第51話 49days

 翌日から、二人は再び高校に通い始めた。

 サイはようやく本格的にこの世界について学ぶ機会を得て、理彩やシンシアの力も借りて、ではあったが、授業について行くことができるようになりつつあった。

 サイにとってはこの世界の仕組みすべてが目新しかった。

 興味深さもあって、高校三学年のすべての教科書をまたたく間に読破し、その内容を自らの瞬間記憶能力で丸暗記した。

 それだけではなく、毎日夕方近くまで図書館にこもり、百科事典や実用書のたぐいを中心に、片っ端から読みふけった。

 一方、理彩も会社の仕事を極力減らし、平日はほとんど授業に出た。半分は貪欲に知識を吸収しようとするサイに付き合って、ではあったが、後の半分は会社を取り巻くもろもろのトラブルにみ疲れ、そこから離れたい気持ちもあった。

 学校での狙撃以来、朝夕の通学時間を中心に理彩の自宅周辺と学校の周りをパトカーが頻繁に巡回するようになった。そのせいもあってか、襲撃者達の姿はすっかりなりを潜め、つかの間、平和な日常が戻ってきた、ように思われた。




「柘植さん、お父様のニュースを聞いたわ」

「なんと言ったらいいか。何かあったら相談して。私たちも力になれるかも知れないし」


 理彩が教室にひんぱんに顔をみせるようになったことに加え、家族を亡くしたニュースを聞いて、そんな風に慰めの言葉をかけてきたクラスメイトもいた。


「ありがとう。何かあったら相談するね」


 理彩はそう答え、にこやかに頭を下げる。

 恐らく親切半分、好奇心半分で近づいてきたのだろう。だが、理彩がそれ以上一ミリも話を広げようとしなかったおかげで話題はすぐに尽きた。

 結局、彼女らは数日で再び理彩から微妙に距離を置くようになってしまった。

 サイは、父親が亡くなって以来、学校での無愛想ぶりに拍車がかかった理彩のことが心配だった。だが、理彩は他人を巻き添えにすることを恐れたのか、極力他人との交流を避けるつもりらしく、サイに対しても自宅に戻るまでは目をあわせようともしなくなった。

 その一方、サイの隣の席の女生徒は相変わらず口を開くたびに理彩をけなしながら、同時にサイとの距離を詰めようと毎日のように絡んでくる。


『彼女はもともと、理彩の身辺を探るのが目的で学校に潜入したようですね。最初に理彩をけなしすぎてかえって近づき辛くなったので、今は理彩と距離が近いサイを利用しようとたくらんでいるといった感じでしょうか』

「……あれ?」


 シンシアが直接脳内へささやきかけてくるのを聞きながらサイは首をひねる。

 空き教室での狙撃事件を別にすれば、サイはこれまでも校内ではほとんど理彩と絡んだことはない。それにあの一件も真相は一部の教師しか知らないはずだ。


「……いや、そもそも僕も理彩もほとんど学校に来てないし」


 つぶやきながらサイは不思議に思う。自分と通して理彩の情報を得たいのなら、彼女をけなすのはむしろ逆効果だとなぜ気づかないのだろう。

 その上、事件以来、サイは校内で一言も理彩と話をしていない。ならば、この娘はサイと理彩の関係にどこで気がついたのだろう。


『その件について情報ですが、この生徒は某独裁国の工作員だと疑われている会社役員と頻繁に接触しています」

「……シンシア、勝手に思考を読まないでくれ」

『話の流れからの推測です。サイの思考は展開が素直でわかりやすいですから』

「あのな、僕をバカにしてるだろ?」

『話を戻しますが、おそらく彼女は接触の際に相手から情報を得ているのではないでしょうか?』


 ほとんど読心術のレベルで思考を読み、微妙にサイをおちょくってくるシンシアにサイは小声でクレームを入れた。だが、シンシアはまったく気にする様子もない。結局、サイはあきらめ気味に小さくため息をつくしかない。

 シンシアとサイの間でテレパシーのように会話が通じる理由もまだはっきりわかっていない。だが、「もしかしたら桧枝君の体内に満ちる未知の血球成分が関わっているのかも知れないよ」というのが櫻木医官の憶測だ。


「で、接触というのは?」

『ええ、昨夜も渋谷道玄坂の、カップル向け宿泊施設でコンタクトを取っています』

「あー、それはまた」


 今も目の前で妙なしなを作るこのは、理彩が援交してるとデマを飛ばしてさげすんでいたはずだ。そのくせ自分のことは都合良く棚上げらしい。

 元婚約者と破局したいきさつが不意に脳裏をよぎり、軽くトラウマを刺激されたサイは、眉をひそめて低くうなる。


「ねえ、なにブツブツ言ってんの? それより、良かったら今日一緒に帰らない? マックかどっか寄って食事——」

「あ、悪いけど無理。忙しい」

「えー、何、バイトでもしてんの?」

「ああ、そんなところだ」


 不機嫌顔でぶっきらぼうに会話をぶった切ると、ちょうど姿を見せた教師に向かって小さくあごをしゃくってみせる。

 唇をとがらせて教壇に向き直る彼女の姿を視界の隅で確認しながら、サイは眉間に縦じわを寄せた。




 そんな小さなトラブルを別にすれば、あれほど立て続けの襲撃は何だったかと思うような平穏な日常が、二週間、三週間と続いた。

 だが、表向きの平穏さとは裏腹に、シンシアの集めてくる情報は次第に不穏な色を帯びるようになっていた。


『さて、これまで、お二人が命を狙われたのは全部で五回ですが——』


 ある夜、毎週末の恒例になった作戦会議うちあわせの席で、シンシアがいきなりそう切り出した。

 盗聴や外からの攻撃を含めた安全性を考え、はじめのうち、打ち合わせは会社棟の地下にある電波暗室を使っていた。だが、設置されている機器の都合で飲食は絶対禁止、おまけにまるで刑務所の独房のような殺風景な内装が全員に不評で、すぐに場所を理彩の父が使っていた書斎に移すことになった。


「え、違うよ」


 理彩が座り心地のいいソファから身を起こしながらシンシアに反論する。


「みなとみらいで私が車に拉致られそうになったのが最初だから。次が自宅ここの襲撃、マンションに爆弾を投げ込まれ、避難先のホテルそばでサイ君が戦闘、学校で狙撃され、そして桧枝さんのたくらんだ暗殺未遂、だから六回」

「一応、お父様の件も入れたら七回ということですね」


 明美の補足を受け、三人でうーんとうなる。


「どう考えても……」

「これは異常だと思うわ」

「この国は平和だって女神も言ってたはずなのに」


 黙り込んだ三人に、シンシアが報告を再開する。


『失礼。仮に七回としましょう。それぞれの背景がある程度つかめました。最初の拉致未遂は韓国国家情報院、自宅の襲撃、ホテルそばの戦闘、学校での狙撃については朝鮮人民軍偵察総局、あるいは中国国家安全部一六局のいずれか、桧枝さんの件は同じく中国、そして、お父上の暗殺にはロシア対外情報庁が絡んでいる可能性が高そうです』

「うわ、相手が全部違う……」

「ご近所さんが勢ぞろいですね」


 理彩と明美があきれたように声を上げた。だが、サイには意味がわからない。


「えーっと?」

『端的に言うと、私シンシアが常時監視が可能な東アジア諸国のスパイ組織がすべて顔をそろえています』

「それは、つまり?」

『ええ、どの国も衛星わたしの存在を脅威に感じているのでしょう。多少手を汚しても、運用を妨害したい。そこで、一番のアキレス腱である理彩が集中的に狙われた、と、たぶんそんな理由ではないでしょうか』

「じゃあ、ここしばらく静かなのは?」

『理彩に強力な守り役がついたことを察知して戦略を練り直しているのでしょう』

「守り役?」

『あなたのことですよ、サイ』

「え? 何?」


 サイはいきなり話を振られて面食らった。


『あれ、本人に自覚はありませんか? お父様のことを別にすれば、これまでの襲撃をすべて一人ではじき返しているんですよ。敵からしたら相当な脅威に思われて当たり前です』


 日々、微妙にいじってくるシンシアが、思ったより自分を持ち上げてくるのでサイはなんだか居心地が悪い。


「いや、僕はただ理彩の護衛を……」

「そうです。これまでよく守っていただけましたわ」

「うん。それは私も本当に感謝してる」


 明美と理彩も同意のうなずきを返し、サイは照れくささに思わず後ろ頭をかいた。


『でもまあ、それも今までのことです』

「あのなあ」


 せっかくほんわかした空気に水を差すシンシア。


『事実です。相手は平和ぼけの日本人を狙っていた訳で、恐らく赤子の手をひねる程度に考えていたと思われます。でも、これからは考えを改めて来るでしょう。正規軍を相手にするつもりでガチガチに装備を固めてきますよ』

「ええー」

「でも、それだけの装備をこっそり日本に持ち込むのは難しいでしょう?」

「確かに、いくらこの国がお人よしでも、大量の武器を持ち込まれて黙ってはいないだろうし」

『ですから、敵は海から来ます』


 シンシアはそう断言した。


『前回、能登半島から日本海に逃れたテロリストは、最終的に北朝鮮と中国の国境に近い清津港に逃げ込みました。そして現在、清津港では数隻の潜水艦が出港の準備中です』

「え?」

『かの国の潜水艦が水中でどれほどの速度を出せるのかはわかりませんが、早ければ出港から四、五日で日本列島の太平洋側に到達するでしょう』

「だとすると……」

『ええ、もし今週末に出航したとしたら、来週の終わり、お父様の四十九日が明ける頃には、次の敵がやってきます。恐らくそれが……』

「それが?」

『……いえ、推測は止めておきましょう』


 シンシアは不自然なセリフでその話を強引に締めくくった。

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