わかりました。不便はないですか?」

「特には……まあお腹がすいたくらいかなあ。懲罰だって言って、食事も抜きなんだよ」


 言い終わらないうちに小さな包みが鉄格子の隙間から放り込まれた。

 開いてみると、中に入っていたのは数枚の干し肉と、水の入った革袋。加えて砂糖を固めた金平糖のようなお菓子。


「しばらくはそれでしのいで下さい。私もなるべく早くサイを解放できるように動きます」

「うん。ありがとう。それから、ヘクトゥースの件。学校に出入りしている商人が計画的に持ち込んでいる可能性がありそうなんだ」

「……どうしてそう言い切れますか?」

「うん、今日思ったんだけど、生徒の水準が明らかに昔より下がっている。多分、学校の目的が魔法適性のある生徒の養成ではなく、魔力もろくにない貴族の子弟の箔付けに変わっているからだ。多分あのガマガエル校長の方針なんだろうけど……」

「プッ。ガマガエル」


 それきり声は返って来なかった。空気がかすかに揺れている気配があるからまだ立ち去ってはいないはず。というか、思った以上にツボにはまったらしい。

 仕方ないのでサイはもらった干し肉を噛みながらエンジュが落ち着くのを待つ。


「……失礼。で、それとヘクトゥースがどう関係を?」

「うん。能力のない生徒を無理やり魔道士に仕立てるために荒っぽいやり方を取っているんじゃないかと思うんだ」

「でも、それでは……」


 指摘されるまでもなく、それはサイも気にしていた。

 ヘクトゥースの長期間摂取は使用者の精神をじわじわと破壊する。

 それがもし戦士なら狂戦士バーサーカーまっしぐらだし、魔道士なら魔力総量だけは大きいが制御のまったく効かない不発弾みたいな存在になる。いずれにしても、最後には個人の意思は消えてなくなり、ただ命じられるままに力を爆発させるだけの危険な存在に成り下がる。


「……胸っくそ悪いですね」

「怒るのはわかるけど、お願いだからエンジュまで爆発しないでね。それと、この件は殿下にも」

「わかりました。セラヤからシリスに伝えてもらいます。殿下もシリスをそばに付けているそうですから、すぐに連絡がつきますよ。ついでに何か向こうでもわかったことがないか聞いてみます。」

「わかった、あと——」


 その時、懲罰房の前の廊下に足音が響いた。サイは話を打ち切ると、食料の包みを素早く寝台代わりの藁の山に突っ込み、その上に覆い被さって狸寝入りをした。


「おい、逃げ出そうなんて余計なことは考えるなよ、きたねえ山岳民野郎がよ」


 姿を見せたのは校長から見張りを命じられた上級生だった。体格が良く、物怖じしないところを見ると、こういう荒事に重宝されているらしい。

 サイはエンジュとの会話を聞かれたかとヒヤヒヤしたが、定時の見回りをしているだけらしく、サイが寝ているのを見て小さく舌打ちをすると、そのまま立ち去った。





 翌々日。サイは早朝から叩き起こされた。


「理事長閣下がお前に会いたいと仰せだ」


 わざわざ懲罰房まで様子を見に来たガマガエル校長が言うと、連日サイにあざけりの言葉を投げかけてくる見張りの上級生が房の鍵をあけ、まだ半分寝ぼけまなこのサイを廊下に引っ張り出した。


「ふむ。少々匂うな」


 ガマガエルが鼻をヒクヒクさせて顔をしかめる。当たり前だ。じっとりとかび臭い藁の寝床に寝かされ、何日間も水浴びすらさせてもらえなかったのだから。


「これでは失礼に当たるな。君、こいつをすぐに大浴場に連れて行きたまえ」

「しかし……」

「校長の私が言うんだ。異議は認めないよ」


 校長の言葉に上級生は明らかに不満そうに頷くと、サイに手かせをはめてぐいぐいと乱暴に引っ張り始める。


「ああ、それが済んだらすぐ校長室に連れてくるように。理事長閣下が間もなくお越しになる。いいね」

「……はあ?」


 見下していた山岳民がいきなり理事長の注目を浴びたのが気に入らない様子で、上級生は明らかに気の乗らない返事をしてサイを力任せに引っ張った。

 大人並みに大柄な男子学生から力任せに引きずられて、見た目十才のサイがかなうはずもない。あっという間に顔面を壁に叩きつけられ、額が割れて鮮血がしたたった。


「ぐうっ!」

「馬鹿者! 理事長閣下がお会いになると言っただろうが!!」


 だが、上級生はガマガエル校長の叱責にもひるむことなく、ニヤリと笑ってサイの体を吊り上げた。

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