第64話 サイ、新天地へ

 タースベレデ王国の在サンデッガ連絡事務所は、国境に近い港町ゼーゲルの海岸通りに設けられていた。

 名目はサンデッガに滞在するタースベレデ人の利便をはかり、またタースベレデに入国を希望する商人や旅人達の入国申請を受け付け、また入国証を発行するための出先施設だ。

 だが、裏の目的はサンデッガ各地に潜入して極秘に情報収集を行う工作員たちの拠点でもあった。

 表通りに立つ連絡事務所と、裏通りの酒場兼宿屋〝ウミツバメ亭〟は面している通りこそ違え、実際は背中合わせに建っている。そんなわけで、この酒場兼宿屋に出入りしているのは半分以上が街の住人に偽装したタースベレデ籍の人間スパイだった。


「サイ、三番テーブル上がったぞ」

「はーい!」


 サイは厨師コックのガラガラ声に負けないように大声で返すと、カウンターに出された料理の載った重い皿をテーブルに運んでドンと置く。


「おい坊主、酒が足んねーぞ、酒!」

「おい、俺も酒だ!」

「はいはーい、ただいま!」


 再びカウンターにとって返し、大きな陶器壺の横っ腹の栓を抜くと、勢いよく流れ出た琥珀色の液体を同じく陶器のジョッキに注ぐ。


「エール二杯お待ち!」


 縁までなみなみと注いだエールがテーブルに置いた衝撃ではねる。しぶきが目に入り、思わず顔をしかめたところでドカンと背中をどやされた。


「おう坊主、言いつけ通りちゃーんと働いてるな、感心感心!」


 振り向くまでもない。彼こそサイをこの店に放り込んだ連絡事務所のボス、ジョンコンだ。


「ねえジョンコン! 僕はいつまでここで働けばいいのさ?」


 サイは思わずそう問いかける。

 半月前、初めてこの街に足を踏み入れたサイは、タースベレデ行きの情報を求めて連絡事務所を訪れた。

 入り口で中の様子をうかがっている時にたまたま出てきたジョンコンとかち合い、何だお前と問われてタースベレデに行きたいと素直に答えたところ襟首をつかまれて事務所の中に引きずり込まれた。

 後で聞いたところでは、戦争の気運が高まって以来、国内の治安はどんどん悪くなる一方で、仮想敵国であるタースベレデ関係者と見なされると即刻捕らえられて良くて尋問、下手すればそのまま拷問の上処刑もあり得たのだとか。


「相変わらず口の利き方を知らねえ坊主だな。年かさの者にはちゃんとジョンコン〝さま〟ってつけないか!」


 今のサイは見た目十才、くしくも、魔道士学校に入るため初めて王都に出てきた時と変わらない。右も左も分からない田舎者のガキと思われて一通り説教され、これでも魔道士の卵だと言い張っていくつかの魔法を使ったところでジョンコンの顔色がさっと変わった。


「おめえ、見たところ魔法結晶を使ってないじゃねえか? それに呪文も唱えてねえ」


 サイの魔法結晶は理沙に渡してしまったので手持ちはない。だが、理沙の世界で衛星シンシアの存在を知り、魔法の成り立ちについて理解が深まったせいなのか、こちらに戻って以来初歩的な魔法は結晶なしでも発動できるようになった。

 そのことを知ったジョンコンはさらに考え込み、諸々手配するから少し待てと言って紹介されたのがこの仕事だ。

 だが、見た目は子供でも中身は十六才のサイにとって、子供向けの簡単な雑用を延々言いつけられるばかりの毎日では飽きが来る。


「ジョンコンさま〜、僕はいつまでここでただ働きさせられるんですか〜?」

「この野郎! 人をからかいやがって!!」


 ジョンコンが顔を赤くして毛むくじゃらの太い腕を振り上げるのをかわし、サイはカウンターの陰にさっと身を隠す。

 見ていた酔っぱらい達が大声ではやし立て、どっと笑い声が上がる。

 そんなわけで、ここ半月ほど、ウミツバメ亭でよく見られるようになった風景だ。


「おう、坊主、ちょっと来い!」


 だが、今晩はその先が少し違っていた。サイはジョンコンに襟首を掴まれるように厨房に連こまれ、そのまま奥の階段をドスドスと降りていく。と、そこは食材貯蔵庫になっている。

 吊された枝肉をかき分け、一番奥の雑な作りのレンガ壁に手をついたジョンコンは、口の中でブツブツつぶやきながら出っ張ったレンガを順に押していく。と、どこかでゴトンと鈍い音が響き、レンガの壁に人が出入りできるほどの四角い穴が開いた。中には照明もなく真っ暗だ。


「先に入んな」


 促されるまま、サイは先に立って暗闇に滑り込む。すぐにジョンコンが続き、背後の壁が再び閉ざされた所で合図代わりに背中をつつかれる。


「いいぞ」


 サイは小さく頷き、無詠唱魔法で通路にずらりと並ぶランプにいっぺんに火を灯した。


「ほー、何度見ても見事なもんだな」

「ほめても何も出ませんよ」

「いや、この技量はあの雷の魔女にも負けてねえ、大したもんだ」


 そう言って無精ひげの残るあごをジョリジョリとこすった。

 地下室に偽装された秘密通路は、ウミツバメ亭から背中合わせに建つタースベレデ連絡事務所の地下室を経由し、埠頭の先にある港の倉庫の地下にまで延々と続いている。

 つまり、夜陰にまぎれて海から大勢が密入国可能なのだ。初めてこれを見て驚き呆れるサイに、ジョンコンは「なに、どこだってこれくれぇのことはやってるさ」とこともなげに答えた。

 それでも、ほぼ敵地と言ってもいい他国のど真ん中にこれだけの施設を密かに作るだけの能力がタースベレデにはあるというわけで、サイはまだ訪れたことのない異国の度外れた国力に思わず身震いした。


「で、ジョンコンさんはその、雷の魔女に会ったことがあるんですか?」

「あ? 相手は王家直属の魔道騎士だぞ」

「ああ、さすがに無理か、そんな偉い人」

「何言ってやがる。顔見知りに決まってるだろう」

「は?」

「いいや、うちは王族が妙に身軽でな、何かあるとすぐに最前線に出張ってくる。あいつは王子の護衛を兼ねていたからな、自然と、な」


 ジョンコンはサイを追い越すように階段を登り、複雑な造りの閂を慣れた手付きで開く。


「入んな。客人がお待ちだ」


 そう言って明るい部屋の中に一歩踏み出した。



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