第17.7話 サンデッカの屈辱
「アルトカル様、国王陛下がお見えです」
侍従の知らせに、大魔道士は驚きを隠せなかった。
大魔道士という立場は厳密には国の役職ではないが、国王の臣下であることには違いない。王が臣下に用があれば単純に呼びつければいい話で、自ら足を運ぶことなど本来ありえない。
それだけ王の用件が深刻で、また抗うには相当の覚悟が必要になるであろうことが予想された。
「わ、わかった。客間に」
「かしこまりました」
侍従を追い払い、応接のため衣服を急ぎ整えながら、アルトカルはこの先どうするか悩んでいた。
己に匹敵する魔力を持つ魔道士見習いの平民、サイプレスを彼は恐れていた。
偏見のベールに隠されてまだ誰も気づいていないが、成長すれば彼の魔力はいずれ大魔道士の自分すら超えていくだろう。
だから、今のうちに彼を屈服させ、心を折って従属させるために彼から魔道士の資格を剥奪した。
その上、彼の許嫁には、サイに危害を加えると婉曲に脅迫し、奪い取ることにも成功した。
だが、同時にサイの存在は大魔道士としての自分の立場を盤石にする。
彼がことも無げに構築する多重魔法陣は、少なくとも現時点ではアルトカルにも再現できなかった。アルトカルは元来パワー系の魔道士で、精密な魔法術式を構築するのではなく、単純な術式を誰もまねできない力任せの大火力でぶっ放すのがそのスタイルだ。だが、そこに精密な魔法制御が加われば、一躍、大陸指折りの魔道士となれるだろう。
だからアルトカルはサイを自由に使える道具として所有しようと思ったのだ。
「……しかし、うまく行かないものだ」
魔道士学校を追い出し、また経済的に困窮させて逃げ道をなくすつもりだったが、内務卿のちょっかいで私兵は行動を制限され、そのすきに王都を脱出したサイはどうやら内務卿の差し向けた暗殺者と一戦交えたらしい。
それでも、サイが追っ手を返り討ちにすることまでは想定の範囲内だった。
予想できなかったのは内務卿の策略がさらに一段狡猾だったことだ。
恐らくサイは体制を立て直すために旧知の教会に逃げ込み、体力と魔力の回復を図るつもりだったに違いない。
まさか飲み慣れたポーションが毒とすり替えられているとまでは想像できなかったのだろう。
「仕方ない。今回はあの女を手に入れ、うるさい内務卿を潰しただけでも良しとするか」
アルトカルは仕上げに香水を一吹きし、自慢の髭をワックスでちょいちょいと整えると、自室を出た。
「これはこれは陛下、このようなむさ苦しい――」
「アルトカル、朕に対してそのような無用なやり取りは要らぬ。朕が訪れた理由は当然判じていよう?」
若き王にいきなりズバリと言われ、アルトカルは顔色を変えた。
「あまり長居もできぬ。よって貴殿の本音を聞きたい。貴殿の力のみで天候改変術式は顕現できるのか?」
王はアルトカルの目をじっと見据えてそうたずねた。あまりにも直接的な問いだった。単純すぎて、逆にどんなごまかしも通じようがなかった。
「それは……」
アルトカルの額にじっとりと冷や汗が浮かぶ。
数年前に勃発した、東の隣国タースベレデと、さらにその東の独裁国家ドラク帝国の小競り合い。
この戦争に、まだ即位前の若き王は身分を隠し、ドラク側の傭兵将校として参加したのだと言われている。
だが、戦いはあまりにも一方的な結果に終わった。
両国国境の湖底にドラクが埋め込んだおびただしい数の軍船避けの鉄杭を、タースベレデの魔道士は
あまりの速度ゆえに真っ赤に焼けた極太の鉄杭は音の速さを超える速度ではるか高空から雨あられと陣地に降り注ぎ、
これが再び繰り返されれば国が滅ぶ、と言われたほどの壊滅的な被害だったと伝えられる。
「あの日以来、朕は強力な魔法と強力な魔道士こそが国の誇りを守ると堅く信じてきた。大魔道士である貴殿に、大臣に次ぐ権限を与えたのもそのためだ」
王は言葉を切ると、再びアルトカルの目を覗き込んだ。
「改めて問う。貴殿の力でタースベレデの軍を討つことは可能か?」
「それは、私も知りたいかな」
突然発せられた若い女性の声に、二人ははっと硬直した。
「はじめまして、サンデッカの若き王、それから大魔道士のお二人さん」
テラスの窓からふらりと姿を現したのは、短髪の若い女だった。
黒髪に黒い瞳。白とブルーを基調としたアシンメトリーなデザインの騎士服を着込んでいるが、腰の後ろに短剣を吊っている他、騎士らしき武器は帯びていない。
「貴様! 何者だ!」
言葉を発するやいなや、王は長剣を振りかぶり女に肉薄する。だが、半分も行かないうちにみぞおちを押さえて崩れ落ちた。
女が右手をかざすと、手を離れた王の長剣が勝手に浮かび上がり女のもとに漂っていく。
それだけではない。アルトカルの腰にあった短剣も、壁に飾られた長槍も、およそ武器となりそうなものはすべて浮かび上がり女の目前に集まると、一瞬で白熱し、すぐにひとかたまりの鉄塊に姿を変えた。
「はい。危ないものはポイ。これで話を聞いてもらえるかな」
「き、貴様!」
「おお、凄い精神力だ。普通あれを食らってすぐに立ち上がれる人なんていないんだけど」
女は右手のひらをさっと振り、まるで奇術のようにすべての指の間に鋳物製の小さな鉄の魚を出現させた。砂漠地方のの女性がスープを作る際に一緒に鍋に煮込んで使う、鉄分補給用のマスコットのような物だ。
「それ以上動かないで。こんなに小さくても、猛スピードで食らうと相当痛いよ」
そう言う間にも鉄の魚はふわふわと浮かび上がり、女を守るように空中に浮かぶ。
「お前! タースベレデの!」
「……王直の鉄魚
女の纏う騎士服の肩に染め抜かれた紋章を目にして、アルトカルの口から思わずつぶやきが漏れる。
「はい、正解」
女は思わず引き込まれずにはいられない程あでやかな笑顔を見せた。
「まさか貴様、数年前にドラクの陣地を焼いた……」
「あー、そこまでバレてるんだ。お恥ずかしい」
女はペロリと舌を出すと、まるでいたずらが見つかった子供のように笑う。
「じゃあ話は早いよね。私が今日ここに来たのは警告です」
女は人差し指をピッと立て、その指をゆっくりとアルトカルに向けた。じっとこちらを見つめる真っ黒い瞳に、アルトカルはそのまま闇に吸い込まれそうな恐怖すら覚えた。
「サンデッカの戦略魔法がどんなものだか知らないけど、魔道士が絡む戦を普通の戦いだと思わないことです。私には、あなた方の軍を陣地ごと一瞬でこの世から消し去るだけの力があります」
アルトカルの全身が、まるで氷漬けになったように震え始める。ガタガタと歯の根が合わないほどに。
「よって、サンデッカの若き王よ、あなたにも、その聡明な頭脳に見合う賢明な判断を期待します」
そのセリフは、そのしなやかで若い外見から発せられたとは思えないほど重く、冷たい響きを帯びていた。
「では、私からも一本釘をさしておきますね。今日の会見が夢でなかったことが誰の目にも明らかなように」
言い終わらないうちに、はるか上空からバリバリという雷鳴のような轟きが近づいてきた。そして次の瞬間、ドーンという猛烈な衝撃がまるで地震のように建物を揺るがした。
「あ、そうそう、うちの王子から伝言です。三日以内に潔く兵を引くなら今回の件はなかったことにするそうです。良かったですね。んじゃ」
そのまま、二人が反応すらできないうちに、女はひらりと身をひるがえしてテラスから飛び降りると、そのまま二人の前から消えた。
「陛下、ご無事ですか!!」
その時になってようやく警護の兵が客間に飛び込んできた。
「ああ、何事だ」
王はまだ痛むらしくみぞおちを撫でさすりながらゆっくりと立ち上がる。
「陛下! 庭の噴水に……」
「何だ?」
「直接ご覧いただいた方が……」
はっきりしない兵の報告に、二人は首をひねりながらテラスに出て、そして絶句した。
そこには、子供の胴ほどもある極太の鉄杭が、庭の噴水池を完全に粉砕し、見上げるほどの高さに突き立っていた。
鉄杭の表面はいまだ真っ赤に焼けただれ、噴水の水を浴びてもうもうと湯気を上げている。その様子は、鉄杭がそうとうの高空から信じがたい速度で落下してきたことを雄弁に物語っていた。
「駄目だ。あまりにも格が違いすぎる」
アルトカルはその場に崩れ落ち、絶望のつぶやきを漏らした。
====================
応援ありがとうございます。
なんだか書けてしまったので早速公開いたします。
敵国、タースベレデからとんでもない魔女がやってきました。
自分たちが勝利間違いないと信じて疑わなかった戦略が、全然違うベクトルから文字通り〝粉砕〟されております(笑)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます