第20話 サイ、美少女を救う

「おい、こっちを見ろ!!」


 その瞬間、少女は弾かれたように顔を上げ、サイの顔を凝視した。その顔は絶望にゆがみ、その頬は汗とも涙ともしれない液体で濡れている。

 もはや、猶予はなかった。


「風よ、かの魔獣を衝け!」


 とっさに唱えた使い慣れた呪文と共に、サイの伸ばした右手の先に回転しながら青く光る魔方陣が現出した。


「!!」


 次の瞬間、自動車はまるで真横から巨大な鎚を叩きつけられたように跳ね飛ばされた。車輪のきしみと金属のこすれ会う音が悲鳴のように響き、自動車は道路脇に等間隔に並んだ子供の胴体ほどの太さの石柱に叩きつけられる。

 衝撃で背の高い石柱の上部に取り付けられていた黒い縄がちぎれ飛び、切れた先端がムチのように自動車に叩きつけられると、バンッと激しく青白い火花を散らす。

 少女が硬直してその様子を見やるうち、サイはようやく少女のそばにたどり着いた。


「おいっ! 奴はまだ動くぞ! 早く逃げろ!」


 言葉の通り、横っ腹をべっこり凹ませた黒い箱のような自動車は、片目をらんらんと光らせ、銀色に輝く牙をむき出しにして再び二人の方向へ迫る。

 サイは彼女の手を取って強引にその体を左腕に抱き寄せると、彼女もろとも後方に大きく跳ねて距離を取り、改めて迫り来る自動車に対峙する。

 中にいる男が半分引きつったように笑い、サイの目を見てヤニ汚れた乱ぐい歯をむき出しにした。

 自動車は大きく雄叫びを上げ、車輪から白煙を出してさらに加速する。サイはそれを制するように大きく右手を突き出した。


「大いなる虚無よ、喰らいつくせ」


 少女が何かに気づいて声にならない叫び声を上げる。

 次の瞬間、黒い自動車の姿はまるで幻のようにかき消えていた。

 あたりには落雷直後のような、鼻につく刺激臭が漂うばかりだった。


「あなた、何者!?」


 足を引きずる少女に手を貸して近くのビルの陰に逃げ込んだサイは、一息ついた彼女にまるで頭突きのように顔を寄せられ、ぐいと襟首をつかまれた。


「いや、何者と言われても……」

「名前は!? どこから来たの!? 誰に頼まれて私を助けたの!?」

「な、名前はサイ。どこから来たかはちょっと……。それに、あの状況で君を助けないという選択肢はなかった」


 矢継ぎ早に繰り出される質問に最低限の答えを返しながら、サイは、内心呆然としていた。

 魔法はないと女神は言った。

 だが、ちゃんと発現するし、何だか威力も上がっている気がする。


 一方、彼女はようやく落ち着いたらしい。すーはーと大きく深呼吸を繰り返すと、サイの襟首から手を離して深々と頭を下げた。


「命の恩人に対する態度ではありませんでした。ごめんなさい。そしてありがとうございます」

「ああ、いえ」

「色々と聞きたいことはあるんだけど……とりあえず、もう少しだけ私を守ってくれるつもりはある?」

「あ? ああ」


 考える暇も与えられずぐいぐい来る。


「じゃあお願い、ついて来て!」

「あ、ちょっと」


 サイは慌ててあたりを見渡す。だが、サイをここまでいざなった女神の姿はいつの間にかかき消えていた。


「何? 連れがいるの?」

「いや」


 サイは首を振った。

 女神はサイに、運命の出会いがあると言った。その直後に起きた出来事がこれなら、おそらくこの少女と自分には何らかの縁があるのだろう。

 いずれまた姿を見せるようなことも言っていたし……と気持ちを切り替える。


「で、どこへ行けば?」

「ええ、もうすぐ迎えが来るはずなんだけど」


 その時、二人の背後でラッパのような音が短く響く。

 見れば、白い流線型の自動車がその外皮をカモメの翼のように広げ、隙間から妙齢の美女が顔をのぞかせていた。




「お怪我がなくて本当によかったです。で、リサさん、このお方は?」


 白い自動車は、ヒューンという低いうなりを上げながら滑るように加速しはじめた。前席で舵を握る女性は、前を向いたまま少女に問いかける。


「私の命の恩人、名前は……ええと?」


 リサと呼ばれた少女はそこまで言って首をひねる。


「サイ、と言います。それ以外は、よく判りません」

「判らない?」

「ええ、何も覚えていないんです。気がついたらあそこに立っていて、たまたまあの騒ぎに遭遇して」


 まんざら嘘というわけでもない。

 サイは記憶喪失を演じることに決めた。

 サイの世界とは常識も何もかも違うだろうし、わざわざ装うまでもなくこの世界のことを何も知らない。異なる世界からやって来たと正直に答えても、いまだにサイ自身が信じかねているのだ。他人にはとても信じてはもらえないだろう。


「そう。外国人かな? 着てる物がちょっと変わってるし、言葉にも独特のアクセントがあるわね。見た目は日本人ぽいけれど……で、何か持ち物は?」


「ああ、ええと」


 懐にしまい込んでいたスマートフォンと呼ばれる石版を取り出す。


「お、ちょっと借りていい? ロックとかかけてる?」

「あ、あの?」


 理彩は隣の席から素早く手を伸ばし、サイの手から石版をひょいと取り上げた。そのまま表面に素早く指を走らせるが、しばらくしてため息と共にサイの手に投げ返す。


「通話履歴はゼロ、電話帳は空、アプリも何も入っていない。なんだか、たった今スマホデビューしましたって感じ」

「あら、困ったわね」


 前席の女性も困惑の表情を浮かべる。


「で、サイさん、今日、何か予定ある?」

「いえ、そもそもそれが判れば問題は……」

「あはは、そりゃそうか。アケミさん、とりあえずうちに連れて行こうよ。命を救ってくれたお礼もしたいし」


 言いながら、リサは前席のアケミに見えない角度でこっそりとサイにウインクをした。

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