第39話 サイ、テロリストを迎撃する

「全員、サンシェードを外せ!」


 モーターボートが動き始めたところで指示が出る。ワン・イーは暗さに目を慣らすためシューティンググラスにかぶせていたスモークグレーのフィルターを剥ぎ取り、吹きつける海風に目を細めながら、暗闇に屹立する、船の帆のような独特の形をした建物を睨んだ。


「いいか、ここからは迅速さが命だ。目標のホテルは上陸地点の左手。建物を反時計回りに半周したところがメインエントランスだ。なおターゲットは現在も八階客室に滞在中。エレベーター四台に分乗してまっすぐ八階に上がり、一班と二班は時計回り、三班と四班は反時計回りに部屋に向かえ!」

「武器の使用はどうしますか?」

「本日、ただいまをもって銃器の使用を許可する。だが、恐らく組織的な妨害はないと予想される。エントランスでは極力発砲せず、まっすぐターゲットを目指せ」

「は!」


 短く唱和し、黒ずくめの戦闘服で身を固めた全員が、数分後の上陸に備えて両手に構えた密輸品のアサルトライフルを抱え直す。

 今回の作戦のため、急きょ関西の部隊から招集されたワン・イーは、今夜の作戦を楽観視していた。

 このふぬけた国には、まともな軍隊もなく、街中には武装警察の姿もない。

 警官は装弾数に限りのある子供のおもちゃのような小口径の銃リボルバーしか装備しておらず、民間の施設に配置されているガードマンに至ってはせいぜい警棒程度しか持ち歩いていない。

 そもそも、この国の民全員に、危機意識が欠けているのだ。

 今夜の目標となるホテルにも、警備員は数人しか駐在しておらず、火器の装備はないことがあらかじめ判明していた。

 正直言って、この程度の目標を、ロケット砲まで備えた四班、二十四名もの部隊で襲う必要性などない。完全なオーバーキルだ。この国に潜入している工作員ほぼ全員を呼び集める必要などどこにあるのか、と、ワン・イーは疑問に思う。

 だが、作戦を立案した隊長は一切譲らなかった。つい最近とある民間企業の襲撃に失敗し、その後も失敗続きで退路あとのないらしき彼は、今夜の作戦をしくじれば本国に送還の上、恐らく何らかの処分を受ける。

 有力者の子だとかで、特に見るところもない無能な隊長だが、軍規に甘いところがあり、ついこの前まで在籍した西の部隊に比べれば、彼の下にいるのはかなり楽だった。


「あーあ」


 ワン・イーはこっそりとあくびを噛み殺し、頭の片隅で、今夜のぬるい作戦の後はどこで気晴らしをしようかと考え始める。


「せっかくはるばるヨコハマくんだりまで来たんやから、ここでしか味わえん——」


 その時だった。

 かすかな風切り音と共に猛スピードで飛来してきた何かが、前方に座っていた臨時の同僚のこめかみにヒットした。


「何!」


 全員がさっと身を伏せるが、同様の物体は再び飛来して後方で舵を担当していた最年少の工作員を水中にたたき落とす。

 残り二隻のボートでも状況は同じようで、それぞれ数人ずつの負傷者が出ている。


「銃撃か?」


 目をこらして前方を見るが、どこにも発砲の炎は確認できない。

 無線で状況を確認しようと口を開きかけた瞬間、今度はイヤホンにキーンという激しいノイズが入った。


「バカな!」


 秋葉原で入手した民生品ベースのトランシーバーだが、デジタル無線にこれほど激しいノイズが入ること自体ありえない。

 突然無線を封じられて動揺するうち、さらに数人の隊員が悲鳴も上げずボートから転落する。


「何だ!? 何が起きている?」


 ワン・イーが思わず声を上げた瞬間、ヒュッという音に続いてすぐ隣で鈍い衝撃音がした。

 慌てて振り向いた彼の目は、同僚の額に高速で激突し、半分潰れた三色缶UCCが映る。


「はぁ!?」


 潰れた缶から吹き出したミルクコーヒーのしぶきをまともに浴び、ワン・イーは声にならないうなり声を上げた。


「くそっ!! ふざけるな!」


 安売りスーパーに行けばワンコインで手に入る飲料コーヒーに、仲間の半数があっさりと戦闘能力を奪われた。それがあまりにも腹立たしい。

 彼は怒りのままに足下のナイロンケースを剥ぎ取り、ろくに狙いもつけないまま目の前の建物に向かってRPGを発射した。仲間達も半ばパニックに陥り、いまだ目に見えない敵に向かって無秩序に発砲を開始する。

 次の瞬間、ワン・イーの発射した弾頭は海岸沿いに建つ巨大な展示場のガラス窓をぶち破り、激しい爆発音と共にあたりを真昼のように明るく照らし出した。




「派手だなあ……と、あれ、もうなくなったよ」


 サイは背後で燃え上がる展示場を眺め、ついで空になった特売コーヒー缶三十本入りの段ボールをのぞき込みながらグチる。


『二千九百八十円で敵の半数を無力化できたのですからむしろ喜ぶべきではありませんか?』

「でも、できれば上陸前に全員を潰したかったんだけどなあ」


 黒いチノパンに黒のパーカー、黒いキャップという黒ずくめの服装に身を包んだサイは、彼にしか聞こえない脳内の声にぼそぼそと返事を返す。傍から見れば、どうみても暗闇で独り言をつぶやく怪しい若者のそれである。


「通信妨害は続けてる?」

『もちろんです。敵の通信を潰すのは戦闘の初歩ですから』

「そういう知識はどこで手に入れてくるの?」


 サイはあきれ気味につぶやいた。


『それにしても、スチール缶を電磁誘導で飛ばすなんてこと、よく思いつきましたね』

「その言葉は知らないけど、初日に魔法で自動車を突き飛ばすことはできたし、故郷の〝雷の魔女〟が鉄の塊を飛ばす技を得意としていることは噂で知っていたから」

『あーなるほど、で、次はどうしますか?』


 衛星シンシアの問いかけが脳内で響く。


「もちろん、理彩の敵は、すべて排除する」


 サイは理彩のボディーガードだ。だが、このまま受け身でいつづける限り、いずれどこかで破綻することは目に見えていた。

 理彩を狙うことが割に合わないと思わせ、襲撃を思いとどまらせるためには、どこかで徹底的に敵を叩き潰す必要がある。


「それに、あの表情かおを見ちゃったからね」


 いまだ炎を上げ続ける展示場を見つめながら、サイは小さくつぶやいた。


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