第15話 サイ、逃避行の果てに絶望を味わう

 日中は森に身を隠し、暗闇を夜行動物のように走り続けて一週間。

 サイは、ようやく故郷の村が見渡せる高台に立っていた。

 朝靄に白くけぶる家々の煙突からまだ煙は上がっていない。日の出まではもうしばらくありそうで、村はいまだとろりとしたまどろみの中にあった。


「王都からの追手はまだ来ていない……か」


 サイがこの村の出身であることは学校にも魔道士団にも知られている。行方をくらました彼が、この村に立ち寄ることも十分に予想の範囲内だろう。

 あの夜、我に返ったサイは、廃屋に至る自らの血痕を消し、戦いの跡も慎重に隠蔽した。また、追手の遺留品はすべて持ち出して途中の森にバラバラに埋めた。痕跡はどこにも残っていないはずだ。

 だが、突然姿を消して戻らない追っ手がどうなったのかは考えるまでもない。疑いの目は当然サイに向く。

 相手は王国の最高権力者を後ろ盾に持つ大魔道士だ。どんな無理だって通る。

 捕まれば、いくらでも罪をでっち上げられる。詮議もなくあっさり処刑されて終わりだろう。


「まずは様子を見た方がいいな」


 正式な伝令を待たず、目端の利く吟遊詩人や動きの速い商人を介してうわさが伝わっている可能性はある。さびれた地方の村では、王都でのスキャンダルは何よりうまい酒の肴だからだ。

 自警団を呼ばれ、命からがら逃げ出す羽目になるのも避けたかった。

 サイが突然現れても絶対に兵に突き出さないと断言できるのは、彼に名を授け、魔法結晶と共に彼を王都に送り出した恩人、ゴールドクエスト司祭ぐらいのものだろう。


「とりあえず、村が寝静まるまで待つか」


 途中の小川で喉を潤した以外、何も食べず、追っ手を警戒して移動中はほとんど睡眠もとれないままだった。

 怪我を負い、立っているだけでも一杯一杯の今なら、たとえ任官したての少年兵にすら簡単に捕まる自信がある。


「……情けない」


 ぼやきながら、サイは森の端にあるヤナギバグミの茂みに無理やり潜り込んだ。

 ここはサイとメープル以外は誰も知らない二人だけの隠れ家だった。

 入り口代わりの木の幹と幹の間をくぐり抜けるのは思った以上に大変だった。幼い頃は簡単に抜けられたのに、体が大きくなった今ではなかなか思うに任せない。

 そのことだけが、彼に王都で過ごした六年という時間を実感させた。


「結局、六年もたって、またここに逃げ込む羽目になるとはね」


 サイは自嘲気味に笑った。

 一身に尊敬を集めるゴールドクエスト司祭への遠慮もあって、村の大人があからさまに孤児であるサイたちを差別することはなかったが、彼に向かう視線は決して暖かくはない。そして、村の子供たちは大人ほどの分別もなく、より直接的にサイを虐げた。

 冷たい視線や陰湿ないじめから逃れ、ヤナギバグミの茂みの真ん中にうそみたいにポカリと空いた寝台二つ分ほどのこの空間で過ごすひとときだけが、彼にとって唯一安らげる時間だった。

 枝葉が複雑に絡まって、外からは中にこんな空間があるなんてまったくわからない。吹きつける砂混じりの風もここには届かず、森を徘徊する野獣すら、不思議にここには入って来ない。


「変わってないな……」


 サイはホッと息をついた。

 蔓で編んだ不格好な蓋付きカゴは、六年前、彼らが村を出た日のまま、隅っこで埃をかぶっていた。

 開けてみると、中に残っていたのは、わずかな小銭に加え、川で拾った不思議にまん丸な黒い石や小さな水晶の欠片、こぶしほどもある大きな松ぼっくり。そして、サイが木の節を削ってメープルに贈った不格好なブレスレット。

 そんな、子供じみた宝物がいくつも詰まっていた。

 サイは小さくため息をつくと、灌木の幹にだらりともたれかかる。そうして、食堂のおかみに渡されたままふところにしまい込み、封も切っていなかった手紙を手に取った。

 サイの血でなかば接着されたような皮紙を丁寧にはがし、現れた文面が見慣れた筆跡で綴られていることに今さら胸が痛くなる。


〝サイ


 あなたには、きっともう二度と会えないのでしょうね。

 なぜか涙は一滴も出てきません。

 たぶん、この手紙があなたに届くこともないと覚悟しています。

 おととい、あなたが突然退学したと聞きました。魔道士団から姿を消したとも〟


「……何だよ、これ」


 時系列がおかしい。

 サイが魔道士団から追い出されたのは王都に戻った当日。放校を言い渡されたのも同じ日だ。それなのに、どちらも何日も前に起きたことになっている。

 手紙はさらに続く。


〝あなたとの新生活を本当に楽しみにしていたのに。

 今はとても虚しい気分です。

 しかたがないので、アルトカル様に頼ります。でも……。

 手ひどく裏切ったのはあなたが先。

 まさか私を恨んだりはしないよね?

 好きだった。こうやって、過去形でしか言えないのがとてもとても残念です。


             メープル〟


 ほんの十行ほどの短い手紙。だが、サイは打ちのめされ、ため息すら出なかった。

 同時に、今回の件が慎重に計画された謀略であることが不思議なくらいすとんと腑に落ちた。


「あの、立て続けの討伐任務も罠だったんだ……」

 

 天候改変術式の成功の余韻に浸る暇もなく、ギルドではなく魔道士団から直接命じられた緊急の野獣討伐任務。

 目的の場所は往復だけでも数日かかる遠方ばかりだった。一方で、危険手当が相場よりかなり高く、しかも現金前払いだった。当然サイは二つ返事で引き受けた。


「……やけに待遇がいいと思ったよ。僕を王都から遠ざけ、メープルから引き離すのが目的だったんだな」


 もし、おかみの言うとおり、大魔道士がサイの留守にちょくちょく店を訪れていたのであれば、メープルもそれなりに気を許していただろう。

 その場に大魔道士の虚言を正す人はいないのだ。いくらでも好きなようにデタラメを吹き込めたに違いない。

 純真な彼女をだますことなど、きっと赤子の手をひねるより簡単だっただろう。

 貯金を引き出すようにそそのかしたのも恐らく大魔道士だ。

 サイが突然姿を消したことで彼女は深く絶望し、そこに、タイミングよく手を差し伸べた大魔道士にすがらずにいられなかっただろう。

 それが巧妙に張られた罠だと気がつきもせず。


「……ああ」


 王都を離れ、追っ手に追われ続けた数週間、ビンビンに張り詰めていた気持ちの糸がついにぷっつりと切れた。

 気がつくと、サイはぽろぽろと涙をこぼしていた。

 誰もいない灌木の茂みで、彼は涙が涸れるまで、声を立てずに泣いた。

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