第22話 サイ、いきなり正体を暴かれる

 サイはがらんとした食堂にひとり取り残された。

 広い屋敷の中には人の動くかすかな気配があるものの、サイの周囲だけが、まるでエアポケットのように無人だった。


「これでいいのかな。なんだか流される感じで来ちゃったけど」


 サイは手近の椅子にすとんと腰を落とすと、所在なげにつぶやいた。

 窓からは小鳥のさえずりが聞こえ、もっと遠くからは映像で見せられた〝電車〟の通過音らしき振動がかすかに伝わってくる。

 ここしばらく、動く物すべてに神経を尖らせてビクビクしていたサイにとって、今のこの状況は、にわかには信じられないほど平穏に感じられた。


「異世界だし、右も左もわからないんだけど……」


 冷静に考えてみれば、状況は最悪とはいえないが、大して良くもなっていない。

 それでも、なんとなく安堵してしまうのはなぜだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えていたサイは、いつの間にか部屋のすぐ外に迫っていた人の気配にハッとした。

 気配の人物は中の様子をうかがっているのか、扉のすぐ外に立っているはずなのになかなか食堂に入ってこようとしない。


「……もしや、敵か?」


 疑心暗鬼になったサイは足音を殺して慎重に扉に近づき、取っ手を持って一気に引き開けた。


「きゃうあっ!!」

「うわっ!」


  部屋の中に倒れ込んできた少女に気づいてとっさに支えようとしたものの、彼女が慌てて振り回した肘がサイの顎にまともにヒットする。衝撃に一瞬気が遠くなりかけたサイは本能的に後ずさってしまい、挙げ句、二人はほとんど抱き合ったような姿勢のままひっくり返ってしまった。


「あわわ、重いよね、ごつくてごめん!」

「いや、むしろ程よく柔らかいというか」

「いいっ!?」


 お互い起き上がろうともがき、そのせいで余計に身体が密着してしまう。


「サイ君! ちょっ、動かないで! 揺れると! 立てない!」

「理彩さんこそ動かないで!」

「ちょ足、痛い痛いってばぁ!」

「ああっ!! 悪いっ!」


 理彩の悲鳴でようやく我を取り戻したサイは、これ以上暴れないよう、彼女の身体をぎゅっとホールドしたまま起き上がる。

 真っ赤な顔で言葉を発せずにいる理彩を両腕で下から支えるように抱きかかえ、手近な椅子に座らせたところで顔を見合わせ、同時に目をそらす。


「すいません。僕が余計なことをしなければ――」

「君は悪くない。私こそ」

 

 しばらく僕が、いや私がと押し問答を繰り返した挙げ句、二人同時にため息をつく。


「はあぁ……忘れて」

「……はい」

「で、そろそろ落ち着きましたか?」

「「ひええっ!!」」


 瞬間、二人はまるで熱した鉄板の上の猫のように飛び上がった。




「明美さん!!」

「いえ、お二人がずいぶん楽しそうにいちゃついていらっしゃったので、お邪魔するのは無粋かな、と」

「見てたんなら早く助けてよ!」

「いえ、サイさんのせっかくの男気を無駄にしては申し訳ありませんし……」


 とぼける明美に理彩が突っ込む、そのやりとりが無性におかしくて、サイは思わずクスリと笑う。途端に理彩は眉を吊り上げた。


「サイ君! 何笑ってるのよ」

「はい、すいません!」


 こういう時は素直に謝るに限る。幼なじみとの長い付き合いでそのことを十分すぎるほど理解していたサイはすかさず頭を下げる。

 だが、その反応が逆にツボにはまったらしく、今度は理彩がプッと吹き出した。


「何それ、おかしい」


 理彩の笑いの発作が治まったところで、メイドが料理の載ったワゴンを持ち込んできた。手早く配膳を済ませると、テーブルの上には三人分の彩り鮮やかな朝食が並ぶ。


「さて、早速いただきましょう。今日は朝からずいぶん運動したからおなかすいたでしょ?」


 そのセリフにピキッと硬直する二人に対して、明美は、何でもないことのように付け加える。


「みなとみらいでの騒動のことですよ。何だと思われたのでしょう?」


 絶対に遊んでいる。サイは確信した。


「それよりも、理彩さんは朝食が済んだら病院に行かれた方がいいでしょうね。その痛がりようだとアキレス腱を痛めているかも知れません」

「いっ!」


 元気よく目玉焼きにかぶりついていた理彩は、その一言で分かりやすく萎れる。


「病院苦手。注射いや」

「なに子供みたいなことをおっしゃっているのです? それより、なんであんな面倒なことになったのか教えてください」

「私もわからないのよ」


 明美の質問に理彩は口をとがらせる。


「友達何人かとオールナイトで映画を見て、じゃあねって別れて一人になった所で変な男に絡まれて。逃げたけど追ってきて、無理に柵を乗り越えて逃げようとしたら転んで足をくじいちゃって、車に引かれそうになって。そしたらサイ君が助けてくれて……」

 

 そこまで言いかけた理彩は、眉間に人差し指をあてて目を閉じる。


「そうだった。私サイ君に聞きたいことあったんだった」


 ゾクリと嫌な予感がして身構えるサイに、理彩はズバリと突っ込んだ。


「ねえ、サイ君は魔法使いなんだよね?」

「な、何言ってるんです!? この世界に魔法使いなんて、いる訳ないじゃないですか!!」

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