第29話 サイ、高校に転入する

桧枝佐為ひえださい?」

「そう、それがサイさんの新しい名前です」

「ふうん」


 サイは、明美が差し出したすかし入りの書類を受け取りながら小さく鼻を鳴らした。


「で、この紙が戸籍全部事項証明書といいます。この国の国民は必ず登録することになってますので、このように手配させていただきました」

「へえ、ギルド員の登録みたいなものかな?」

「……ギルド登録がどういうものかわかりませんが。とりあえず、戸籍がないと学校にも通えないし結婚もできないし海外にも行けない。まあ、一種の身分証明みたいな感じですね」

「ああ。どこにでもあるんですね、こういうの」


 サイは、ギルドを除名された時のことを思い出して思わず顔をしかめた。


「で、この名前にはどんな意味があるんですか?」

「え? 特に意味はないけど? 単に桧枝さんの名字をもらっただけだし……」


 向かいの席で、食後のコーヒーを飲みながら話を聞いていた理彩が口を挟む。

 二人が共同生活を始めてから三日。それぞれの分担する家事を決め、ようやく生活が軌道に乗り始めたところだった。

 ただ、料理に関してはサイも理彩も苦手で、今のところ毎晩のようにこうして明美の世話になっている。


「でも、日本語には文字一つ一つに意味があると——」

「ああ、文字としての意味でしたら、名字の方は〝ヒノキの枝、名前の方は〝寄り添い助ける〟という感じです」

「へえ、ヒノキの枝、寄り添い助ける、か」


 妙に感慨深そうに目を細めて書類を見つめていたサイは、不意に顔をあげると正面に座る理彩の顔をじっと見つめながら話し始めた。


「僕が孤児だというのは話したよね」

「……あ、うん」

 

 途端に気まずそうな表情を見せる理彩。

 だが、サイはそれには構わず、意識して軽い口調で言葉を続ける。


「拾われた時、僕はなぜか右手にヒノキの小枝をしっかりと握っていたんだって。名前の由来はそれなんだ。だから、今の話を聞いてなんだか不思議な縁を感じた」

「ああ、なるほど」

「それに新しい名前の方も、理彩さんに頼まれた僕の役目にぴったりじゃない? 寄り添い、助ける……」


 そこに明美が口を挟む。


「……気に入りましたか?」

「ええ、かなり」

「……そう、それは良かったです」


 ほっとした表情で胸をなで下ろした明美は、ビジネスバッグから分厚い書類ばさみを取り出した。


「じゃあ、これ。明日の朝までに覚えておいていただけますか」


 言いながらサイにドサリと渡す。


「何です?」

「サイさんの経歴書です。海外で生まれ、その後すぐに両親を亡くして地中海の小国にある祖父の元で育ち、最近祖父も亡くなったため遠縁の桧枝さんを頼って日本にやって来たという設定にさせていただきました」

「えらく複雑だな」

「お伺いした生い立ちとできるだけ矛盾がないように設定した結果です」

「……うう、絶対今晩中に覚えないとだめですか?」


「だめ。誰にどんなタイミングで経歴を尋ねられるかわかんないし」


 明美の説明に対して露骨に面倒くさそうな顔をするサイに、理彩はきっちりダメを出す。


「だって明日からは、君は私と一緒に高校に通うんだよ。クラスメイトに絶対色々聞かれるよ」

「え!? 僕も学校に?」

「ボディーガードなんだから。いつも一緒にいなきゃだめでしょ?」


 理彩は「なに当然のことを」とでも言いたげな表情でさらりとサイをたしなめる。


「でも……大丈夫かな? 僕はこの国での常識を何も知らない。学ぶ内容もサンデッカの魔道士学校とは全然違うだろうし……」

「それは何とかなるんじゃないでしょうか」


 明美にまでさらっと言われ、サイは口をあんぐりと開けた。


「サイさんの故郷の言葉はこの地中海の国の言葉にちょっと似てるようですね」


 言いながらサイの手にある書類ばさみを指さす。


「人口が五十万人くらいの小さな国ですし、日本国内でその言葉をしゃべれる人なんてほぼいません。帰国子女だって言えば多少のことはごまかせるでしょう」

「なるほど、うん、大丈夫! いけるね!」


 にっこり笑って顔を見合わせた明美と理彩は、まるで示し合わせたようにサイに向かってそろって親指を立てる。


「大丈夫って……いや、むしろ不安しかないんだけど」




 だが、サイの心配をよそに、転入の手続きは拍子抜けするほどあっさり済んだ。

 理彩の会社が身元保証人についたことが良かったのか、あるいは理彩の言う〝国のお役所〟の圧力が効いたのか。

 ともかく、一通り書類の確認が済むと、ほとんど質問らしい質問もないままサイは二年生として高校に通うことになった。

 

「私が担任の木浦です。よろしくね。ところで桧枝君、日本語は?」

「大丈夫です。日常的な会話は祖父に学びました」


 担任として引き合わされた女性教師は、言葉が通じることにわかりやすくほっとした笑顔になった。


「とは言っても、日本の生活にはまだまだ不慣れでしょう? 何かあったら遠慮せずに声をかけてね」

「はい、ありがとうございます」

「それにしても、この時期に二人も転入生があるのは珍しいわね」

「二人?」

「ええ、もう一人の彼女は隣のクラスだけど、あなたと同じ二年生よ。九州から親の転勤で来たって言ってたわね」

「はあ」


 木浦に先導されるように人気の絶えた廊下を歩きながら、サイは曖昧に相づちを打つ。

 この学校の状況はよくわからないが、サンデッカ魔道士学校でも途中からの転入生はかなり珍しかった。

 その上、学年が上がるごとに脱落して学生数は減っていき、最終学年まで進んで無事に卒業できるのは、毎年入学した人数の五分の一以下しかいなかった。入るのは簡単だが、出るのは相当に難しい。だからこそ卒業できた登録魔道士は優遇されるわけだが。


「……ま、僕も結局は脱落した口だけど」

「何か言った?」

「あ、いえ」


 今さら悔やんでも仕方ない。サイにとってはもう二度と戻れない、遙かに遠い世界の話だ。


「はい、ここですよ」


 そう前置きしながら木浦がガラリと扉を開くと、それまでざわめいていた教室は一瞬でピタリと静まりかえった。

 ピンと張り詰めた沈黙の中、まるで値踏みするように全員にジロジロと見つめられ、サイは居心地の悪い思いをしながら教室をぐるりと見渡す。

 すると、窓際の最後尾に面白くなさそうに外を眺める見知った顔があった。理彩だ。


「はい、皆さんに紹介します」


 担任の声に向き直った理彩は、サイに気づいて驚いたように目を見開くと、目立たないように小さく手を上げて微笑んだ。

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