第68話 僕には僕がわからない
陸地でのゴタゴタに比べ、海に漕ぎだしてからは極めて順調だった。
陸地から見えない水平線の向こうにはタースベレデの快速船が待機しており、サイの魔法誘導によって、月の細い暗い夜にもかかわらず迷うことなくあっさり合流することができた。
「いやあ、魔道士が仲間にいるとやっぱり便利だよね。魔女がいなくなってからはいちいち
船室に落ち着いて湯気の立つ黒豆茶のカップで両手を温めながら、王子は緩んだ表情でぼそりとそんなことを言う。と、すぐにエンジュがまなじりを吊り上げる。
「殿下、何度も言いますが、トモコは〝便利な道具〟なんかじゃありません!」
「ああ、ごめんごめん、そういうつもりじゃなかったんだけど、つくづくボクらは彼女に甘えてたんだなあって思ってさ」
そんな、これまで何度も繰り返されたであろう日常的な会話を目にして、サイは驚きが隠せなかった。サイを除く三人共特段何の疑問も持っていないところを見ると、これ自体は特に珍しいやりとりでもないのだろう。だが。
「うん? どうしたんだいサイくん」
「いえ、今、トモコって……」
途端にエンジュがしまったといった表情で口を押さえた。
「あ、これは他言無用だよ。君を信じて話すけど、それが雷の魔女の
「じゃなくて、その名前は……」
そのまま言いよどんだサイを見て、王子はやっぱりねと納得した表情になった。
「ノガミ・トモコ……そしてヒエダ・サイ……思った通りだ。やっぱり君もそうなのかい?」
「いえ、僕は……」
元々はこちらの世界の人間でありながら、同時に向こうの名前を持つことをどう説明したらいいんだろう。そう頭をひねるサイに、王子は当たり前のように言った。
「だとすると、君が並外れた使い手であることにも簡単に説明がつく。なんせ魔法構造を生み出したのは、いや、いずれ生み出すことになるのは、恐らく君たちの世界なんだからね」
「え?」
小さく咳払いをした後、王子はサイに自分のすぐ隣に座るように長椅子の背もたれを叩いて促す。
同時に王子の目配せで二人の護衛も扉の外に退き、今この船室に残っているのは王子を別にすれば自分一人だけだ。
「いえ、しかし……」
「なんだ、ボクのとなりじゃ不満? だったら膝の上にでも座るかい? ほれほれ」
ニヤニヤと笑いながら、王子は自分の腿をポンポンと叩く。
「なっ!」
「冗談だよ。少しばかり内緒話をしたいんだ。他の人間に聞かれるわけにいかないからできるだけそばに寄ってくれ」
貴人にそこまで言われて拒むことはサイにはできない。おずおずと王子の隣に腰掛ける。
「では、まずは少しだけ、タースベレデの古い家に伝わる昔話をしよう。きっと君もいくつか思い当たる節があるはずだ」
王子は声を落としてゆっくりと話し始める。
「はるかな古代、暗黒の時代。この大陸は一面の砂漠が広がる不毛の地だった。暗闇に覆われ、恐るべき魔獣が
そして、夜明けの時代が訪れる。神はみずからのしもべたる神獣を封印し、金、銀、銅、さび鉄の髪色を持つ人間達を豊かに緑なす大陸に
「……それって」
「そう、彼らこそ神の末裔。現在ヤーオと呼ばれ虐げられる山の民。君たち魔道士の祖先にあたるとされているね」
王子はそこまで話すと、手の中で温めていた黒豆茶を一口飲んで、ふーっと息を吐いた。
昔話の割には、心当たりが多すぎた。
人工の天の星というのは恐らく人工衛星、
だが、王子の推測には大きな誤りが一つある。
理彩の世界にも魔法はなかった。魔法の概念とそのための仕組み、魔法結晶をあの世界に持ち込んだのは、むしろ、サイの方だ。
その上、時系列が決定的に破綻している。
理彩の世界が魔法をこの世界に伝えたのなら、それは王子の昔話にある通り、はるか古代のことだっただろう。一方、理彩がMAGICを完成させるのは、順調にいっても十数年後。未来が過去に干渉することは、いかな神でも不可能のはずだ。
「……」
サイは王子の顔をじっと見つめながら口をつぐんでしばらく悩んだ。彼をさんざんに翻弄し続ける女神の話など誰が信じるだろう。
ぐるぐると悩んだ末、サイは女神の話だけは省き、それ以外はできるだけ真実を話すことにした。
「……僕は孤児です。両親ともに不明で、ヤーオ族かどうか、よくわかりません。拾われた時に握っていた小枝からサイプレス、僕を育ててくれた司祭の名字をいただいてゴールドクエスト。サイプレス・ゴールドクエストというのが僕の本当の名前です」
「では、ヒエダ・サイと言う名前は?」
「六年前、僕はサンデッガ魔道士学校の学生でした。卒業間際に大魔道士アルトカルに命じられて彼の研究を手伝いました。その後暗殺者に狙われ、毒を飲んで死んで、別の世界で生き返りました。ヒエダ・サイというのはその世界でつけてもらった名前です」
「ふむ」
「で、殿下が言われるような心当たりは確かにその世界にはあるんですが……」
そこまで話したところで急に涙がこみ上げ、それ以上言葉が出なくなった。
なぜか急に理彩の面影が頭の中を一杯にして、もう二度と彼女に会えないことが、とてつもなく悲しくなった。彼女は元気だろうか? 一人になって泣いてはいないだろうか?
「……あちらの世界でも、やっぱり僕は死んだんだと思います。気がつくと僕はもう一度この世界で目が覚めました。いつの間にか六年が経っていて、そのくせ僕自身は六年も若返っていて、つまり、あの……」
言えば言うほど荒唐無稽な話になった。こんな狂人のたわごとめいた話、一体誰が信じると言うだろう。
涙がポロリとこぼれ、途端に王子が慌てた顔をする。サイはゴシゴシと目をこすり、涙を強引に拭き取って続けた。
「いずれにしても、僕は……僕が一体何者なのか、僕自身にもわからないんです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます