第67.5話 よみがえる屈辱

「何! それは間違いのない話なのか!?」


 その報告を聞いた途端、サンデッガ魔法庁長官アルトカルは椅子から上半身を跳ね起こし、狼狽気味に尋ねた。

 アルトカルはサンデッガただ一人の大魔道士であり、また王立魔道士団相談役、魔道士学校理事長をも兼任、サンデッガで最高の権力を誇る魔道士だ。サンデッガ国内のみならず、この大陸で一、二を争う高位の能力者とも言われている。

 そのアルトカルが顔色を変えている。

 つい先年戦闘魔道士に選出され、先日までゼーゲルの分駐隊に所属していた若い魔道士は、その様子を見て、自分は何かとんでもなく間違ったことを口走ったのではないかと思って顔色を青くした。


「貴様の話によると、賊は残置式の多重魔方陣を数百個も同時発動したことになる! そもそもそんなことができる魔道士など、この世に存在する訳がないだろう! もう一度聞くが本当に何かの間違いではないのか!?」


 若き魔道士はさらに縮こまる。彼にとって雲の上の存在である魔法庁長官に鋭く詰問され、額にだらだらと脂汗が流れるのを止めることができない。


「は、申し訳ございません。私はただ兵士たちの聞き取りと現場検証の結果をご報告申し上げただけで……」

「で、貴様はその多重魔方陣とやらをその目で見たのか?」

「はっ。そのほとんどは用を終えて消失した後だったのですが、幸い、いくつかの電撃地雷術式が反応しないまま現場の端の方に残されておりました。もちろん肉眼ではまったく見えず、また魔法解析にも反応しないよう巧妙に隠蔽されておりましたが、陣に豚を投げ入れて故意に発動させたところ、一瞬だけ魔法陣を可視化させることができまして——」

「術式構成は? 起句は? 宣言名は? アフロルモシアか、それとも——」

「いえ、それが……多重魔方陣であることだけがかろうじて確認されたのみで……」


 若い魔道士の声はもはや消え入りそうに弱々しい。アルトカルはため息をつく。


「……で、報告はそれだけか?」

「いえ、同じ魔道士と思われる人物がその日の晩、近くの漁村に再び現れまして、同僚三名が応戦したのですが、一撃で魔法結晶を焼き切られ、そのあおりで今だに意識不明です」

「なんと……」


 アルトカルはがっくりと背もたれに倒れ込んだ。

 サンデッガの戦闘魔道士は近年、国内外の戦闘で常勝無敗を誇っている。

 優秀な魔法傭兵として各地の紛争地にも派遣されており、やがて起きるであろう対タースベレデ戦役においても強力な戦力として活躍することを期待されている。それが、一対一ならまだしも複数人が、しかも一瞬で戦闘不能に追い込まれるなどあり得ない。いや、あってはならないのだ。

 だが、アルトカルには脳裏に一つだけ心当たりがあった。


「で、その魔道士の姿かたちはわかるか?」

「いえ、詳しくは……。大変小柄な……恐らく子供ではなかろうかと」

「バカな!! 貴様達は子供に敗れたと言うのか!!」


 度重なる叱責に、若い魔道士はぶるぶる震えるとがくりと膝をついた。真っ青な顔でゼイゼイと呼吸を荒らげ、もはや失神寸前のありさまだ。

 それにようやく気づいたアルトカルは部屋の隅に控える護衛にあごをしゃくる。


「もうよい! 下がれ!」


 そう言って、護衛に引きずらせるように彼を室外に退去させた。





 報告者の去った執務室で、アルトカルは思わず頭を抱える。

 彼の心当たりとは、六年ほど前、アルトカル自身が関わってその地位を剥奪し、最終的に死に追いやったある魔道士候補の少年のことだ。

 本当であれば殺すまでするつもりはなかった。彼の婚約者を奪い、将来を奪い、二度と立ち上がれぬよう心をへし折って自分に従順な道具にするつもりだった。

 そうでもしなければ、あの才気にあふれた少年はいずれアルトカルを魔法力で越え、彼の野望の最大の障害になったであろう。それはアルトカルにとって見過ごすことのできない屈辱だった。


「奴は六年前のあの時、すでに多重魔方陣を無詠唱で発動させるだけの実力があったな。さらに複数発動や残置式の術式構成を使いこなせたのかどうかはわからないが……」


 だが、少年は内務卿の下らないちょっかいで毒を飲む羽目になり、故郷の村で死んだと聞いている。

 アルトカルみずから人をやって少年の墓があることも確かに確認している。


「だとしたら、雷の魔女か……いや、まさか」


 アルトカルの脳裏に六年前のもう一つの屈辱がよみがえる。

 圧倒的な魔法力の違いを見せつけられ、タースベレデへの侵攻を思いとどまるよう、文字通り太い釘を打たれた。

 魔女が天から降らせた鉄杭は、当時のアルトカルの邸宅の庭に今も突き立っている。掘り起こそうともしたが、あまりに深く突き刺さっているためうまくいかず、結局邸宅の方を手放す羽目になった。

 だが、あの日その場に居合わせ、共に屈辱を味わったサンデッガ王とアルトカルは同じ思いを共有することになった。国を富ませ、強くし、いつの日か雪辱を果たさんと。


「しかし……」


 今、このタイミングでサンデッガ王がタースベレデ侵攻を意図したのは、タースベレデの守りの要であった雷の魔女がタースベレデを離れ、いずこかに消えたという確かな情報があったからだ。

 最大の障害が取り除かれ、さあこれからという時に、アルトカルにとってもう一つの屈辱である多重魔方陣の使い手が再び現れるとは。


「これも、この世界を造りし女神のいたずらということか……」


 アルトカルは立ち上がると、背後の書棚から琥珀色の液体が入った瓶とグラスを取り出した。酒精アルコールの力に頼らなくてはとても正気ではいられなかった。

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