第66話 サンデッガからの脱出〜1〜
「あなたは……」
エンジュは高揚した表情のまま何か言いかけて口ごもった。かと思うと、再び感情を押し殺すように無表情な仏頂面に戻り、くるりとサイに背中を向けた。
「そろそろ戻りましょう。殿下が脱出用の小舟を仕立てて下さっているはずです」
「……はい」
何だかすっきりしないものを感じながら、来たときとは逆にエンジュの後について戻る。
ゴールドの服装や身近に魔女がいたという発言、さらにたった今エンジュの使った〝殿下〟という呼び名からして、彼がタースベレデの王族なのはまず間違いない。
サイは遠い目をすると、王立魔道士団の下働き時代、机の上にドカンと山積みされ、半分嫌がらせに読まされた膨大な資料の記述を思い出す。
タースベレデは代々女性がトップを務める女王国で、後継者候補として双子の王女がいたはずだ。だが、若くして天才の片鱗を見せ将来を期待された第二王女が病死し、聡明さでは劣るが容姿に優れた第一王女の補佐として、どこか他国の貴族の息子を養子に取ったはずだ。ゴールドは恐らくこの養子、タースベレデの王子なのだろう。
残念ながら、読まされた資料にその名前までの記載はなかった。
そして、何度も話に出てくる〝雷の魔女〟はタースベレデ王家直属の騎士団の一員だ。確か留学先から帰国する途中で賊に襲われた若き王子を助けて国に送り届け、そのまま女王に請われて王直騎士に取り立てられた。
その後はタースベレデ国内を飛び回り、その強大な力で国境の守りの要として活躍していたはずだ。
退職した理由には、ドラクが滅びて東方からの軍事的な圧力がなくなったというのもあったのだろう。
ところが、東がようやく落ち着いたと思ったら、今度は西で戦争の火種がくすぶり始めたというわけだ。
「なるほど、なかなか苦労が絶えないな」
サイは内心で王子の苦悩を思って同情のため息をもらす。
「うん? なに難しい顔をしてるんだい?」
いつの間にかそばにいた王子の問いかけにふと顔を起こすと、あたりにはそろそろ夕闇が迫ろうとしていた。
「船を出すのはもう少しして日が完全に暮れてからにしようと思う。海の上は我々の姿を遮る物がないからね」
王子が説明する。その後一同が忍び込んだのは、地元の漁師が網の手入れに使う古びた網小屋だ。脱出に使う小舟はすでに確保して、すぐ近くのアシ原に潜ませている。
「ところで、追っ手が戻ってくる可能性はないでしょうか?」
カダムが、ちょっと気になったといった表情で尋ねてきた。
「あるね。サイくんの嫌がらせが早々に突破された場合、あるいは誰かが逃走経路の偽装に気づいた場合」
腕組みをしてじっと目を閉じていた王子が、ニヤリと口の端だけを持ち上げながら口をはさむ。
「嫌がらせって言いますか……でも、たぶん突破はされないと思います」
「ほお?」
興味深げに身を乗り出し、確信を持ってそう答えたサイのあご先を伸ばした指先でなぞりながら、王子は楽しそうに尋ねる。
「すごい自信だねえ、どうしてそう言いきれる?」
「残る追っ手は八騎です。対して電撃地雷はあの一帯に百基以上仕込みました。一、二カ所は偶然避けられたとしても、必ずどこかに引っかかります。一度当たれば十分程度は失神するでしょうから、仮に罠だと途中で気づいても、迷い込んだ地雷原を完全に抜けるまでに最低数時間はかかる計算です」
「え、それって、少しでも身動きしたら次の地雷でまたすぐ失神? それが何十回も延々繰り返されるわけですか?」
「ええ、そうです」
答えを聞いて、カダムはいかにもドン引きといった様子でサイから身を遠ざけた。
「エグいな」
「ドン引きだ」
「まるで悪魔の所業です」
「え、どうして?」
きょとんと聞き返すサイに、再び三人は確信したように互いに顔を見合わせ、何度も大きく頷く。
「さすが魔女の後継者」
「子供のくせにやることが容赦ない」
「魔法使いってみんなそんな考え方をするんですか? サイテーです」
「ええっ? でも、できるだけ殺すなって言われたし、だったらこれが最善じゃないですか?」
一方的に断罪され、漂う圧倒的アウェイ感に絶望しながらサイはせめてもの抵抗を試みる。だが、全員に痛い子を見るような哀れみのこもった目つきでじっと見つめられ、心の中で血涙を流した。
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