第23話 サイ、〝○○波〟を披露する

 あの背の高いグラマラスな女神は、この世界に魔法はないとはっきり言い切った。

 魔法は、どんな形であれ、発現すれば周囲の空間に波紋のような痕跡を残す。波紋は発生源を中心に球体状に広がり、距離が離れるにつれてしだいに弱まっていく。

 それはまったく目には見えないし匂いもないが、魔法感度みみのいい魔道士にとっては、街のざわめきのような一種の騒音ノイズとして感じられる。

 だが、今、サイの脳は生まれてこのかたありえないほどしんと静まり返っていた。

 それは女神の話を裏付けている。この世界に魔法はないという女神の言葉に嘘はないのだろう。

 にもかかわらず、サイの魔法は発現した。

 話が矛盾している。何かが噛み合っていないのだ。


「あ、サイ君、私そういうのいいから」


 常識論で返すサイに、理彩は冷めた目つきでそっけなく返す。


「私、自分の目で見たことないものは信じないし、逆に、どんなに常識はずれでありえないことでも、自分の目で見た以上は絶対信じることにしてるんだ」


 ナイフとフォークを皿に置き、理彩はさらに身を乗り出した。


「だから、ね、もう一回やって見せて。あの『うっ、我が封印されし右腕が〜』ってやつ」

「そんなことは誰も言ってないけど。あの……」


 助けを求めるように明美を見やるが、こちらも理彩以上に興味津々の表情で目をらんらんと輝かせている。


「やって」

「ですからあの」

「やって!」

「だから魔法なんてものはないと……」

「やって!!」

「うう」


 いくら否定しても聞いてくれそうにない。何か、それらしい言い訳が必要だ。


「うーん」


 サイは悩んだ末、魔道士学校で学んだ奇術に少しアレンジを加えることにする。

 魔道士を名乗りたい貴族学生の中には、卒業まで一度もまともな術式を発現できない者がどうしても一定数含まれる。魔道士の血がもともと希薄な上に、熱心に実技に励まなかったツケだ。それ自体にまったく同情の余地はない。

 だが、そういう怠け者でも、貴族社会のどこかで必ず術式を披露しなくてはいけない羽目に陥る。そのため、逃げ道テクニックの一つとして奇術の履修が義務づけられていた。

 見た目は派手だが魔力消費は極小。タネも仕掛けもある手品を魔法で派手に補強しただけという代物だ。


「じゃあ、やります」


 まずは上着のポケット部分をさりげなく手のひらでこすり、そのまま両手のひらを向かい合わせて距離を保つ。

 わずかな魔力で補助すると、両手の間に光球が出現する。小ぶりなジャガイモほどの青白い光球がジジッという空電音と共に空中に生み出され、見る間にスイカほどの大きさにまで膨れ上がる。


「おおう!!」


 理彩と明美は大喜びだ。一方、サイは内心慌てていた。

 あまりにも光球の成長速度が早い。

 今朝、理彩を襲った自動車に対してとっさに魔法を放った時にも感じたが、この世界は魔素マナの密度がよほど濃いらしい。


「窓を!」


 サイは叫ぶように言う。彼の真剣な表情を見た明美が慌てて窓を開け放ち、次の瞬間、光球はサイの手元から外に向かって打ち出され、外に出た瞬間パンッという破裂音と共に四散した。

 雪の日の朝のような、独特のかすかな刺激臭だけが後に残った。


「凄い! アニメみたいだ!」

「なんとかってやつですよね」


 理彩と明美は両手を握り合ってはしゃいでいる。

 だが、サイは無邪気に喜ぶ気にはとてもなれなかった。

 なんだか勝手が違う。この世界の魔法はあまりにも使い勝手が鋭敏ピーキーだ。ほんのちょっと力加減を間違えただけで暴発でもしそうな危うさがある。

 本格的に魔法を学び始めて以来、自分の意思で自分の魔力をうまく抑えきれない不安を感じたのは今回が初めてだった。


「これ、手品? それとも本当に魔法なの?」

「いえ、手品です」

「ふうん?」

「聞いたことないですか? 山の頂上や船のマストに火の気もないのに青白い光が灯る——」

「ああ、〝セントエルモの火〟?」

「って言うんですか? それと同じ原理です」


 ぶっきらぼうに説明するサイ。だが、理彩の表情はサイの言い分をまったく信用しているようには見えなかった。


「なーんだ」

「でしょう? 奇術こういうのは大体ネタがあるもので——」

「違う違う。サイ君、やっぱり記憶喪失なんかじゃないじゃん?」

「あ!」


 サイは一瞬固まり、自分のうかつに気づいて慌てて言い訳を試みる。


「いえ、ほら! こういう役に立たない雑学はなぜか覚えているんですけど、それ以外の大事な事柄がすっかり抜けているというか何というか……」

「へえぇ、ふうん」


 だが、理彩は意味ありげにニヤニヤ笑いながら、椅子ごとガタガタと身体を寄せてくる。


「じゃあさ、今度は今朝みたいに空中にこう、光る模様のような——」


 どうにも答えにくい質問を理彩が口にしかけた瞬間、静寂を破ってベルのような音が部屋中に響き渡った。明美は素早く立ち上がり、入り口側の壁に張り付いた箱に取り付いて平べったい曲がった筒を耳に当てる。


「はい、須々木です」


 短く答え、小声で何か話している。と、そのトーンが急に跳ね上がった。


「ええ!? 本当ですか? はい、ええ、すぐに!」


 そのまま話を打ち切り筒を元に戻した明美は、早足で戻ってくるなりこう言った。


「理彩さん、研究所となりから緊急連絡。すぐに顔を出して欲しいそうです」

「どうしたの?」

「ええ。たった今、衛星がクラッキングを受けた、と」

「えっ!!」


 理彩は顔色を変えた。


「サイ君ごめん。ちょっと急用なの。別の人間に案内させるからちょっとここにいてくれる?」


 目を丸くしたサイが頷く間もなく、理彩と明美はバタバタと食堂を飛び出して行き、サイはまたも一人で部屋に取り残された。

 



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