第34話 サイ、病院で目覚める

 サイが断片的に覚えているのは、耳を聾する女の子の叫び声、視界を真っ白に染めるまばゆい光、不思議な浮遊感、恐ろしいほどの寒気、心臓の鼓動のようにリズミカルに全身を震わせる音と振動。

 そして、横たわる自分を見下ろしている黒い影。


「プハッ」


 まるで水面に浮かび上がるように意識が戻った。

 サイは肺に酸素を取り込もうと大きく息をつき、自分の鼻に管が入れられていることに気づいて顔をしかめる。

 耳元では、規則的にピッピッと鳥のさえずりのような音が鳴り続けていた。

 手首と肘の内側には両腕とも針が刺され、そのどれも細い管を介してベッドの両側にに吊られている透明な袋に繋がっていた。中に入っているのは赤色や薄黄色、そして水のような透明の液体。どれも失われた血と体液を補う物らしい。


「これは……」


 身動きしようとして、サイは体に力がまったく入らないことに気づいて愕然とする。


「あの、誰か」


 誰かを呼ぼうとしたが、消え入りそうなかすれ声しか出せない。だが、そうこうするうちに、サイがもぞもぞしているのを発見したライトグリーンの服を着た女性がすっ飛んで来た。


「桧枝さん! お目覚めになったんですね!」


 声が出ないのでかすかに頷くことしかできないが、かろうじて意思は伝わったらしい。


「すぐに医官をお呼びします。お待ちください」


 そう言うとパタパタと履き物を鳴らして駆けていった。


 


 先ほどの女性が医官と呼ばれる白衣の男性を伴って戻ってきたのはそれから間もなくだった。

 鼻から気管に差し込まれていた管が取り除かれたことで、ようやくまともに声が出せるようになった。


「私は医官の櫻木一佐です。では桧枝さん、まずはお名前と、生年月日をおっしゃっていただけますか?」

「サイ……桧枝佐為です。生年月日は、ええと」


 この名前をもらったときに渡された資料を思い出しながら答える。その後に続く一通りの質問も、脳裏に完全記憶された資料を読みながら無難に答えることができた。


「うん、記憶に問題はないようですね。では、この病院に運び込まれた経緯は覚えていますか?」

「いえ、爆発の煙に巻かれて屋上に逃げたところから先はまったく覚えていません」

「……そうですか。桧枝さんは……いえ、詳しいご説明はご家族がお見えになってからの方がよろしいでしょうね」


 櫻木医官はその後もサイの腕をとって脈を測ったり、帯のような物を上腕に巻いて何かを測ったりしたあと、右足の付け根の傷口を確認し、表情を幾分緩めた。


「実を言いますと、動脈からの大出血で当初は生死すら危うかったのですよ。ですが、輸血で血圧もかなり安定しましたね。銃創の状態もちょっと信じられないくらいいいですし、恐らく、もう危機は脱したと思います」


 彼はそう太鼓判を押すと、ではまた後ほど詳しく、と言い残して立ち去った。

 櫻木医官からの指示があったのか、間もなくサイはベッドごと一つ上の階にある個室に移された。

 腕に刺さっていた何本もの管はきれいさっぱり無くなったが、プライドに関わるオムツや下半身のチューブはいくら頼んでも外してもらえず、勝手にベッドから降りてはいけないと厳命された上でナースコールの説明を受けた。


「いいですか、どんなことでも必ず私達を呼んでください。とにかく、下半身に少しでも力が入るようなことは当分禁止です。大動脈が傷ついていますから、いつまた出血するか、見極めがつくまではこのままです!」


 自分を看護師ですとだけ名乗った女性は、「メッ」とサイをひと睨みして部屋を出て行った。

 入れ替わりに明美に肩を押されるように部屋に入ってきたのは理彩だった。


「サイ君!」


 まぶたが真っ赤に腫れ上がり、目の下にはくまもある。頬もガサガサに荒れて、まるで誰かに殴られたかのようなひどい有り様だ。


「理彩、ケガは?」

「私は……」


 答えかけた理彩は、口をへの字にしてサイを睨みつける。


「それよりも、少しは自分の心配をしてよ! 今度こそ死んじゃうかと思った!」


 見ると、理彩のスカートの裾からも包帯を巻かれた太ももがのぞいている。

 サイは舌打ちをした。守ったはずだったのに結局怪我をさせてしまった。


「私は大丈夫。弾は皮膚を浅くかすっただけだから。サイ君が自分を犠牲にして守ってくれたおかげで……」

「僕は君の護衛だから当然だけど、役目が果たせて良かった」


 サイはホッと息をつく。


「では、あの後どうなったのか教えて下さい」


 まだ何か言いたそうな理彩を制して、サイは明美と視線を合わせる。


「ええ。ここは自衛隊横須賀病院です。サイさんはマンションの屋上からヘリで直接ここに運ばれました。出血がひどくて、一刻を争う状況だったんです」

「出血?」

「覚えてませんか? 狙撃されたんですよ。幸い距離が離れていたので弾は手足を吹き飛ばしたりはせず、サイさんの右太ももを貫通しただけで済みました。ただ、大動脈を傷つけてしまって――」

「本当にものすごい出血だったのよ。下にいた私まで全身血まみれになるくらい」

「そんな大げさな」

「大げさじゃありません! ICUに運び込まれた時点でサイさんは推定一リットル半もの血液を失っていました。いつ心臓が止まってもおかしくなかったんですよ」

「はあ」

「ところが、ですね。変なのは、それだけの大出血が自然に――」

「そうなんですよ!」


 戸口から櫻木医官がひょいと顔を出して明美の言葉を遮るように口をはさんだ。


「桧枝さん、あなた、本当に人間ですか? サイボーグとかじゃないですよね?」

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