第21話 サイ、美少女の自宅に招かれる

「そういえば自己紹介がまだだったね。私の名前は柘植理彩つげりさ。高校二年生です。多分サイ君とも同じくらいかな」


 隣の席でうーんと背伸びした理彩は、不意にサイに向き直るとそう話し始めた。一方サイは、促されるままに乗り込んだ座席でガチガチに固まっていた。

 自動車くるまのスピードがあり得ないほど速く、馬車とは違ってまるで滑るように道を駆け、しかも、全くと言っていいほど揺れないことに驚いていたのだ。


「そして、車を運転してくれてるのが須々木明美すすきあけみさん。私の秘書みたいなことをしてくれているの」

「どうも。須々木です」


 明美は前を向いたまま、窓に張り付いた横長の鏡越しに目をわずかに細めて挨拶を返す。


「秘書?」

「ええ、身の回りの世話とか、仕事や学校の送り迎えとか、モーニングコールとか、朝晩の食事とか」

「ああ、お付きの侍女のようなもの——」

「まってまって。侍女って、サイ君、あなた一体いつの時代の人なのよ?」

「それより理彩さん、普通、秘書というものは朝あなたを起こしたり、食事の世話まではしないものなんですよ?」

「でもほら、須々木さんのご飯はいつもおいしいし」

「……もう」


 冗談を交わし合う二人を見て、サイはようやく緊張を和らげた。

 どうやら、この二人はずいぶん気安い仲らしい。


「で、ところでサイ君。君は一体何者?」


 せっかくくつろげると思った矢先に聞かれたくないことに突っ込まれ、サイは再び背筋に力を入れる。

 理彩はさらに身体を乗り出すようにして、サイの顔をのぞき込んできた。彼女の顔がサイの胸あたりに近づく。

 後頭部で一つにまとめた長い黒髪がさらりと揺れて、控えめに香る柑橘系の爽やかな香りがサイの鼻をくすぐった。


「いえ、だから何も覚えて——」


 設定通りにごまかそうとするが、理彩の目はまったく笑っていなかった。頭の中まで見透かされそうな透明な瞳に恐れをなして、サイは思わず顔をそむける。


「あのねサイ君、私達は君に感謝こそすれ、危害を加えようとはみじんも考えていないよ。せっかく知り合ったんだし、できればもう少し仲良くなりたいとも思っている。もうちょっと腹を割って話してくれないかな?」


 サイは悩んだ。

 答えあぐねてうつむくと、少し短くなってしまった左手の薬指が目に入った。

 傷口はいつの間にかふさがっているが、ちぎれて欠けた部分までは世界線を越えても元には戻らないらしい。

 サイは薬指の先を無意識に反対の手で揉みながら考える。

 つい最近手ひどい裏切りを受けたばかりだ。そう簡単に人を信じることはできそうにない。

 かたくななサイの様子を目にした理彩は、小さくため息をつくと、隣の座席にドサリと倒れ込んだ。


「まあ、今はいいわ。とりあえずおなかがすいた。家に着いたらご飯にしましょう」

「はいはい。姫の仰せのままに」


 明美が冗談めかした口調で答え、車内の沈んだ空気が少しだけ和んだ。




 理彩の家は、そこからさらに車で三十分ほど走った郊外にあった。

 小高い丘の一角がまるごと家の敷地になっていて、ぐるりと設けられた高い塀も相まって、丘の下からみるとまるで要塞のような見た目だった。


「これはまた……」

「これが私の家」


 あきれ気味につぶやきを漏らすサイに向かって、理彩はまるで言い訳のように早口で説明をつけ加える。

 丘のふもとをぐるりと迂回し、急な坂を登りきって建物の正門に向かう。複雑な唐草模様のあしらわれた背の高い鉄門が音もなく開き、三人を乗せた白い自動車がその中へ吸い込まれると、門は再び自動で閉まった。


「もしかして、君は貴族か何かなのか?」


 サイが口にした素朴な疑問に、理彩は笑いを押し殺しながら答える。


「貴族ぅ? そんなもの、この国には存在しないよ」

「だけど、周りの家とは明らかに大きさが違うんじゃ」

「ここは父の会社の研究所を兼ねてるから」


 言いながら理彩は母屋とは別の、五層ほどの四角い建物を指さす。

 動画で見た〝ビル〟ほどの高さはないが、建物の最上部には斜めに傾けた皿のようなオブジェや、何十本もの高さの違う槍のような飾りがついている。

 見る限り入り口や窓のような開口部は見当たらず、側面全面が群青色の玻璃ガラスで覆われた建物は、日の光を浴びてキラキラと輝いていた。


「会社?」

「ほらほら、ふたりとも、そのあたりの込み入ったお話は中で」


 玄関前の車寄せに車を止めた明美が扉を開きながら二人を促した。同時に、玄関からはいかにも執事然とした白髪の老紳士が現れる。


「理彩お嬢様、お帰りなさいませ」

「ただいま。お客様をお連れしたから」

「ご朝食はいかがいたしましょうか?」

「お願い。彼も一緒に」


 答えながらサイを一瞥いちべつする。老紳士もまた、サイを値踏みするような目つきでじろりと見るが、それ以上は何も言わず、洗練された仕草で頭を下げ、先に立った。


「食堂でいいかな?」

「ええ、お客様とは存じ上げませんでしたので、ご準備ができるまで少々お待たせしてしまいますが」

「構わない。じゃあ先に案内しててくれる? 私ちょっと着替えてくる。明美さん手伝って」


 どうやら、痛めた足で一人で移動するのはまだ辛いらしい。理彩は明美に肩を抱かれるようにして、短いベルの音と共に自動的に開いた引き戸の向こうに消えた。


「では、お客様はこちらへ」


 老紳士は広い廊下を先に立って歩く。やがて案内された場所は、日の光がさんさんと差し込む、食堂と言うよりはサンルームと呼ぶ方がふさわしそうな明るい部屋だった。


「さあ、どうぞ」

「……どうも」


 サイはなんとなく気後れを感じながら、促されるままに部屋に入る。


「では、ごゆっくりおくつろぎ下さい」


 紳士はそれ以上何も言わず、サイを残して扉の向こうに消えた。



 

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