第52話 サイ、拉致される

 四十九日の法要が終わった翌々日の放課後、サイと理彩はJR桜木町駅前にあるホテルのカフェに呼び出された。

 雲ひとつない晴れた空に、白く輝く飛行機雲が何本も筋を引いていた。


「いい天気。絶好のデート日和ね」


 理彩が髪をかき上げながら空を見上げ、そんな冗談を飛ばす。

 サイはあきれた表情を浮かべながら、それでも理彩の気晴らしになるならと、彼女と肩を並べてゆっくりと街を歩いた。

 理彩との付き合いはそろそろ三カ月になる。

 若い健康な男女が同じ屋根の下で暮らし、家族も同然の距離感でそれだけの時間一緒にいれば、普通なら何かしら特別な感情が生まれそうなものだ。

 理彩の容姿は異世界人であるサイの目から見ても相当に整っており、彼氏いない歴、イコール年齢という自己申告はとても信じられない。

 だが、サイはこれまで理彩にそういった感情を抱いたことはない。メープルとの破局以来、サイが異性との付き合いに臆病になっているせいなのか、あるいは理彩が他人との付き合いに全然興味を持っていないせいか。

 少なくとも、今のところサイが理彩に感じているのは、まるで兄妹のような、淡い親愛の情だけだった。理彩がサイに感じているのもサイと同じか、あるいはもっとドライに、せいぜい雇用主が使用人に対して抱く程度の気持ちかもしれない。

 ボディーガードを任されるくらいだ。信用はされていると思う。

 だが、それとこれとはまた別の話だ。

 

「よう、こっちこっち、待ってたよ」


 店に入ると、飲みかけのコーヒーカップをかかげていつものように軽い調子で声をかけてきたのは櫻木医官だった。そばには初対面の白人男性の姿もある。


「まあ座って座って。あ、ふたりともコーヒーでいい? それとも紅茶? ここ、パンケーキが絶品なんだ。なんでも有名なパティスリーと同じメニューが入るらしくて。よかったらそれも一緒に頼むかい?」

「今日も絶好調ですね、おじさん」


 見え見えの皮肉すらはね返す鉄面皮に理彩はわずかに顔をしかめる。だが、サイは櫻木に同席している金髪の白人男性の方が気になった。背が高く、スーツの上からでもわかる鍛えられたスポーツマン体形。身にまとう雰囲気からして、恐らく軍人だろう。それに、左の脇の下がわずかにふくらんでいるところをみると、武装もしているらしい。


「じゃあ、コーヒーで」

「私は紅茶でお願い」


 サイが何となく白人男性に会釈しながら腰をおろすと、彼は青い目をわずかに細めてほほえんだ。


「ああ、紹介しておこう、彼の名前はマイケル……でいいかな」

「かまいません。マイケルです。どうぞよろしく」


 彼は流ちょうな日本語で自己紹介し、サイと理彩に順に右手を差し出した。

 握手は思ったより力強い。だが、分厚い手のひらは軍人ぽい見た目に反して柔らかだった。

 そうこうするうちに頼んだメニューがやって来た。


「ささ、飲んで飲んで。食べて食べて」


 櫻木のしつこい勧めに顔をしかめながらコーヒーをすする。一方、理彩は一緒に頼んだパンケーキをひとかけら口にして、頬を押さえながら意外そうな顔をしている。


「あ、確かにおいしいかも。こんな所、よくご存じでしたね、おじさん」

「そうだろう? いやー、私もね、普段は横須賀の片隅で磯くさい空気を吸ってるばかりだから、たまにこっちに出てくるとこういうオシャレなのが楽しみでね〜。暇さえあればネットで調べてるよ」


 ニコニコと語る櫻木。だが、彼が話しながらしきりに腕時計を気にしているのが気になって、サイは水を向けてみた。


「あの、僕らに何か用があって呼んだんですよね? それを話してもらえませんか?」

「ああ、そうだった」


 櫻木はその言葉に不意に背筋を伸ばすと、マイケルを左手で示す。


「これから彼が君たちをエスコートしてくれる。仲良くしてくれ」

「エスコート?」


 突然出てきた思いがけない単語に理彩が首をかしげる。


「ああ、この土日、君たち二人を南の島のバカンスにご招待しようと思ってね。学校は休みだろ?」

「は? バカンス? 確かに学校は休みだけど……どこへ? それになぜ急にそんな話に?」

「ああ、君たちをお待ちかねのお客様ゲストがいるんだ。二人にはぜひホスト役を務めてほしい。期待してるよ。ちなみに場所は小笠原諸島だ」

「小笠原? おじさん一体何をたくらんで……」


 理彩の声が不自然に途切れる。あわてて見やると、彼女はまるで電池が切れたようにがくりと顔を落とした。


「理彩っ! どうした!」


 肩をつかんで揺すろうとするが、サイの意識にも急に幕がかかったようにぼんやりする。


「……あ、あれ?」

「ようやく効いてきたか。いや〜悪いね、詳しい行き先は秘密なんだ。二人に拒否されても面倒だし、ちょっとの間眠っててくれたまえ」


 その言葉が終わらないうちに、サイはまるで地の底に落ちるように意識を手放した。




『……イ、サイ! 起きてください!』

 

 シンシアの大声が脳裏にキンキンと響く。


「あー」


 シンシアは目覚まし時計として優秀だな、と、のんきなことを考えているうちにサイは現実に引き戻された。途端に気を失う寸前の出来事を思い出す。


「そうだっ! 理彩!」


 慌てて体を起こすと、サイは幅の狭い寝台に横たえられていた。狭い通路をはさんで隣の寝台には、気を失ったままの理彩の姿がある。

 二人が寝かされていたのは簡素な寝台が二つきりの窓のない狭い部屋だった。室内にゴンゴンという低い連続音が響いているところをみると、何か乗り物の中らしい。

 サイは、理彩の衣服に乱れのないことを確認してほっと一息つくと、理彩の肩をつかんで軽く揺する。


「理彩、起きろ、理彩!」

「う、うーん」


 うなりながらぼんやり目をあけた理彩は、覆い被さるような姿勢のサイに気づいて目を丸くする。


「え? 何? 何が起きてるの?」

「わからない、どうやら僕らは拉致されたっぽいね」

『おおむね正しい理解ですね。お二人は現在、横浜ノースドックから出航した米海軍、スピアヘッド級高速輸送艦に乗艦中です』


 シンシアの声は理彩には届かない。サイが脳裏に響く声をそのまま伝えると、理彩は体を起こしながら不満の声を上げる。


「今、どこ? それに私たち、どのくらい眠っていたの!?」

『現在お二人は東京湾を抜け、時速約三十ノットで一路南下中です。現在位置は伊豆大島の東方およそ十七マイル。お二人がノースドックを出航されてから、間もなく二時間です』

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