第46話 理彩、天涯孤独になる
『サイ、たった今、理彩のお父様が……』
「え?」
シンシアの声はまるで本物の人間のようにかすれていた。
サイは息を飲むと、無言のまま急いで屋上から階下に降りる。彼を探していたらしい明美が、その足音を聞きつけて思い詰めた表情でやって来た。
「明美さん! 理彩のお父さんが!」
明美は無言で頷いた。
「理彩さんを起こします。サイ君も一緒に来て下さい」
明美は相変わらず硬い表情のまま、意外な頼みごとをしてきた。
「え、でも独身女性の部屋に」
「何言ってるの? 前にも、それに昨夜も一度お邪魔しているでしょう?」
「誤解されるような言い方はやめてください。あれはあくまで不可抗力です」
「とにかくお願いします。一人では、その……」
「一人では?」
「……彼女の前で泣いてしまいそうで」
明美の赤く腫れたまぶたを見てしまえば、それ以上拒むことなどできなかった。
彼女について歩きながら、突然の凶報に違和感が拭えない。
「変ですよね。理彩のお父さんの病状は回復してるはずではなかったのですか? 理彩の話では、確か、来年の頭頃には仕事に復帰できると——」
明美は唇を切れそうなほどかみしめて首を横に振った。
「昨夜遅くに容態が急変したと聞いています。あまりにも急で、医者もほとんど手の施しようがなかったそうです」
その言葉を明美自身がまったく信じていないことは、その悔しそうな表情からよくわかった。
「すいません。注意しておくべきでした。ここ最近、理彩のことばかり気にして、周りのことに気が回りませんでした。ボディーガードとして——」
「いいえ、サイ君の責任ではありません。むしろ秘書の私がもっと気を回すべきでした。この会社の創業者はお父様です。理彩さんが狙われるのなら、当然お父様にも同じだけの危険が及ぶ可能性はあったんです。せめて櫻木医官の所に移すとか、予防策は色々あったはずなのに……」
歯を食いしばり、必死に涙をこらえる明美。
だが、すべてはもう後の祭りだった。
通夜、そして葬儀は、まるで嵐のような準備の慌ただしさとは対照的に、しめやかに営まれた。
理彩は左胸に黒い喪章を着け、会場の入り口に立って大勢の参列者を淡々と迎えた。その表情はまるで能面のように平坦で、参列者にお悔やみを言われてもただ頭を下げるだけで、ほとんど口を開くこともなかった。
明美がそばに立ち色々とサポートしているものの、はた目には、まるでまるで魂が抜け出たように存在感が薄く、はかなく見えた。
「まあ、普通に無理だよな」
サイは会場の隅に所在なく立ちながら、そんな理彩の様子をじっと見つめていた。
理彩は父の死を知らされても取り乱したりせず、どこかに感情を置き忘れてしまったように淡々としていた。サイが何かと話しかけても、受け答えは驚くほどに普通だ。嘆きもせず、もちろん笑いもせず、まるでアンドロイドのように最低限の答えが機械的に戻ってくるだけだ。
だが、そこに彼女の感情はまったく見えない。内面で荒れ狂う激情を表に出すまいと押し殺す、そんな彼女の姿を視界に捉えているだけでサイは胸が痛んだ。
参列者には、会社の職員や取引先のほかにも、男女問わず鍛えられた体つきの人間が少なくなかった。最初は見過ごしていたけど、似たような目つきの鋭い人間が二人、三人と続くうちに、その気配が元の世界で知り合った歴戦の騎士団員に近いことに気づいてピンときた。
(柘植リモートセンシングは、理彩や僕が思っている以上に軍関係者との付き合いが深かった?)
だとしたら、もっと早く庇護を求めることができたのではないだろうか? 理彩はこんなに傷つかなくて済んだはずなのに。
一度そう思ってしまうと、この詰んだ状況がさらに悔しい。
「桧枝君」
物思いにふけっていたサイは、突然呼びかけられて慌てて顔を上げた。
そこには、喪服を着込んだ櫻木医官がぽつねんと立っていた。
「たった今、焼香を済ませてきたんだ。で、今から少し話ができないかな?」
「僕に、ですか? 理彩も必要ならもう少し待って——」
「とりあえず君に……いや、やっぱり理彩君も呼んでくれないか。内密の話がある」
「はあ」
普段のおちゃらけた調子はみじんもない。サイは内心首をひねりながら、斎場のスタッフに頼んで小さめの控え室を貸してもらった。
「いや、こんな時にすまないね」
サイと理沙が部屋に入ると、櫻木はソファにどっかりと腰を据えており、まったくすまないとは思っていない表情で二人に切り出した。
「つい先日、君達の採血をしただろ? あれについてちょっと奇妙なことが判ったんで、ついでに様子を見に来たんだ」
「……何でしょうか?」
理彩は、早く会場に戻りたい様子で、ドアの前に立ったままで答えた。
「うん。桧枝君の検査結果がおかしいっていう話は前にもしたよね。ところが、最新の結果では、君だけではなく、姫にも同じような症状が見られてね」
「は?」
「あの正体不明の血球成分が、姫の血液からも検出されたんだ」
「はあ? それって一体……」
「うん」
櫻木はそこで言葉を切り、両手のひらをすりあわせるようにしながら身を乗り出した。
「で、ちょっと答えにくい質問かも知れないが答えて欲しい。君達二人、最近肉体的な接触を試みたりしなかったかい?」
「肉体的……何です?」
「ああ、開けっぴろげに言うと、キスや、あるいはもっと先——」
「「はぁっ!!」」
二人の声がユニゾンで響く。
「ちょっ! いきなり何を言い出すんですか!!」
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