第45話 サイ、侵入者の正体にがく然とする
侵入者が顔を押さえてその場に崩れ落ちるのをカーテンの隙間から確認したサイは、ベランダから駐車場に飛び降り、建物の裏手にある勝手口に走る。
扉の脇にある鍵盤にカードをかざし、もどかしく暗証番号を打ち込んで扉を開くと、そのまま二段飛ばしで裏階段を駆け上った。
「侵入者だ! すぐに桧枝さんに知らせて!! あと、警察も!」
驚いて顔を出したメイドに短く叫び、彼女が止めるのも聞かずに廊下を突進し突き当りの扉の前で躊躇する。
さすがに、理彩の部屋の暗証番号までは知らされていない。一瞬眉間を寄せて悩んだ末、サイは指先で極小の魔法陣を構築し、それを鍵盤にあてがって解析の術式を走らせる。
数秒後、ピピッと鳥のさえずりにも似た音が響き、鍵はあっけなく解除された。
すかさず扉を押し開くと、すぐ目の前には黒ずくめの衣服を身につけ、両目をおさえて悶絶した男が転がっていた。
すぐそばには彼が構えていたであろう細身のナイフも放り出されている。サイはとっさにナイフを男の手の届かないところまで蹴り飛ばし、とりあえず男は放置して理彩の枕元ににじり寄った。
安らかな寝顔と規則正しい寝息を確認し、まずはほっと一息つく。
寝る前に強い睡眠薬を飲んだせいで、すぐそばでこれだけのことが起きても目覚めることはなかったらしい。
あるいは、もしや処方された薬の他に何か……と疑心暗鬼になりかけ、それができるくらいなら今頃彼女は毒殺されているはずだと思い直す。
サイの前では気丈に振る舞っていても、やはり相当に疲れていたのだろう。
「……とりあえず、良かった」
小声でつぶやき、ほーっと長い息を吐く。
一歩間違えばまったく何の抵抗もできずに理彩が殺されてしまう未来もあった。また、たとえそうならなかったとしても、この状況で目の前にナイフを突きつけられれば、理彩は回復不可能なトラウマをもう一つ余計に抱えることになっただろう。サイは、最悪の未来を回避したことに心から安堵した。
そのまま静かに後ずさり、慎重にナイフを回収したサイは、いまだ小刻みに痙攣する男の足を掴んで廊下に引きずり出し、部屋の扉を静かに閉じた。
「警察には連絡しました! あと、桧枝さんはどこにもいらっしゃいませ——」
駆け寄ってきたメイドがそう言いかけ、ヒッと小さく悲鳴を上げて口を押さえた。
「ひ、桧枝さん!?」
「え?」
まん丸に目を見開いたメイドの視線をたどって振り返ったサイは、改めて男の顔をまじまじと見て絶句した。
「あ、桧枝さん! どうして!?」
男は、柘植家に長く仕え、周囲からの信頼も厚い老執事その人だった。
夜明け間近の空はほんのりとすみれ色に輝き、東の地平線は次第に明るいオレンジ色に染まり始めていた。
サイは屋敷の屋上に一人立ち、ぼんやりと呆けたように明けてゆく空を眺めていた。
警察の現場検証は深夜過ぎまで続いた。
理彩の聴取はいまだ眠り続ける本人の体調を考えて日中に改めて、ということになったが、サイ自身は事件の当事者で、その上容疑者でもある桧枝執事の遠縁という立場だったので、現場検証に加えてかなり執拗な事情聴取を受けた。
明美に言われて暗記するまで覚えさせられた偽の半生が今頃になって役に立った。だが、強面の捜査員に何度も何度も質問の仕方を変えながら同じことをしつこく聞かれ、まるでおろし金に乗せられたようにゴリゴリとメンタルを削られた。
「理彩、大丈夫かな」
それでも、サイは理彩の今後を思ってぽつりとつぶやく。
もはやボディーガードうんぬんの話ではなく、彼女に近い一人の人間として、追い詰められた彼女の精神状態が純粋に心配だった。
重病の父親の代役として会社の代表を務め、様々な重圧に耐えながらこれまでなんとかやって来たところに、立て続けの暗殺未遂。
その上、直近の事件は桧枝家に長く仕え、理彩自身がもっとも信頼するうちの一人が引き起こしたのだ。
普通、ここまで理不尽な仕打ちを受けて折れない方がおかしい。
なぜ神はこれほどの試練を理彩に与えるのだろう。せめて、誰かが支えになってあげないと。サイは愚直にそう思った。
「あるいは、僕の存在こそが引き金になった……?」
不思議な女神に導かれるように理彩を出会ったあの日。彼女が正体不明の敵に襲われたのはあの日が初めてだったらしい。
サイが柘植家に招かれたその日から、襲撃者の動きはつとに激しさを増した。銃器の所持が禁じられた平和なこの国で、目立つことを恐れずお構いなしに発砲を繰り返すその様子からは〝なりふり構わず〟という言葉がまさにぴったりくる。
多分、敵も手段を選んでいられない何かの事情があるのだ。
そうでなければ、十年、二十年がかりで
執事の桧枝は理彩の父が会社を興した数年後に採用され、以来二十年近く彼の忠実な部下だったと聞いた。定年を迎えてからは自宅の管理をする立場に変わったが、よっぽどの信用がなければ他人を家族に近い立場に置くことなどありえないはず。
『サイ!』
だが、サイの思考はそこで遮られた。脳裏に突然響いた悲鳴のような合成音声に、サイは妙な胸騒ぎを覚えた。
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