第43話 サイ、日常と決別する

 その日、朝食を取り終えたサイは理彩と共に久しぶりに登校した。

 そろって一週間の欠席明けということもあり、久々に姿を見せた二人を見て、クラス中に好奇の視線とざわめきが満ちていた。


「ねえ」


 席に着くと、早速隣の席の茶髪の女子が声をかけてきた。


「桧枝君、入院してたって噂、本当?」

「え、ああ、まあね」


 適当にごまかして頭をかくと、右手の包帯をめざとく見つけられる。


「あ、ケガ……。ひどいの? もしかしてそれ、柘植さんが絡んでる? 何があったの?」

「どうしてそう思うの?」

「だって、二人一緒にずっと休んでたし……」


 サイが本当に入院したのはほんの一、二日。それも櫻木医官に無理矢理引き留められて、のことだ。その後は家探しのゴタゴタと、シンシアとの悪巧みで登校できなかっただけなのだが、どうやら彼女の中では勝手にサイが理彩に巻き込まれた被害者という扱いになっているらしい。


「これは自分でヘマをやっただけでそんなに酷くないんだ。あと柘植さんはまったく関係ない」

「本当? でも、みんな言ってるし……」

「ただの噂だよ。ところで、僕が入院したって話、一体誰に聞いたの?」


 サイにとってはそっちの方がずっと謎だった。担任の教師にもケガで数日休むと連絡しただけで、しかも入院先は電車とバスを乗り継いでここから一時間以上は離れている。生徒の誰かが偶然見かけたというのも考えにくい。


「え? ええっと、誰だったかな……」


 彼女はわかりやすくうろたえた。

 かと思うと、ちょうど教室に入ってきた教師の姿を見て話を打ち切り、そそくさと居住まいを正した。どうやら、噂の出元について詳しく話すつもりはないらしい。

 何気なく窓際の最後尾に目をやると、理彩もへの字口で小さく肩をすくめて見せた。




「どう? サイの目から見て、怪しい生徒はいた?」


 昼休みの空き教室。

 理彩は明美謹製の弁当箱の包みをガツンと机に置きながら、ふくれっ面で椅子に腰掛ける。


「隣の席の子は明らかに変だね。どこかから僕らの個人情報が漏れていて、積極的に情報を聞き出そうとしてくる。あとのヤツはまあ、その子の取り巻きだね。単なる興味以上のものはないっていうか……」

「……そう」


 理彩はそれを聞いて小さくため息をつく。


「それにしても、人の顔を見ながらコソコソするの、やめて欲しいよね。聞きたいことががあるのなら正面から直接私に当たって砕ければいいんだよ、ドーンと、さ」

「……砕くつもりはあるんだね」


 休み時間も授業中も周り中でひっきりなしにひそひそ話を繰り返され、そのくせ理彩本人には話しかける者もなく、弁明も抗議もできずに相当にうっぷんが溜まっているらしい。一つ一つの動作がいつもよりちょっとだけ荒っぽい。


「こっちもまあ、だいたい似たようなもんだけどね。お前は理彩と一体どういう関係だ? なぜ転校早々一週間も休んだんだ? そのケガは何だ? そもそも高校生が学校を休んで何をやってるんだ? とかさ」

「あー、本当マジウザいなー。いっそのこと、私とサイ君は付き合ってまーす。新婚旅行に行ってきましたー、とかデタラメ言ってやろうかしら」

「……多分大騒ぎになると思う。ちなみに言っとくと、結婚前の旅行は婚前旅行になると思うんだけど」


 サイは思わず顔を赤らめながら返す。だが、誰もいない無人の空き教室に二人きり、こうして差し向かいで同じおかずの入った弁当をつついていれば、そういう噂はいずれ自然に出てもおかしくはない。


「ホント、他人のことなんてどうだっていいじゃない。この際いっそのこと、二人で誰もいない南の島にでも逃げちゃおうか」


 サイと目を合わせようとはせず、明らかにおかしなテンションで爆弾発言を繰り返す理彩。見れば彼女の頬もほんのり赤く染まっている。

 サイはそんな彼女の横顔を眺めながら、どうしても心配が拭えない。

 今朝、この先も襲撃が続くだろうというサイの指摘に、理彩は心底げんなりした表情を浮かべていた。現にこれまで四度も命を狙われ、この先もどこまで続くかわからないという状況に、彼女の神経は一体どこまで耐えられるだろうか。

 高校生ながら会社の社長を務めているとはいえ、彼女だって普通の女の子だ。サイのように命を張った任務を何年もこなしてきたわけじゃない。


「……遠からず限界が来る。あるいはもう……」

「うん? 何?」

「いや、何でもない」


 サイは思わず口から漏れたつぶやきをごまかすように理彩から目をそらし、何気なく窓の外の風景を眺めた。

 抜けるような青空には刷毛で掃いたような雲が薄く広がり、そのまま視線を下げれば他の建物より頭一つ背の高いレンガ色の高層マンションが明るく目立つ。


「うん?」


 その時、マンションの屋上で一瞬、何かが光ったような気がした。


(シンシア!)

『どうしました?』

(僕の現在地から見て南東方向、レンガ色の高層マンション屋上をて!)


 心の中でシンシアを呼び出しながら理彩の手を取る。その勢いで弁当箱がはじけ飛び、食べかけのおかずが床に散乱するが今は構っていられない。


「な、なに!?」


 理沙は引きずられるままに立ち上がり、ぎょっとした顔をサイに向ける。


「ここはダメだ。伏せて!」


 理彩を窓から遮るように数歩回り込み、そのまま彼女を自分の体で包み込むように床に押し倒した。

 サイの背後で窓にビシリと同心円状のヒビが入る。

 ヒビ割れはまたたく間に窓枠全体に広がり、ついには硝子全体が爆ぜるように細かく割れて飛び散った。


「!!」


 その瞬間、理彩の二の腕に血しぶきが舞った。


「理彩!!」


 それを見たサイの頭にカッと血が上り、視野が真っ赤に染まる。


「理彩!!」


 降り注ぐ硝子の破片から理彩を守りながらサイは絶叫する。

 その時になってようやくタターンという連続した発砲音があたりに響き渡った。


『犯人達が移動を始めました。狙撃犯と観測手の二人、上空からのライブ映像を共有します』


 サイの奥歯がギリリと鳴る。


「逃がさない! キリシ、アルケイオン・イ・ル・グオラ! 不可視の銀針よ、天より降りてかの者を貫きたまえ!」


 怒りで我を忘れた。

 思えば、マンションで炎に巻かれたときも、みなとみらいで上陸してくる敵を退けたときも、ギリギリとはいえ心の底はどこか静かでいられた。自分は彼女のボディーガードなのだからと冷静に構えることができていた。

 だが、今、目の前で理彩が傷つけられたのを見た瞬間、サイの心の余裕はあっけなく吹っ飛んでしまった。

 野獣討伐で使い慣れた必殺の攻撃魔法を、サイは荒れ狂う衝動のままこの世界の人間に向けて初めて放った。


『狙撃犯、転倒!』


 これまでのような正当防衛……敵の攻撃をただ防ぎ、払うためではない。

 はっきりと、明確な殺意を持って、サイは自分の魔法を敵に向けた。


『心音消失! 狙撃犯……死亡しました』

「……ああ、ここでも人殺しになっちゃったか」


 その時サイには、この世界に転移してやっと手が届きそうだったおだやかな日常が、割れた硝子窓のように音を立てて崩れていくのが遠くで聞こえたような気がした。

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