第38話 決意

 結局、サイの退院は翌日になった。

 理彩は今すぐの退院を要求したが、櫻木が精密検査の必要性を主張して最後まで首を縦に振らなかったのだ。

 おかげで、サイは早朝から各種検査のために何度も血を抜かれ、おまけに次から次へと検査機器をはしごする羽目になった。

 一通りの検査が終わるころには昼を回ってしまい、理彩の機嫌は時間と共に急降下した。


「で、結局、サイ君は一体いつになったら退院できるんですか? お・じ・さ・ん!」


 全身から立ち上る不機嫌オーラを隠そうともせず、理彩は櫻木に食ってかかる。


「いやあ、桧枝君のような症例は稀少でねえ、できることなら一週間くらい滞在してもらって、この際じっくり——」

「ふざけないでください!」

「じょ、冗談だよ姫〜」

「その、〝姫〟ってのもそろそろやめてください!」

「何を言うんだ。君は親友の娘さんだよ。どれほど丁寧に扱ってもバチは当たらない——」

「だから、それが迷惑だと言っているんです!」


 今にもブチ切れて飛びかかりそうな理彩の剣幕に、櫻木はようやくからかいの手を止めて表情を引き締める。


「じゃあ、少しだけまじめな話をしようか」


 そう前置きすると、メタルフレームの眼鏡をくいっと持ち上げ、手元の書類を理彩とサイが見やすいように向きを変えて机に置く。


「これは桧枝君の血液検査の結果だ」


 数字の羅列された用紙を凝視する。だが、サイの知識ではそこに何も読み取ることはできなかった。


「こうして外から見る限り、桧枝君は肌つやもいいし極めて健康体だ。にもかかわらず、血液検査の結果は明らかに変なんだ。赤血球、白血球、血小板の数値がかなり悪い」

「つまり、どういうことです? もったいぶってないで教えて下さい」


 理彩が直球で質問を投げる。

 検査結果が理解できないのは自分だけではなかったと判って、サイは少しだけほっとする。


「じゃあ解説ね。数値だけを見ると、桧枝君は重度の貧血で今にも倒れそうだ。その上深刻な免疫不全を患っていることを示唆している。血小板の数もかなり少ないから、ちょっとした怪我でも血が止まらず大出血になる、はずなんだ」

「えっ!」

「そう、実際はむしろ逆だったよね。とにかく桧枝君は色々おかしい」


 サイは理彩と顔を見合わせた。


「で、どうしろ、と?」

「うん。言ったように、血液検査の数字だけ取り出して見ると立って歩いているのも不思議なレベルだ。だが、本人はいたって健康でピンピン動いている。だとすると、今すぐにどうこう、というレベルではなく、慎重に様子を見ましょうか、という話になってくるんだが——」

「お願いします。この話、しばらく表には出さないでもらえますか?」


 次第に顔色を変えた理彩がガバッと頭を下げた。サイもつられて頭を下げる。


「もちろんそのつもりだ。まだ追加の検査結果も出そろってないし、もちろん桧枝君のプライバシーもある。こういうことに軽々しい診断は下せないしね」

「ありがとうございます」

「で、詳しい事情はいずれ話してくれるんだよね?」

「……時が来れば」


 じっと二人の様子を見つめていた櫻木は、ふっとため息をついて肩の力を抜いた。


「姫、君がお父さんの後を継いで、その身に余る重圧に耐えて頑張っていることは私もよくわかっているつもりだよ。だから、何もかも一人で抱え込まないで欲しい。時には周りの人間に頼ることを忘れないでくれたまえ」

「……判りました」


 頭を下げたままの理彩の横顔は、なぜかとても辛そうに歪んでいた。

 サイはそれを見て、内心でとある決意を固める。




 退院したサイと理彩は再びホテル住まいとなった。だが、新しい部屋探しは難航し、一週間経っても部屋は見つからなかった。

 

「すいませんすいません。できるだけ早く住まいを探しますから」


 明美は顔を合わせるたびに恐縮して頭を下げてくる。

 だが、何度も家を燃やされたニュースが近くの不動産屋にも広まっているらしく、理彩の会社や高校に通いやすい住まいはなかなか見つからない。


「条件を少し下げれば物件が全然ないってわけじゃないんですが、お二人の場合、防犯面やセキュリティの問題もありますのでそこは譲れません」


 確かに、道路から石を投げればあっさり届くような部屋や、隣の音が丸聞こえの壁の薄い安アパートでは、どうぞ襲ってくださいと頼んでいるようなものだ。テロリストの襲撃にご近所さんを巻き込むわけにも行かない。


「ご自宅の工事も急がせているんですが、どんなに急いでも二ヶ月はかかりそうで……」


 言葉を濁し、ため息交じりにハンカチで額の汗を拭く明美。


「だったらこの際、会社の駐車場にキャンピングカーでも入れて、二人でそこに住むってのはどうだろうね?」

「……そこそこ大きな車でも中はかなり狭いですよ。もちろん個室なんてありませんし、プライベートはほぼゼロですよ。我慢できますか?」

「うーん。じゃあさ、サイ君と私でそれぞれ一台ずつとか……」


 面倒くさくなって適当なことを言い出した理彩と、それをやんわりと諫める明美を苦笑しながら眺めていたサイは、不意に頭の中に響いた声に、心の中だけで返事をして立ち上がる。


「じゃあ、僕は部屋に戻ります。おやすみなさい」

「うん、おやすみ」


 まだ何か打ち合わせが残っているらしい二人を残し、サイは静かに部屋を出た。


『サイ、敵が動き出しました』

「了解」


 廊下に出て後ろ手にドアを閉めたところで短く答えたサイは、部屋には戻らずエレベーターに乗り、一階のロビーに降りる。


「迎え撃つならどこがいいかな」


 小走りでエントランスを出ながら、サイはなんとはなしに夜空を見上げる。


『海岸沿いに左手に向かって下さい。大きな公園があります。敵は小型のボート三隻に分乗して、風力発電所のある対岸の埋め立て地からまっすぐこちらに向かっています。正確な人数はまだ不明ですが、上陸して分散されるとかなりやっかいです』

「判った」


 サイと話しているのはシンシアだ。

 サイとシンシアの間には、なぜか正体不明の直通通信回線が存在した。おかげでサイは心の中で念じるだけでシンシアと連絡を取ることができる。

 数日前、その事実に偶然気づいたサイは、理彩や明美にも黙ってシンシアと連絡を取り合い、彼女の能力を使って敵の襲撃を警戒していたのだ。

 

「奴らはテロリストで間違いはない? 一般人と見間違いはしていないよね」

『……銃やロケットランチャーを装備して、夜陰に紛れて船を出す一般人はなかなかいませんよね』


 実体を持たない彼女シンシアが皮肉っぽく笑うのが見えるような気がした。

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