第10話 大魔道士、サイと共に天候改変術式に挑む

 それから三ヶ月ほどがまたたく間に過ぎた。

 学校の寮と魔道士団との往復には、いつも視界のどこかに帯剣した複数の護衛の姿があった。

 まるで鷹のように鋭いその視線を背中に感じながら、サイはこの護衛が自分を敵から守るのではなく、万一第三者に術式の秘密を奪われそうになったときには自分ごと始末するためにいるのだとすぐに気づいた。

 毎日、魔道士団の隊舎で術式の修正に励む一方で、魔道士ギルドからの討伐依頼は不思議と途切れなかった。時々気まぐれにアルトカルが同行することもあったが、基本的には一人だった。鋭い目の護衛は討伐にもつかず離れずついてきたが、彼を助けてくれたことは一度もなかった。


「間違いなく、去年よりも討伐依頼が増えてるよね」


 久しぶりにメープルの店で安い山羊肉をつつきながら、サイは婚約者に向かってついグチをこぼした。


「でも、もうすぐ卒業だし、私たちのお家を買うお金が増やせるよね。頑張って、サイ」


 メープルはそう言って少しだけ申し訳無さそうな笑顔を見せる。

 サイと同じく、親に捨てられた孤児だったせいか、メープルは自分の居場所というものに妙にこだわる。

 おかみには随分良くしてもらっているけど、この店だってこの先ずっと居られるわけでもない。

 万一おかみが体をこわしたり、亡くなったりしてしまえば、いつかは追い出されてしまうだろう。

 だから、自分の家が欲しい。いつまでも、ずっと、気兼ねなくくつろげる自分の居場所が欲しい。

 王都に出て以来、メープルはことあるごとにそう言い続け、いつしかそれはサイと共通の願いになっていた。


「小さくてもいいの。誰にも邪魔だ、出て行けって言われない、私達だけのおうち、ね」


 ずいぶん遅い時間で、サイの他には客足もまばらだった。

 護衛たちは誘っても店に入ってくることは決してなく、一方、客が途絶えて手持ち無沙汰のメープルは、サイのテーブルの脇に丸椅子を引っ張ってきて雑談に興じていた。


「でも、お休みの日に討伐に行ってしまうのはちょっと寂しいけど」


 魔道士団の仕事と両立するために、最近の討伐依頼は休日を中心に受けざるを得なかった。

 遠方の仕事は泣く泣く断り、一泊程度で往復が可能な王都近郊の仕事を中心にこなしていたのだが、それでも、二ヶ月まったく休みなく働くことになった。

 ここに食事に来られたのもずいぶんと久しぶりだ。


「今年は日照り気味で雨が少なかったから、麦の収穫も少ないし、エサがとれない野獣が人里の方に移動しているみたいなんだよな」


 天候改変術式が待ち望まれているのには、そういったせっぱつまった事情もある。

 二人は南部の貧しい小村の出身だ。

 日照りの年、実りの少ない村々がどれほど苦しめられるか身をもって知るだけに、野獣の討伐も、術式の完成も手を抜くことはできなかったのだ。


「うん。私も我慢する。国のみんなのためだもんね」


 メープルにそう言われてしまうとサイもそれ以上グチるわけにはいかない。

 無理して口角を持ち上げると彼女の頭をクシャリと撫でる。

 しばらくくすぐったそうにされるままになっていたメープルは、ふと思い出したようにサイに尋ねた。


「ところで、魔道士団のお仕事の方はいつまでなの?」

「ああ、ようやくメドが立ったよ。詳しくは言えないけど、来週には砂漠地帯で実験をやることになると思う」

「それがうまくいけば?」

「ああ、学校に戻って、いよいよ卒業、そして結婚、ということになるかな」

「……そう」


 いじめや嫌がらせにも耐え、六年間ひと筋に励んできた成果がようやく実る。だが、それを聞いたメープルの表情には、ほんのかすかな影があった。

 寮に戻った後も、そんなメープルの表情がなかなかサイの頭から離れなかった。




 その日、サンデッカ東部の砂漠地帯は雲ひとつない快晴だった。

 実験場に定められた小高い岩山の頂上には天幕が張られ、王立魔導士団の全員、そして王宮からも王族の何人かが立ち会っている。

 そんな中、天幕の中心、一段高いやぐらの上に立つ大魔道士アルトカルは、ちょうどテーブルほどの高さにしつらえた台座の上の石板に左手をかざし、右手は胸に輝く魔法結晶を軽く押さえた姿勢で一心に天を睨んでいた。

 さすがの大魔道士にも緊張の色が隠せず、額にはうっすらと汗が滲み、すぐそばに控えるサイが見つめる間にも、何度ものどぼとけが上下に動いた。


「では、実験を始める。サイプレス!」

「はい!」


 大声で呼びかけられ、サイは飲み干したポーションの空瓶を足下に落とした。

 何度も何度も検証し、慎重に編み上げた六重円の魔法陣。サイは頭の中だけで呪文を詠唱しながら、アルトカルの眼前にその複雑な構造を展開し始めた。

 石板に刻まれた術式には肝心な部分で抜けや誤字が多く、それを修正して術式の各部分の働きを検証するのには思わぬ時間を費やした。

 だが、アルトカルが最初に予想した通り、天候改変術式のあちこちには古式魔法の中から類似の術式を見つけ出すことができた。

 アルトカルが当初、サイに古い魔道書を片っ端から暗記させたのはまさにそれが目的で、術式をバラバラに分解して古式魔法から正しい綴りを拾い出し、正しい術式に組み直す作業にサイは重宝された。

 おそらく、サイの超人的な記憶力と分析能力がなければ、術式の復元はこれほどの短期間に完成しなかっただろう。


「魔方陣、まもなく展開終わります!」


 サイの声に、アルトカルは大きく息を吸い、魔法結晶を握る右手に力を込めた。

 アルトカルは、サイが常人離れした記憶力と同時に、周りが思っているよりはるかに強い魔力を備え、しかもその魔力量が突出していることにも薄々気づいていた。

 本人には知らせていないが、サイを守る名目でつけた護衛は、同時にサイの動静を逐一探りアルトカルに知らせる密命を帯びていた。彼らの報告により、サイが単独で楽々討伐任務をこなしていることはすぐに知れた。

 試しに何度か討伐に同行して確認してみたが、確かにサイの能力は同年代の魔道士を遙かに凌駕していた。

 サイは知らなかったが、野獣や魔物の討伐任務を単独でこなす魔道士は貴族の中にもほとんどいない。貴族魔道士のほとんどが家格だけで体裁を保っている名ばかり魔道士だということを別にしても、サイの能力は突出している。

 この実験が成功すれば、大魔道士であるアルトカルと共に、サイにもそれなりの報酬と名声が約束されるだろう。

 だが、それは一方で、生活の中のほんの些細な一挙一動まで王家に監視され、一生飼い殺しにされることを意味する。王家の思惑では、天候改変術式は戦略兵器なのだ。


「術式展開完了。魔方陣、待機状態です!」


 アルトカルは魔力補充のためのハイポーションを数本まとめてがぶ飲みすると、あらためて魔方陣の中心に魔力を注ぎ込む。

 そして一方で、これだけの精密な多重魔方陣を長時間安定的に発現し続けるサイに、本能的な恐れを感じざるを得なかった。


「術式有効化! 天候改変魔法、顕現せよ!!」


 アルトカルの叫びと共に、どこか空の遠いところで雷鳴がとどろいた。

 同時に晴れ渡った青空のそこかしこに綿あめのような雲が生まれ、それらはまたたく間にその数と厚みを増しながら、あっという間に見渡す空全体を灰色に塗りつぶした。


「おい!」


 誰か短くつぶやいた次の瞬間。

 アルトカルの鼻先にぽつりと水滴が落ちてきた。


「おお!」

「雨だ! 雨が降ってきたぞ!!」

「成功だ!」


 王族や魔道士団の面々が口々に快哉を叫ぶ。喜びのあまりその場で踊り始めたお調子者もいる。

 だが、それを冷めた表情で見るアルトカルは、やがて決意を込めたように大きく息を吐いた。

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