第62.5話 残されたモノ
「残念だが、桧枝君の消息はいまだにつかめていない」
開口一番、櫻木が暗い顔で告げた報告を聞き、理彩は表情を曇らせて顔を伏せた。
「やっぱり……」
「いや、敵方の小型潜航艇含め、島から密かに離れたものは誰一人いない。それは絶対に間違いないんだ」
「だったら、どうしてっ!?」
悲鳴にも近い理彩の声が病室にこだました。
パステルグリーンのカーテンが柔らかな風に揺れ、明るい光が差し込む個室には、ベッドに横たわる理彩のほか、今回の関係者が顔をそろえていた。だが、その中に、見慣れた長身の彼の姿はない。
理彩の言葉はその場にい並ぶ全員の疑問でもあった。
実際に島内に彼の物と思われる血痕が大量に残っており、指の切れ端など、実体も数多く回収されている以上、彼が島にいた事実は揺るがない。だが、まるで神かくしにでもあったように、彼の姿は島から消え失せていた。
「理彩さん、落ち着いて下さい」
明美がいきり立つ理彩を抱きかかえるようにベッドに押し戻すと、彼女の目をのぞき込みながら続ける。
「あらゆる手段で行方を追っています。気にされるお気持ちはわかりますが、今理彩さんに必要なのはゆっくり休んで、少しでも早く健康を取り戻すことです」
そう諭され、理彩はがくりと力を抜いてベッドにもたれ込んだ。
「そんなことはわかってるよ。でも、彼が捕まってどこかで酷い目にあってたらって思うと……」
「その時は必ず救い出す。約束する」
櫻木が力強く言う。だが、理彩の表情は相変わらず暗いままだ。
「ともかく、毎日お見舞いがてら報告には来ますから、悩みは一旦すべて忘れてまず静養。いいですね」
最後にそう念を押すと、明美は一同を部屋の外に追い出すように病室を出て行った。
それをうつろな目つきで見送った後、理彩はベッドに沈み込むように全身の力を抜いた。
「ふうっ」
疲れていた。体が、ではなく、主に心が。
ふつうの日本人には恐らく一生縁のない、
ただ狙われるだけではなく、自分自身も銃を構え、自分たちに迫り撃ってくる敵に容赦なく撃ち返した。自分の撃った弾を受け、目の前で敵が血を吹き出しながら倒れていくのをその目で見た。
そして何より、記憶にあるあの最後の瞬間、自分の意思で、強大な雷撃を周囲の敵すべてに叩き込んだ。
次に気がついた時、理彩は輸送艦の医務室で硬いベッドに横たわり、猛スピードで本土に向かっている所だった。気を失っている間、悪夢ばかり見ていたような気がする。
失神するほど消耗した記憶はなかったけど、櫻木の診断では、〝心的外傷後ストレス障害〟の疑い、とのことで、予定を変えて横須賀に入港し、そのまま櫻木の勤める病院に入院した。
精密検査を受け、全身の擦り傷や打撲に大げさすぎる治療を受けている間じゅう、理彩の心を占めていたのはサイのことだった。
あの日、おとりになって敵兵を引きつけ、島の奥に消えた彼はそれきり戻ってこなかった。
のべ数百人を動員したその後の徹底的な捜索でも、彼は見つけられなかった。まるで空気に溶け込んでしまったかのように、彼は絶海の密室から姿を消してしまった。
当初、理彩は、サイの身に生死に関わる重大な何かあって、それを自分に伝えないために、あえて行方不明だと言いつくろっているのだと疑っていた。だが、行方不明が紛れもない事実だと知り、理彩は深い絶望感に襲われた。
ある日突然現れ、突如襲いかかってきたいくつもの災禍から理彩を守り通し、災いが去ると同時にまるで幻のように姿を消した。それはまるで、おとぎ話のヒーローのように。
「いつかはいなくなるかも、とは思っていたけど」
サイは自分のことを「異世界から来た」と話していた。それがたとえ冗談だったとしても、世間離れしたその様子は、理彩たちと違う世界の住人であることをはっきりとうかがわせた。
初めて出会った時から、この人はいずれふらっと自分たちのもとを去るだろうというかすかな予感はあった。でも、こんな風に、突然挨拶もなしに別れるはずではなかった。
「ずるいよ」
理彩は、彼に渡された魔法結晶を握りしめながらポロリと涙をこぼす。
彼がこの世界に居たことを示す物は、もうこれしかなかった。
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