第44話 サイ、庇護者を求める
『現場から逃亡した観測手は横浜中華街に一時潜伏し、顔と服を変えた後、上越新幹線で日本海側の都市金沢へ、そこからさらにレンタカーで能登半島の北端に移動し、漁船で日本海に出ました。現在おおむね北西方向に航行中ですが、天候が悪化したため、雲に阻まれて船内の詳しい状況までは判りません』
シンシアの報告に、明美は大きなため息をついた。
「それじゃあ、どこの工作員だか判然としないわね」
そう言って腕組みをしながら睨みつける大型スクリーンには、日本地図と、その上に赤線で示された逃走経路が表示されている。
「とりあえず司法解剖されている狙撃犯の身元がわかれば、もう少し的が絞れるのかも知れないけど……」
控えめなノックの音がそれ以上のつぶやきを遮る。
「はい、どうぞ」
返事に応えて会議室に入ってきたのはサイだった。
「どう? 落ち着いた?」
「ええ、念のため寝付くまで付き添ってました。自宅の方は地下の宿直室に桧枝さんが泊まり込んでくださるそうです。僕も後で
「そう、ごめんね、ありがとう」
明美は礼を言うと悲しげに目を伏せる。
「さすがに立て続けはしんどかったかしら」
「ええ、思い直してみると、今日は朝の時点からもう様子が変でしたね。無理してはしゃいでる感じで。その上あんなことがあった訳ですから……」
「そう……」
理彩の負った傷は全治二週間と診断された。
傷跡は一生残ると聞いてその場で両膝をついて詫びるサイに対し、理彩は異常なほど陽気にヘラヘラ笑いながら「あはは〜、大丈夫大丈夫」と軽く言ってのけた。
そのはしゃぎっぷりはまるで酔っ払っているようで、誰が視ても明らかに常軌を逸していた。
その場で中度の躁状態と診断され、医師により安定剤と睡眠薬が処方された。
自宅の修理はまだ廊下や一階の一部が終わっていなかったが、予定を早めてホテルの部屋は引き払うことにした。慣れない仮住まいでは、
急ぎ家具の運び込みを終わらせた自室に戻った理彩は、サイに付き添われて早々にベッドに入った。
「慣れた環境で少しでも落ち着いてくれるといいんだけど」
明美はそう言って眉をひそめる。
ベッドやクローゼットなどの家具はもちろん、家電やカーテンの柄、本棚の本に至るまで、サイの完全記憶能力を
さすがに衣服やアクセサリーのような小物までは再現のしようがないが、まったくなじみのないホテル暮らしを続けるよりは少しはマシなはず。二人はそう願った。
「そうですね」
サイもまた、深いため息をついた。たとえ命は守れても、依頼人に大ケガをさせ、その上精神状態まで乱してしまっては、ボディーガードとしては失格だろう。
「明美さん、相談があります」
サイは意を決すると、明美の目をじっと見据えた。
「明美さんの属する組織に理彩を庇護していただくことはできませんか?」
「えっ!」
明美は絶句した。
「サイ君、いきなり何を言い出すんですか? 私はここ、柘植リモートセンシングに雇われた秘書——」
「確かにそれはそうなんでしょうけど、実はそれだけじゃありませんよね?」
「……どうしてそんな荒唐無稽なことを思いついたんです?」
「主に普段の歩き方、それから、櫻木医官と話しているときの表情から、ですかね」
明美は思わず目を見張った。
「明美さんの歩き方は僕の知る斥候のそれに似ています。かかとの高い靴を履いていてもほとんど足音を立てないし。それに、櫻木医官が僕にシャワーを浴びろと勧めたときも彼の言葉に反応して変な顔してました」
「……ああ」
「それに、みなとみらいの襲撃犯が米軍? じゃないって強く主張したのも明美さんでしたよね」
明美は諦めたようにため息をついた。
「そうやって聞かされると、結構あちこちでやらかしているわね、私」
「一つ一つは大した手がかりじゃありませんけど、僕、一度でも見たことは忘れないので」
「参ったわ。降参」
明美は自分の隣の椅子をポンポンと叩くと、サイに座るように促すと、内緒話をするようにサイの耳に顔を寄せた。
「そこまでばれているんじゃ隠しても仕方ないわね。私は、アメリカ国家地理空間情報局、通称〝NGA〟の職員です」
サイは、明美の吐息のくすぐったさに首をすくめつつ、彼女が思ったよりあっさり正体をさらしたことに目を丸くする。
「それは、どんな?」
「そうね。国防総省の傘下にはあるけれど、軍隊じゃなくて、衛星画像などの分析を専門にしている機関なの。柘植リモートセンシングには、先進的な地上探査の整備計画を持っていることを聞いて五年ほど前にコンタクトを取りました」
「密偵、ですか?」
「いいえ、理彩さんのお父様にお願いして、派遣職員として受け入れていただきました。社員は知らないと思いますけど、お父様はすべてご存じですよ」
「で、それ、理彩は?」
「いえ……まだ知らないと思います」
「……そうですか」
すまなそうに肩をすぼめる明美。
「僕は明美さんはてっきり軍人さんだと思っていました。もしそうなら、もっと強力に理彩を守ってくれるんじゃないかと期待していたんですが」
「確かに陸軍で偵察員としての訓練は受けたけど……。色々あって転籍したの。ごめんなさい。大したお役に立てなくて」
明美は苦笑いを浮かべて頭を下げた。
「まあでも、それを願うなら櫻木医官に相談する方が適当かも知れないわね。彼、海自の幹部だし」
「海自?」
「そう、海上自衛隊。この国の防衛組織。彼が横須賀の病院にいるのは今もアメリカ海軍とのつながりがあるからよ」
「……なるほど」
サイは
その時、シンシアが鋭い声を上げた。
『サイ、自宅の二階に侵入者!』
サイは反射的に窓を開け放って庭に躍り出ると、一直線に理彩の部屋に向かった。
今、理彩の自宅には、睡眠薬で眠りについた理彩の他には、老いた執事の桧枝と、数人の若いメイドしかいない。武器を備えた暗殺者に対抗できるとはとても思えない。
理彩の部屋は二階。だが、こちら側から見る限り、一階二階とも硝子が破られている窓はどこにもない。
建物の裏手にあたる廊下側には人が通れないような細長い明かり取りの窓しかないので、侵入者は窓ではなくどこか別の侵入口から入り込んだことになる。
「そんなバカな!」
侵入者を追って屋敷に入り込もうとしたサイは、もくろみを外されて戸惑う。
この建物は玄関も勝手口も扉はすべて自動的に施錠され、外からは専用のカードキーを使い、暗証番号を打ち込まない限りは開かない。会社と自宅をつなぐ地下通路の門扉ももちろん例外ではない。
「一体、どこから!?」
サイは駐車している箱形の社用車の上に飛び乗り、ベッコリと凹んだ屋根を跳躍板代わりに魔法で跳ね上げ、二階のベランダに向けて跳躍する。
その時、カーテンの隙間を背の高い痩せた人影がすっと横切るのが見えた。
このままでは間に合わない。
窓はすべて分厚い防爆硝子がはめられていて、外からの狙撃や前回のような火箭の直撃にも耐える。当然、人間の力で多少殴る蹴るしたところで破ることは絶対に不可能だ。
敵の攻撃から理彩を守るはずの頑丈な構造が、今は逆に理彩に忍び寄る侵入者とサイの間を絶望的なほどに隔てている。
「くそっ!!」
サイは両手をぴったりと分厚い硝子に沿わせ、魔力の限りを尽くしてプラズマの球を硝子越しに現出させると、侵入者に向けて手加減なしに放出した。
瞬間、堅く目を閉じていても視界が真っ白になるほどの光がサイの手からあふれ出し、激しい空電音を伴いながら侵入者に迫る。
サイの気配に思わず振り向いてしまった侵入者は、突然目の前ではじけた光の奔流に視神経を灼かれ、脳にまで達する痛みに絶叫した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます