第25話 サイ、理彩の思いを知る

 サイが連れて行かれたのは、屋敷の地下を延々歩かされた先にある倉庫のような部屋だった。

 天井はかなり高く、窓は一つも無い。天井、壁、さらに扉の内側には細かい四角錐のような凹凸がびっしりと並び、全面が黒っぽいつやのない塗料で塗り込められていた。

 床にも細かい穴が穿たれ、どんな物音も周りの壁や床に吸い込まれるような、不思議な感覚をサイに与えた。

 部屋の中には簡素な椅子が二脚と机が一つあるっきりだった。先に入った理彩はサイに片方の椅子に座るように示し、机を挟んだもう片方には自分が座る。

 サイの両側には、彼をここまで連行した警備員が彼を挟むように陣取った。


「僕を監禁するんですか?」

「違うよ。ここは牢屋じゃない。電波暗室って言うんだよ。まあ、確かに何の色気もない部屋だけどね」


 理彩は苦笑すると、サイの両脇を固める警備員に合図を送る。

 彼らはサイの両手の戒めを解くと、サイと理彩の二人を置いて部屋を出て行った。


「なんだかものものしくてごめんね。でも、うちは国から依頼された仕事もしているから、色々うるさいの」


 そう前置きすると、改めてサイに向き直った。


「さて、じゃあ、ここでもう一度さっきの魔法を見せてくれるかな。ここは外と電波的に遮断されてるから、君の魔法が衛星クラッキングと無関係だと確実に証明できる」

「あー、無理です」

「どうして?」

「ああ、ええと……」


 サイはその先を言いよどむ。

 魔法の行使には魔法結晶が不可欠だ。正確には魔法結晶を使わなくても術式自体は構築できるが、魔法が発現しない。

 だが、魔法結晶は理彩の部屋で警備員に取り上げられ、今サイの手元にはない。

 これを説明しようと思えば、記憶喪失とは言い張れなくなる。きちんと納得してもらうためには、理彩にこれまでの顛末をすべて話す必要がある。

 理彩を信用して大丈夫だろうか。異世界からやって来たとか、まるでおとぎ話のような話をして、その場しのぎのほら話と思われないだろうか。

 サイは思い悩んだ。


「あのね、サイ君が何か事情を抱えていることはわかるよ。ただ、疑われたままというのはサイ君自身困るよね」


 理彩の表情も渋い。


「だいたい、僕は何の疑いをかけられているんですか?」

「さっきも言ったけど、当社うちで管理している人工衛星へのクラッキング容疑だね」

「クラッキング?」

「そう。多用途精密観測衛星試験機。宇宙から地上の様子を観測したり、様々な通信をサポートする静止衛星。アクセスキーは公開されていないし、やりとりは三次元格子暗号でエンコードされるから、クラッキングは不可能なはずなんだけどね。やすやすと突破された」

「ごめん。さっぱり判らないです。そもそも人工衛星って何?」

「えー! そこからなの!?」


 理彩はがっくりと肩を落とした。

 

「それに……どうすれば信用してもらえるのかな」


 黙り込むサイを前にして、理彩は寂しそうにつぶやいた。


「ねえサイ君、私は君を信用したい。もちろん君にも私を信用して欲しい。そのために何か私にできることはない?」

「できる、こと?」

「そう。何でもいいよ」

「……じゃあ、一つ聞かせて下さい」

「うん?」

「理彩さんは、なぜそれほど人を信用すること、されることにこだわるんです?」


 サイは素朴な疑問をぶつけてみた。

 彼女は、始めて出会ったその瞬間からサイに対するハードルがとても低い。初対面なのにまるで気安い親友のように接してくる。

 サイだけではなく、使用人であるはずの秘書や執事とも、友達や家族のように冗談を交わす。

 一方で、相手に対しても自分に同じだけの信頼を返すように求めてくる。腹を割って話せと何度も繰り返すのはそれが理由だろう。

 心から信用していた幼なじみのメープルにこっぴどく裏切られ、人を信じることのむなしさに苛まれているサイは、彼女の気持ちがいまいちよくわからなかった。


「そうだね。一番大きな理由は、後悔、かな」

「何か失敗でも?」

「さっき、私の部屋で私と父の写真を見たでしょ?」

「ああ、あの写実画?」

「写実……時々、君がどの時代の人か判らなくなるよね」


 理彩は目を丸くすると、薄っすら口元を緩めながら続ける。


「私、自分で言うのもなんだけど、小さい時から随分知恵の回る子供だった。おかげで同年代の子供達とは全然話が合わなくて、心配した母があちこちの病院に私を通わせたりもしたのね」


 理彩は両腕を組み合わせてうーんと伸ばしながら、遠い目をして言った。


「結局学校で気の合う友達は見つけられず、私は学校には通わずに父の会社に入り浸った。母も同じ会社で働いていたし、仕事の手伝いは楽しかった。コンピューターで画像分析をするのはゲームみたいだったし、適性もあったのかな。いつの間にか社員と席を並べて仕事をこなすようになっちゃった」


 次々に判らない単語が出てきたが、ここで話の腰を折るのはためらわれて、サイはそのまま理彩の話を聞き流した。


「そうして、私が小学校六年の時、父の会社で機密情報の漏洩事件が起きた。私は幼稚な正義感に駆られて探偵のまねごとをした。でも、そこで大失敗をしちゃったの」

「……どんな?」

「犯人につながる証拠は不思議なくらい残されていた。本当ならそこで立ち止まって冷静に考えるべきだったんだけど、調子に乗った私は、それらの証拠の示すまま、大勢の社員の前で容疑者を糾弾した。それが、その……」


 理彩はそこで言葉を切り、寂しそうに微笑んだ。


「実の母親、だったんだよね」

「え!?」

「後から判ったことだったんだけど、残された証拠は真犯人の仕組んだワナだったんだ。でも、私はこれ見よがしにまかれた毒エサに間抜けにも食いついた。立ち止まるチャンスは何度もあった。それなのに、私は暴走した」

「それで……?」


 問われて、理彩は、鋭い痛みに耐えるかのように顔を歪ませた。


「実の娘にまで疑われた母はそのことに絶望したんだと思う。そのあとも色々あって、結局自殺しちゃったんだ」


 理彩はさらりと軽い口調でそこまで話すと、サイの顔から目をそらして天井を睨んだ。それはまるで、こぼれ落ちる涙を必死でこらえているような仕草だった。


「私が、自分の目で見たものしか信じず、逆に自分で見たものはどんなあり得ないことでも絶対に信じるようになったのはそれから。母の写真を身近に一枚も残していないのは、彼女の姿を見たくないからじゃなくて、この胸の……」


 そう言いながら理彩は両手で自分の胸をぐっと押さえる。


「この胸の痛みを絶対に忘れないため。そして、まぶたの奥にだけ残る、あの瞬間の母の悲しげな表情を絶対に忘れないためなんだ」

 

 

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