第61話 結末
「あんた、いい加減あきらめた方がええで」
その場に踏ん張ったまま一歩も進もうとしない理彩の背中に再びハンドガンを押し当て、男は理彩の耳元であきれたように言った。
「わいは別に、あんたを殺すことをためらったりせえへんよ」
男は高圧的な態度をわずかに緩め、理彩を説得しようと口調を改めた。沖では、潜水艦のマストから姿を現した全身黒ずくめの戦闘服を着た兵士達が次々とゴムボートに乗り移り、エンジンを始動しはじめたところだった。
「あんたももう少し利口になりぃな。わいと一緒に来てくれたら、それなりの、いや、この国の金持ちと比べてもそこそこええ生活は保障されるで」
「その代償に、私は一切の自由を奪われ、死ぬまであなたの国に飼い殺しにされるってわけね」
返事はなく、肩甲骨の隙間に食い込ませるように硬い銃口が押し当てられた。
「悪いけど、助けは来いへんって。チェックメイトや」
「そんなことはない。私は彼を信じてる」
男はため息をつくと、理彩の肩を背後からむんずと掴み、その場に理彩を跪かせるように強く押し倒した。
(シンシア、助けて。どうしたらいいの!)
理彩は頭の中で強く念じる。
だが、胸に下げた父の形見の端末も、手のひらに握り込んだサイの魔法結晶も、理彩の魂の叫びに対してまったく反応何の反応も返してはくれなかった。
「……青い」
目の前に広がる抜けるようなな青空を眺めながら、サイはぼんやりと何のひねりもない感想をつぶやいた。
気づくと、彼は大の字になって仰向けに地面に倒れていた。どうやら失血が多すぎて脳貧血を起こしたらしい。
右手であたりをまさぐり、手に触れた小銃を支えにしてゆっくりと上体を起こす。激しいめまいがサイを襲い、再び倒れそうになるのを必死でこらえながらあたりを見回す。
「シンシア、僕はどのくらい気を失ってたんだ?」
返事はない。ああそうか、と急速に記憶がよみがえる。
「……理彩は無事かな」
もくろみ通り、無事に島を抜け出せたのならいい。だが、いまだ艦砲射撃が始まらないところを見ると、脱出に手間取っているのだろうか。あるいは、別の追っ手が彼女を……
そこまで思い至ってサイはハッと息を飲んだ。
(どうして上陸した敵が一隊だけだと思いこんだ? なぜ僕は別働隊の存在を考えなかったんだ!?)
「だとしたら……」
サイは海沿いに視線を向ける。
「頼む、間に合ってくれ!!」
とっくに限界をむかえ悲鳴を上げる体にむち打ち、サイは再びよろよろと立ち上がると、全力で走り出した。
(ああ、そうか)
ゴムボートはすでに着岸し、小銃を構えた黒ずくめの兵士達が次々に岸に飛び移る。その数十名。あまりに多勢に無勢だった。どんなに抵抗しようとも、あと数分で自分はこの島から力ずくで連れ去られてしまうだろう。理彩は冷静にそう予想した。
(シンシアは返事をくれない。サイ君もいない。どうしたら……一体どうしたら)
万策尽きて青空を見上げた理彩の目を太陽の光がキラリと射る。その途端、まるで天啓のように彼女の脳裏にひらめくものがあった。
(サイ君は言ってた。シンシアはただ声に出して望むだけじゃ動かない。自分がどうしたいか、シンシアに何をやって欲しいのか、それを順序立てて詳細に脳裏に思い浮かべる必要が……)
理彩にはなかった発想だった。サイとシンシアが起こす現象はどう見ても魔法だとしか思えなかったし、その原理まで突っ込んで考えたことはこれまでなかった。
だが、サイの説明は少し違っていた。彼はそれをはっきり〝術式〟と呼んでいた。
(そう、術式……)
理彩の知識にある限り、サイのざっくりとしたたとえ話に最も近いイメージはPCソフトウェアのプログラミングだった。理彩は学校の授業で習ったプログラムの基礎を必死で思い起こす。
(ああ、こんなことならもっとまじめに学校に通っておくんだった)
「お、ついに観念したんか? 最初からそないしとけば余計なケガはせいへんかったのにな」
あらがうのを止め、不意に静かになった理彩を見て、インチキ関西弁の男はニヤリと笑った。だが、理彩はもはやその声を聞いていなかった。
(ええと、最初に初期化。次に必要な変数を宣言して、関数を呼び出して、ああ、でも、この場合の変数って一体何? サイ君みたいに地上に雷を落とすには一体どれだけのパラメーターが必要なの?)
理彩が脳をフル回転するのにつれて、手の中の魔法結晶が熱を帯び、ぼんやりと薄青色に光り始める。だが、理彩はそれにすら気づかなかった。
サイは足を止め、その場に伏せるように倒れ込んだ。
「あれは、理彩! 捕まってるのか!?」
海岸線に立ちすくむ人影が二つ。まだ敵にサイの姿は見つかっていない。サイは慎重に頭だけ起こし、海岸線にじっと目をこらす。
「やっぱり! 上陸部隊が別にいたんだ!」
理彩との距離は数百メートル以上あるだろうか? 今のボロボロな状態では、すきを見て駆け寄ることすら困難だ。
かといって、理彩にハンドガンを突きつけている男を狙撃することもできない。この場所からでは、理彩まで巻き添えを食う。
「どうする? 今さら見つからないように大きく迂回して移動する時間の余裕はないし」
その間にも、新たに海岸から現れた十人ほどの兵士達が理彩に駆け寄るのが見えた。奴らが理彩の元にたどり着くのにあと三十秒もかからないだろう。
「くそ! こんなことなら理彩に魔法結晶を手渡すんじゃなかった」
あの時はそれが一番いい考えに思えたのだ。そうすれば、シンシアが理彩を守ってくれるような気がした。だが……
「あとは……この距離でも届くか?」
生まれて初めて意図せず魔法を発現したとき、当たり前のことだがサイは魔法結晶を身につけてはいなかった。だが、彼が住む孤児院の院長室には後に彼の物になる魔法結晶が保管されており、司祭が結晶の手入れをしようとして、偶然魔法結晶を励起状態にしていた。
そのように、たまたま積み重なったいくつもの偶然が奇跡的に絡み合い、サイの魔法の才能を開花させたのだ。
「あの時僕は庭にいた。院長室との距離は……いや、今よりもう少し近かったか?」
サイは地面にうつぶせに寝そべったまま、まるでヤモリのようにじわじわと理彩のもとににじり寄った。
「ほな、行こか」
その声と共に、理彩は兵士二名に挟まれるようにして両肩をつかまれ、まるで命のないぬいぐるみを引っ張り上げられるように無造作に立たされた。
だが、理彩は相変わらずうなだれたまま、焦点の合わない目つきでブツブツと何事かをつぶやき続けているだけだった。
「なんや、ついにおかしゅうなったんかいな? まあ、どうでもええわ。わいの仕事はあんたを迎えの潜水艦に引き渡すまでや」
エセ関西弁の男は、構えていたハンドガンを左脇のホルスターに戻し、理彩の両側を固める男達にあごをしゃくった。
「×××、××!」
理彩にはその言葉が聞き取れなかった。だが、「連行しろ!」的な命令口調であることだけは本能的に理解できた。
もはや一刻の猶予もなかった。
理彩は両脇を屈強な体格の兵士につかまれ、ほとんど吊り下げられるように運ばれている。意識を失っているのか、うなだれたままで表情はまったく見えない。
サイは大きく一つ深呼吸をすると、一番手前で小銃を構えた大柄な兵士めがけて発砲し、同時に斜め前に体を投げ出して大きく跳んだ。
狙い違わず兵士は倒れ、すぐに猛烈な応射があった。
数発がサイの体をかすめ、うち一発はまともに左腿の外側を切り裂いた。
「うおぉぉっ!!」
サイは吠えた。
痛みはもはや感じなかった。
腰だめに短く三連射したところで弾が尽きた。敵はまだ数人が無傷のままだ。
「キリシ、アルケイオン・イ・ル・グオラ!
そこまで唱えた所で、銃弾がサイの喉を貫いた。
短い銃声にハッとして顔を上げた理彩。だが、彼女の叫びはサイには届かなかったようだ。彼は足をひきずりながら突っ込んでくると、腰に構えた小銃を短く三連射した。そのうちに理彩を拘束していた一人が倒れ、もう一人が獣のように吠えながら応射し、次の瞬間、理彩は目の前でサイが喉から血しぶきが吹き出しながら倒れ込むのを見た。
「サイ君!!」
それまで必死に組み立てていたシンシアの
「シンシア! 雷を! 雷を放って!!」
次の瞬間、理彩の周囲はまるで落雷のただ中に立っているかのように、青白いまばゆい光に包まれた。
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