第53話 サイ、南の島へ

 扉をあけてみると、室内と同じく天井までライトグレーに塗られた殺風景な廊下が左右に伸びていた。

 外の景色は見えないが、どこからともなく漂う強い潮の香りがサイの鼻を刺激した。足元の床もゆっくりと揺れていて、船に乗っているというのはどうやら間違いない。

 狭い部屋に閉じこもっていても気がめいるだけなので、サイは理彩を促し、恐る恐る部屋の外に出てみる。


「ああ、もうお目覚めになられたんですね。今、起こしに行こうと思っていました」


 と、狭い廊下の向こうから明美が声をかけながら駆け寄ってきた。胸に大きなポケットとカラフルなバーコードのような略綬、紺色の肩章のついた上衣に白いスカート。初めて見る軍服姿だ。


「ところで、一体これはどういうことなんです!?」

「え、この格好ですか?」


 たずねられ、明美は恥ずかしそうにスカートの裾を直す。


「私は軍にも籍がありますので一応は……」

「じゃなくて、この状況です」

「ああ、そっち。止められなくてごめんなさい」


 明美は顔を赤らめてぺこりと頭を下げた。


「主に櫻木医官の暴走です。本当はちゃんと説明しようと思ったんですが、なにぶん時間が差し迫ってましたので……」

「時間?」

「ええ、米軍と自衛隊の共同作戦です。詳しくご説明しますので、こちらへ」


 口調は丁寧だが、明美の表情にはなんとも言えない緊張感があった。

 気圧されるように先に立つ明美について行くと、寝台のあった部屋より少しだけマシな部屋に案内された。簡素な応接セットにはすでに櫻木医官と、マイケルと名乗った白人男性の姿がある。


「よう、お目覚めかい、姫」

「ずいぶんですね、お、じ、さ、ん!」


 相変わらずちゃらい口調で呼びかけてきた櫻木に、理彩がサイの背後から彼を押しのけるように身を乗り出して嫌みを言う。


「悪かったね。敵さんの動きが思ったより速かったんで、詳しく説明している時間が惜しかったんだ。叱責しっせきは甘んじて受ける」

「当たり前です!」

「武装した敵部隊を日本本土に上陸させるわけにはいかない。そこで、君たちをエサにして、あらかじめ準備したパーティ会場に誘導することにしたんだ」

「エサ、ですか?」

「ああ、本艦の位置と進路はAISで常時公開されている」

「えーあいえす?」

 

 聞き慣れない単語に理彩が首をひねる。


「〝船舶自動識別装置〟の略称だ。世界中の船についている装置だよ。普通なら作戦行動中の軍艦は自艦の位置を悟られないようにそれを切っておくものなんだが、今回は担当者が〝ついうっかり〟作動させたままになっている。だから、誰でもネットで簡単に本艦の現在地がわかる状態になっている」

「でも、それって……」


「おまけに、君たちの周囲を嗅ぎ回っていた連中、主に君たちのクラスメートには君たちが本艦に乗艦していることもさりげなく漏えい済みさ」

「なんでそんな……」

「君たちは人気者だしねえ。ファンも多いだろ?」


 櫻木はそこまでを冗談めかした口調で言うと、じっとサイの目を見ながら不意に口調を改めた。


「さて、桧枝君。ここからはもう少しだけまじめな話だ」


 櫻木は地図をテーブルに広げながらサイに着席をうながす。向かいのソファにサイが座ると、隣に座るマイケルから資料の束を受け取り、それをサイの前に差し出した。


「これまでの君の活躍は合衆国、およびその同盟国も強い興味を持っている。その上で、君にひとつ、頼みたいことがある」


 櫻木とマイケルによるサイへの頼み事。

 それは、理彩の抹殺を狙って殺到する某国の特殊部隊の殲滅せんめつ、だった。


「ただし、条件もあるんだ。今回われわれが君に提供できるのは、水、食料、サバイバルキット、防弾装備、通信機、および行き帰りの交通手段のみだ。武器、弾薬、一般的に兵器と見なされる物は一切支給できない」

「は!? 何を言い出すんです。相手は完全武装でやって来るって、たった今、言いましたよね!?」


 そばで話を聞いていた理彩がいきり立つ。


「いきなり私たちを拉致って無理やりこんな所まで連れてきておきながら、どうしてそんな無理ゲーを吹っかけてくるんです? 私たちに死ねって言う——」

「われわれには、国民の生命と財産を守る義務がある!」

「はぁっ?」


 唐突に正論で遮られ、理彩が不平の叫び声を上げる。


「これまでのように、大都市の街中でいきなり銃撃戦どんぱちを始められても困るんだよ。君たちだって被害者だというのは十分理解しているが、これ以上無関係な一般国民を戦闘に巻き込むわけにはいかない」

「いや、それはわかりますけど」

「もちろん、この件をきっかけに他国との戦争に発展するのも困る。今回のトラブルは、あくまでも〝国籍不明の〟テロリストと、君たちの間だけでおさめる必要がある。だからこれ以上の手助けも——」

「でも!」

「理彩!」


 それまで黙って櫻木と理彩の応酬を見ていたサイは、理彩のそれ以上の反論を強引にさえぎった。


「櫻木さん、僕らをやっかい払いしたい、というわけではないんですよね?」

「そりゃ当たり前だろう? 誰が好き好んで知り合いを死地に放り出そうなんて考える?」

「それでも、国はあくまで無関係だと?」

「……まあ、国際的にはね。そういう建前で行かざるを得ない」


 櫻木は歯切れ悪く答えた。


「わかりました。それならば了解です」

「サイ君……」


 あっさり櫻木の詭弁を受け入れたサイを、理彩は裏切られたような目つきでにらむ。


「理彩を守っている正体不明のモノがこの国由来であってはいけない、ということだよ。だから、武器のたぐいは一切提供してもらえない……」

「そう。理解が早くて助かるよ」

「サイ君!」

「理彩、たぶんこれは現時点でこの国のできる精一杯だと思うよ。食料や装備を用意してくれるだけマシだと思わなきゃ」

「でも。私たちだってこの国の国民でしょ。だったらどうして私たちだけが守ってもらえないの? こんな、放り出されるような扱い、理不尽じゃない!?」

「僕らは、僕らのできることをやるだけだ」


 理彩はそのセリフを聞いて不機嫌そうに黙り込んだ。


「政府の見解では、シンシアは、あくまでも民間企業が運用する災害復旧支援衛星だ。今回の作戦は無人の火山島を被災地に見立て、シンシアの有用性を確認するテストのため理彩君の会社が計画したという建前になっている。海上自衛隊われわれは危険地帯への移動手段を提供しただけ。というシナリオだ」


 櫻木は断言するように言う。


「でも——」

「ただし、だよ」


 なお納得しない理彩に、櫻木は微妙にいたずらっぽい表情でさらに説明を付け加える。


「テスト中なぞの武装勢力テロリストの襲撃を受け、救助を求める通信をたまたま付近で合同訓練中の日米艦艇が傍受した、なんてことがあるかも知れない。それを受けて、国民の生命と領海の秩序を守るために海上警備行動が発令される。まあ、そのくらいはあるかもしれないね」


 わざとらしい櫻木のウインクを見て、理彩の目が丸くなる。


「え? おじさん、それって……」

「まあ、それほど待たせるつもりはない。われわれが急行するまで、なんとか頑張って自分の身を守るんだ」

「……う、うん」

「そんなわけで桧枝君、うちのめいの命、君に託す。頼んだぞ」

「わかりました」


 サイは大きく頷いた。

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