第70話 エンジュの八つ当たり

 あの日、礼拝堂の隠し部屋で目覚めたサイに、自称女神は「タースベレデに行くべきだ」と告げた。

 「恨みをはらさないか?」など物騒なことを問われた直後だったのでかなり身構えたが、女神は現状サンデッガで唯一タースベレデへの渡航窓口があるのが港町ゼーゲルであること、タースベレデは国策として魔道士をかなり優遇してくれることなど、いくつかのこまごまとした事柄を教えてくれた。

 ずいぶん親切だと思ったのもつかの間、それではゼーゲルまでの乗合馬車の運賃は自分で稼いで下さいとケチくさいことを言われ、仕方がないので近くの村の雑貨商兼酒場兼宿屋でしばらく小間使いをして路銀を稼ぐ羽目になった。

 そんなこんなで、結局サイがゼーゲルにたどり着いた時は礼拝堂で目覚めてからすでに二ヶ月ほどが過ぎていた。

 その間、この六年間のことについて、サイは事情に通じていそうな商人に出会うたびに色々聞き込んだ。雷の魔女がサンデッガの王都にある大魔道士アルトカルの邸宅に鉄杭を打ち込んだことが一時期噂になったり、天候改変術式が実用化されていないことは判ったが、サイ自身の指名手配がなぜかいまだに撤回されていないというのは不思議だった。


(礼拝堂には僕の墓もあるのに、どうしてだろう?)


 サイが居候している村には魔道士団の分駐所がなかったので、不思議に思ったサイは、一日休みをもらい、わざわざとなりの街まで掲示されている手配書を見に行った。

 手配書はすでに茶色く変色し、インクも所々薄くかすれて読みづらくなっていたが、間違いなくサイの手配書だ。

 だが、当初の手配条件だった〝身柄の拘束求む・生死を問わず〟というのが二重線で消され、新しい筆跡で〝目撃者に金一封進呈〟になっているのが不思議と言えば不思議だった。


(天候改変術式の再現がうまく行かずに、藁にでもすがる思いなんだろうなあ)


 そう思いながら分駐所を後にした。

 念のため顔を汚して行ったのだが、人相はともかく見た目の年齢がかなり幼くなっているためか、数名の魔道士を目の前にしても特に見とがめられることはなかった。


「……となると、今さら無理して国外に逃げる必要もなかったんだよなぁ」


 タースベレデとサンデッガは戦争直前のピリピリした関係なので、サイがタースベレデに移れば、いずれはサンデッガと対立する可能性もあり得る。

 女神が冗談めかして言うように〝恨みをはらす〟ためには好都合だろうが、仮想敵国への渡航は指名手配のあるなしにかかわらずかなりの危険をはらむ。実際、ゼーゲル脱出は相当にきわどかった。


「いや、待てよ。よく考えたらきわどかったのは僕じゃなくて、ゴールドさんの方じゃないか」


 一応身分を隠しているが、あの貴人オーラを目の前にすれば彼がどこかの国の王族なのはサイにさえ察しがつく。となれば、カダムやエンジュの苦労は並大抵じゃないのだろうな、と人ごとのように思った所で当のエンジュにキッと睨まれた。


「何をブツブツ言っているのですか? 気持ち悪い」

「まあまあ、エンジュ。サイにとっては初めての異国だ。そりゃ緊張もするさ」


 カダムのそんな取りなしにもエンジュは聞く耳を持たない。


「フン。だったらのこのこついて来なければ良かったんです!」


 彼女はそう捨て台詞を残して立ち上がると、勢いよく船室を飛び出していった。二人のやりとりを見ていたカダムは肩をすくめて苦笑いをすると、慰めるようにサイの肩をポンポンと叩く。


「サイ、気を悪くするなよ。エンジュは雷の魔女をまるで神様みたいに崇拝してたからな。お前がトモコの後釜におさまるんじゃないかと気が気じゃないんだ」

「へえ それはどういう?」

「ああ、あいつが任官してすぐの頃、あいつはドラクとの国境にあるオラテ湖での潜入作戦で危うく死にかけたんだよ。それを魔女に救われた。言わば命の恩人ってやつだな。その上、エンジュあいつは魔女の境遇にかなり入れ込んでたからな」

「境遇?」


 カダムは「ああ」と頷く。


「詳しくは知らないが、魔女は何者かにヘクトゥースってヤバい薬を盛られて最愛の男を殺しかけたらしいぞ。まあ、最後には無事に巡り会えたみたいだし、男と一緒に故郷に帰るって時にはエンジュも笑って見送ったんだけどな」

「はあ」

「要するに、元々親しい友人と別れて苛ついているところにサイが頼りない姿を見せたから八つ当たりしてるんだよ。察してやんな」

「……それは、まあ」


 サイは不承不承頷きつつも、どうにもならない理由で一方的に嫌われるのはいやだなあと顔をしかめた。


 ガタン!!


 その時、船室の扉が勢いよく開き、王子がモヤモヤした空気を吹き飛ばすように弾んだ声で入ってきた。


「みんな、ハブストルが見えてきたぞ!」





「どうだ! 驚いたか!」


 港に迎えに来ていた馬車におさまり、街をしばらく走った後、向かいに座った王子が窓を示して得意そうに胸を張った。場所はたった今ハブストルの都市城壁を越えたばかり。

 サイは、進行方向に見える、どこまでも黒々と伸びる幅の広い街道に目を丸くしていた。


「……これって、アスファルトですよね?」


「あすふぁると? ああ、トモコも似たようなことを言ってたな。これは砂漠地帯で採れる瀝青という硬い油と砂利をよく練り混ぜて、砕石と石灰と水ををまいて突き固めた地面の上に広げて圧路機ローラーで延ばしたものだ」


 サイの視界では、自動車なら二台並んで走れる、いわゆる片側一車線ほどの幅のアスファルト道路が荒地の中を地平線までずっと続いていた。


「これって、どこまで続いているんですか?」

「この道は一旦オルタナまでだね。そこであちこちに枝分かれして、そのうちの一本はまっすぐ王都まで続いている」

「まさか、この世界で舗装道路に出会えるとは思ってみませんでした」

「ああ、大陸でもここまで道路網が発達しているのはタースベレデうちだけだろうな。こいつのおかげで、雷の魔女は国土の端から端までわずか二日で移動できたんだぞ。結果、国が救われたことも一度や二度じゃない」


 サイは大きく頷いた。

 ゼーゲルまでの路銀稼ぎをしていた時に聞いた吟遊詩人の歌で、雷の魔女が国の東西で同時に発生した異民族の騒乱をわずか二日で治めたというくだりがある。また、魔道士学校時代の同級生が、鉄馬にまたがり砂漠を飛ぶような速度で駆ける魔女の噂話をしているのを聞いたこともある。

 その時は、どちらもえらく大げさに盛ったホラ話だと思った。だがこの光景を見ると、なるほどあの話は真実だったのかも知れないと考えざるを得なかった。


 それから五日目の夕刻。途中オルタナの街を経由して、一行はタースベレデ王都に到着した。

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