第60話 血戦 〜3〜

『理彩、急いで! 悩んでいる暇はありません!』


 シンシアにせかされて、理彩はようやくノロノロと動き始めた。

 岩陰から頭を半分だけ出して島の内陸側をのぞき見るが、銃撃の音が次第に遠ざかりつつあるのが聞こえるだけで、人の気配はなかった。


「サイ君、大丈夫かな? ……大丈夫な訳ないよね」


 おっかなびっくり、という感じで足を踏み出し、波打ち際に沿ってゆっくりと走り始める。


「とにかく、早く櫻木のおじさんと合流を——」


 軽石のようにもろい小石だらけの岩場を踏みしめ、次第にスピードを上げて走る理彩の目の前で、いきなり地面が爆ぜた。


「何っ!!」


 靴底が冷えた溶岩の角に引っかかって思わずつんのめりそうになり、慌てて急停止する。


「ほお、結構優秀な反射神経やな」


 銃身の長い狙撃銃を構えて正面に現れたのは、黒と灰色を基調にした迷彩柄の野戦服に全身を包んだ若い男だった。


「銃を捨てて両手をあげてぇな。おっと、不用意に動かんといてや。この銃は引き金がブラブラでな、ついうっかり撃ってしまいそうや」


 男はカタコトの関西弁もどきで理彩にそう命じてきた。


「あっちの兄ちゃんがえらく派手に暴れとるから陽動やと思うとったら、案のじょう大当たりやったな。あの大騒ぎはあんたを逃がすためのおとりちゅうわけや」


 理彩は男をにらみつけたままくちびるをかむ。男は銃口を理彩に向けたまま、ニヤリと口角を持ち上げた。


「で、あんたが柘植リモートセンシングの二代目、柘植理彩はんで間違いあらへんな?」


 理彩は相手の質問の意図をつかみかねて、どう返事すべきか迷った。

 だが、男は大して気にする様子もない。とうに調べはついていて、とりあえずあいさつ代わりに聞いてみた、という程度の認識らしい。


「あんたを本国にお招きせぇ、さもなくば消せっちゅうんがわいの受けた指示や。わいはどっちでもかまへんけど、あんたどないする?」

「抵抗すれば殺すってわけ?」

「解釈はなんとでもご自由に。とはいっても、まあ、実質選択肢はあらへんけどな」


 男はそこで言葉を切ると、小馬鹿にしたように乾いた笑い声を立てた。


「普通自分から殺してくれって頼むアホはおらんわな。ちゅうわけで、早速わいと一緒に来てもらおうか」


 理彩はサイに託された魔法結晶を握りしめる。結晶は理彩の想いに応えるようにかすかな熱を放ち、その暖かさに励まされるように、彼女は男の要求をはねのけた。


「嫌よ!」

「はぁ? あんた、わいの話ちゃんと聞いとった?」


 男はライフルの先を振り上げながら、小馬鹿にしたように首をかしげる。


「私はそんな理不尽な要求に応じるつもりはない! それにこの島は包囲されている。いくら私を人質にしたって、どこへも行けないわ」

「そうかいな? 蛇の道はヘビて言うやんか。そんなのどうにでもなるねん。それにけったいな術を使うボディーガードの兄ちゃんはもう戻ってけえへんで。マシンガンでメッタ撃ちされて、今ごろ全身ハチの巣や。あきらめた方がええ」

「それはどうかしら?」


 理彩は強気を崩さず、表向きだけは平静をよそおって反論する。だが、内心は不安でぐちゃぐちゃだった。

 さっきまで断続的に聞こえていた銃声は、次第に散発的になっていた。それがサイの窮地をあらわしているのか、あるいは逆なのか、それさえもはっきりしない。


(お願い。シンシア、手を貸して!)


 魔法結晶を握りこんで強く願うが、サイとは違って、心の声がシンシアに通じた気配はまるでなかった。


「もう一度言うで。わいと一緒に来てもらう。命令や。逆らうなら死んでもらうだけ。これは脅しやないで」


 男はそう言うと、構えていたライフルを捨て、左脇のホルスターにつった大型拳銃を抜いて理彩の左胸にピタリと狙いを定める。


「ほな、回れ右をして海の方を向いてぇな。そろそろお迎えが来る頃や」

「迎え?」

「ほれ」


 理彩は眉をしかめ、渋々振り返ると海面に目を移す。

 その瞬間、それまで凪いでいた海面がボコボコと泡立ち、全体にさびの浮いた小型潜水艇のマストがニョキリと顔を出した。


「ほ〜らな、どないかなるもんや」


 ざくざくと溶岩を踏みしめる足音に続き、理彩の肩甲骨の間に拳銃の銃口がゴリゴリと押しつけられる。やがてハッチが開き、ゴムボートが下ろされるのを遠目に見ながら、背後から聞こえる男の声はあきらかに得意げに弾んでいた。


 



 サイはその場にガクリと膝をつくと、ゼイゼイと荒い息を繰り返した。

 全身、痛まないところはどこにもなかった。

 手足に何カ所も銃弾を受け、直ちに生死に関わる大出血こそないものの、戦闘服は絞れば血が滴るほどにじっとり血濡れていた。

 かすめた弾で頬が大きく裂け、左耳はジンジンと冷たく脈打っている。だが、手の甲でぬぐうと血糊のぬるりとした感触があるだけで、耳たぶに触れる感じがない。確認したくても、左手の人差し指と中指は根元からちぎれ飛んでいるし、なんとか無事な右手も、ずっと引き金を引き絞っていたので指先がしびれてまるで感覚がなく、力が入らない。


「……それでも、何とか生き延びたか」


 つぶやきながら、サイは弾を撃ちつくした小銃をその場に投げ捨てた。

 足を引きずりながら、まるで這うようにその場に転がったままの敵兵に近づくと、体をひっくり返し、銃把を握りしめたままの右手をを強引に開いて敵の小銃を奪い取る。


「くそ、これもカラか」


 遠くに放り投げ、再び別の敵兵に四つん這いで歩み寄る。そんなことを何度も繰り返し、ようやく弾の残った小銃を探し当てた。

 射撃モードを単射に切り替え、ストラップを肩に掛ける。そうしてまた別の小銃を拾い上げると、それを杖代わりによろよろと立ち上がる。


「理彩は、無事に艦にたどり着けたかな?」


 つい習慣でそう尋ね、答えが戻らないことに気づいて苦笑する。魔法結晶は理彩に渡してしまったので、今のサイに衛星シンシアと会話する手段はない。


「いつの間にか習慣になっちゃってたか……」


 サイは雲一つない青空を見上げ、すぐにでも転びそうな危なっかしい足取りで一歩踏み出す。


「頼む。シンシア。理彩を守ってくれよ」


 

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