第78話 サイ、密輸犯と対峙する
「で、シリス?」
サイは背後で淡々と馬車に荷物を積み込んでいたメイドに声をかける。
「残念でした。ハズレです。セラヤです」
なぜか少しだけ得意そうなセラヤに、サイはうんざりしたような表情を向ける。
「……セラヤ」
「はい、何でしょうかご主人様」
セラヤは作業を止めて振り返ると、アルカイックな笑みを浮かべて完璧なお辞儀を返す。見ればメイド服ではなく、すねの半ばまでを覆う黒い皮の編み上げ靴をはき、ポケットの多い黒一色の戦闘服を着用している。
「うー〝ご主人様〟は止めようよ。サイって呼んでくれていいから」
相変わらず
「はい、旦那様」
それでも、セラヤの鉄壁の微笑は揺るがない。
「わざと言ってるだろ……まあいいや。それより君は一体何を? それにその服どうしたの?」
「はい、殿下とサイ様がお出かけのようですので、その付き添いを、と思いまして」
答えながら当たり前のように御者席に上がろうとするセラヤ。
「いや、これはスリアンの趣味みたいなものだからわざわざ付き合わなくても——」
「そうは参りません。サイ様に万一のことがあれば私たちが女王陛下から
それを聞き、サイは背後で口を押さえて忍び笑いをこらえているスリアンを
「スリアン、陛下ってそんなことする人なの?」
「いや、しないと思うよ。でも、こんな夜中に騎士団の人間をたたき起こすわけにはいかないだろ」
「……その人道的配慮、ぜひとも僕らに向けて欲しかったです」
サイの抗議にスリアンはとうとう笑い声を上げる。
「言ったろ? これはボクのわがままなんだ。以前は魔女との
笑いをおさめると、スリアンはすっと遠い目をする。
以前、女王が魔女のことを話題に上げた時に彼女も同じような目つきをしていたのを思いだし、サイはこの際思いきって聞いてみることにした。
「それはどうも。ところであの、もし良かったら、その〝雷の魔女〟のこと、もっと詳しく教えてくれませんか?」
「気になる?」
「ええ、というか、スリアンの破天荒な行動原理の何割かは確実に魔女の影響を受けてるみたいですし」
一瞬意表を突かれた顔をしたスリアンは、少し考えて頷いた。
「うーん、ま、そうかもね」
「それに僕自身、至る所にその名前が出てくるのに、本人のことを何も知らないというのは何だか落ち着かなくて、ですね」
「まあ、確かにエンジュなんかには露骨に比べられているしね」
いたずらっぽい表情でいじられて凹むサイ。それを何だか嬉しそうな表情で見やるスリアンとセラヤ。
「どうせ僕は頼りないですよっ」
サイは半分本気でぼやきつつ、魔女のことを話すスリアンの憧憬のまなざしから、実は、スリアンは雷の魔女のことを好きだったのではないかとチラリと思う。
「……その話はまたいつかね。それよりもそろそろ出発しようか。詳しいことは道々打ち合わせよう」
雑談はここまで、と、表情を引き締めたスリアンはサイを抱え上げるように車上の人となった。
細い月が沈み、あたりは完全に真っ暗になった。
主が病死し、数年前から半ば打ち捨てられたままの郊外の別荘。長く手入れする者もなく、荒れ放題の庭の片隅に、なぜか数台の箱馬車がひっそりと隠されるように停まっていた。
だが、屋敷の窓に人影はなく、ただ地下倉庫に通じる通用口の扉の隙間から黄色い光が細く漏れ出しているばかり。
そのささくれた木扉を、若い男が符丁めいた拍子で叩く。
「誰だ?」
すぐに扉の内側から誰何がかかる。
「月のない暗闇よりなお暗き深淵より汝を見透かす、いと強き四対のまなざしがあり……」
しばらくの沈黙。かんぬきを外すゴトゴトという音が響き、朽ちかけた木扉は嫌なきしみ音を立てながら開いた。
現れたのは、扉の先の通路をみっちり塞いで立ちはだかる大男。
大男は血走ったぎょろ目をぐるりと回し、低い声でさらに尋ねる。
「その符丁、どこで聞いてきた?」
「シカモア様のご紹介で」
若い男は大男の鋭い視線を涼しげに受け止め、静かな口調で短く答えた。
「……入れ」
大男が体をねじり、通路に人がようやく一人入れるほどの狭い隙間を作る。隙間から黄色い光がさらに漏れ出し、光と共に、複数の男達の笑い声と、なんとも言いがたい甘ったるい匂いが立ち上ってきた。
若い男は一瞬だけ顔をしかめ、またすぐ元の涼しげな表情に戻ると、大男の作った隙間に歩み寄り、直前で素早く体をひねると抜く手も見せずに大男の胸板に短剣を突き立てた。
「サイ!」
次の瞬間、突き立てられた短剣の柄に青白い稲妻が細く巻き付く。稲妻はチリチリと音を立てながら見る間に刀身を伝い、大男の体内に入り込んで一瞬でその心臓を停止させた。
「おっと」
若い男は白目をむいて倒れ込んでくる大男の体を意外な怪力で受け止めると、そのままポイと扉の外に放り出す。
「行こう!」
新たに現れた小柄な人影が二つ。
人影は若い男の号令にあわせ、まるで飛び込むように通路を駆け下った。
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