第67話 サンデッガからの脱出〜2〜

 日が暮れて、やがて細い月が出た。

 窓のない網小屋の中は、粗末な板壁の隙間から月光がわずかに差し込むのみで薄暗い。そんな中、四人は息を潜め、あたりから人影が消えるのを辛抱強く待っていた。


「もうそろそろですかね?」


 やがて、カダムがしびれを切らしたようにつぶやいた。


「ひなびた漁村だと思ってたけど、ゼーゲルの街がそれほど遠くないし、街道にも近いからなかなか人通りが絶えないな」


 ずっと腕を組んで静かに目をつぶったままだった王子も、言葉の調子には少々待ちくたびれた色が見える。


「ゼーゲルの門が閉じれば人通りも絶えると思います。もう間もなくですよ」


 エンジュが二人を機嫌を取りなすように言う。

 その言葉通り、程なくして人通りはぱったりと途絶えた。後には息が詰まるような沈黙だけがあたりに満ちている。


「よし、そろそろ——」

「待って下さい!」


 すいと立ち上がり、ガタガタと立て付けの悪い扉をあけようとしたカダムに、サイは鋭く声をかけた。


「何だかおかしくないですか?」

「え? ゼーゲルの門が閉まったんだろ?」

「じゃなくて、ですね、旅人や商人の装いならともかく、地元の人間までぱったりと一斉に姿を消すのが何だか不自然……」


 そこまで言いかけてサイはハッとした。気がつけばジージーと低く鳴いていた虫の音さえも絶えている。ただ人通りが無くなっただけでそんなことが起こるだろうか。

 恐らく、誰かが、それも少なくない人数が周りに潜んでいる。


「王子! 皆さん! すぐこの場から離れて!!」


 次の瞬間、四人の潜む網小屋の板葺屋根が爆音と共に炎に包まれた。


「何なんだ、一体!!」

「爆裂術式です。魔道士が混じってます!!」


 サイは唇を強くかんだ。追っ手をまいてそれだけで安心しきって、別働隊の可能性を真剣に検討しなかったことに今さら気づいたのだ。


「殿下! 脱出します!」


 叫ぶやいなやエンジュが剣を抜いて扉を蹴破った。板戸には何本もの火矢が突き立ち、すでに炎を上げ始めていた。


(くそっ! 僕は一体何度同じ失敗を繰り返すのか!)


 突風を起こして迫り来る炎と煙から一行を守って走りながら、サイは猛烈に後悔する。


「ゴホッ、魔道士がいるということは、ゴホッ、こちらの素性もばれているということなのかな。だれかの密告か……」


 煙にむせながらすぐ前を走る王子が独り言のように言う。


「いえ、多分ですけど、ゼーゲルの港から脱出するときに撃退した兵士がゼーゲル魔道士団分駐隊に駆け込んだんだと思います。一般兵で収拾がつかない相手には魔道士団の戦闘魔道士が対応するのが一般的な流れルーチンなんで」

「……詳しいね」

「ええ、前にあそこで下働きしてたことが——」

「その年齢で、ですか?」


 先頭を走るエンジュが振り返ってサイに疑わしげな目を向ける。が、今はそれに構ってはいられない。分駐隊の魔道士ならそこまで高レベルの者はいないはず。人数には手数で対応しよう、と方針を決め、大きく息を吸って目をつぶる。

 脳裏の地図に敵魔道士を含めた兵の位置をプロットするように術式を組む。人数は二十三、うち魔道士は三人だけだ。配置はオーソドックスに円形包囲陣だが、こちらが移動し始めたため包囲は流線型に長く崩れている。


「いける! 近い方から順に魔道士を排除します。それまで一般の兵を近づけないよう——」

「おう! 任せておけ!」


 最後尾を駆けるカダムが胸を叩く。

 不用意に転ばないようわずかに走る速度を緩め、敵魔道士それぞれのはるか頭上に魔方陣を発現させる。


穿うがて!」


 その瞬間、地図上の魔道士の反応が一気に消滅した。

 気にしていた抵抗魔法は一切使われず、サイは拍子抜けした。


「排除しました。後は……」

「良かったら。残りもサクッとやってくれないか? 特に弓兵がうっとうしい」


 飛来する矢を剣で跳ね飛ばしながらカダムがグチる。


「はい」


 返事と同時に、弓兵の背負う矢筒めがけて電撃を放つ。金属製の矢じりはいい避雷針になるようで、面白いように電撃が吸い込まれ、弓兵が一気に吹っ飛んだ。


「排除っ!」

「助かる!」


 追っ手の振り下ろした剣をまとめて撥ね上げながらカダムが笑顔を見せる。


「残りも片付けます! 離れて下さい!!」

「おうっ!」

 

 間違ってもカダムを巻き込まないよう精密照準用の多重魔方陣を展開し、それを銃身代わりに振り回してパルス状に電撃を放つ。まるで機関銃を振り回したように扇形に電撃が広がり、残りの兵もバタバタとその場に伏した。


「すぐに次の追っ手が来る。脱出の準備を」


 王子の言葉に、一行は漁村をぐるっと迂回して再び網小屋に戻ってきた。粗末な木造の網小屋は焼けぼっくい数本を残して完全に焼け落ち、小屋に残していた荷物の回収は不可能だった。


「仕方ない。身元に繋がる物だけ処分して海に出よう」


 その間も、静まりかえった漁村の家々の細く開いた扉のすきまからは、こちらをうかがう視線が容赦なく一行に注がれた。


(……まるで、砂漠狼に怯える村人みたいだ)


 以前のサイであれば、迫る脅威に怯え閉じこもる村人を自身の魔法で救う仕事に純粋にやりがいを感じていた。脅威を圧倒的な力で打ち払う自分に誰もが感謝してくれているものだと信じ切っていた。

 だが、酷く裏切られ、人の悪意を知った今ならわかる。

 あの視線の中に、迫り来る脅威に、ではなく、むしろそれを退けようと対抗し村を戦場にするサイの方にこそ恨みをつのらせるものがあることに。

 人は、理解できない圧倒的な存在はただ恐れる。だが、それに立ち向かおうとする身内を必ずしも快くは思わない。


「そうですね。ここはなんだか嫌です。早く離れましょう」


 サイはそう吐き捨てると、いぶかしげに彼を見る三人に背を向け、小舟を隠したアシ原に足を踏み入れた。

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