第14話 サイ、暗殺者に襲われる

「はあっ! はあっ!」


 サイは霧のような雨が降り続く深夜の街道を走り詰めに走り、枝道に少しそれた荒れ地にたたずむ廃屋に潜り込んだ。

 どうやらかつては食料か雑貨を扱っていた商店のようで、店舗スペースの裏に結構な大きさの倉庫があった。

 ただ、棄てられてもう長いらしく、現役時代は商品のストックで一杯だったはずの棚は、どれも空っぽでクモの巣にまみれていた。

 がらんとした部屋の隅にはひび割れ、乾ききった空の樽がずらりと並んでいる。


「はあっ、ふうっ」


 サイは転がっていた棒きれでクモの巣を巻き取りながら這うように進み、裏口を探す。だが、分厚い木の扉には太い角材がバツ印に打ち付けられていて、とても出入りはできそうにない。


「はあっ、裏口はない、か。はあっ、でも、これなら、挟み撃ちもできない、はず」


 息が上がって、もうこれ以上は走れそうにない。

 サイは閉鎖された扉を背にしてずるずると座り込み、荒い息を繰り返しながら、赤く染まったずぶ濡れの上着をはだけ、矢が突き立ったままの肩をむき出しにする。

 矢は背中側から肩を貫通して手前に抜けている。出血の度合いからして、幸い太い動脈を傷つけてはいないようだ。


「うううっ!」


 サイは激痛をこらえながら手前に突き出た矢じり部分を握り、軸を力任せにへし折ると、矢羽根部分を背中側に引き抜いた。引きちぎった上着の袖で傷口を強く縛り、形ばかりの止血をする。

 自らの血にまみれたヌルヌルの両手の平は床の端にたまった細かい砂にこすりつけ、血を吸って固まった砂を転がっていた陶器の破片で手のひらからこそぎ落とす。

 あの日、ひっそりと王都の門を出たサイを、追っ手は放っておいてくれなかった。

 その正体はだいたい予想がつく。

 大魔道士アルトカルが手配し、ここ数ヶ月、ずっと護衛の名目でサイに張り付いていた兵士たちだろう。サイからすべてを取り上げ、王都から追放しただけでは足りず、いよいよその存在すら消しに来たらしい。


「命令したのはアルトカルか、それとも王家も関係しているのか?」


 秘密実験に成功した天候改変術式の全貌を知るのは、今のところ大魔道士アルトカルとサイの二人だけだ。

 ここでサイを始末すれば、術式の秘密は大魔道士がすべて独占することになる。

 彼らは、地位も名誉も、ささやかな財産すらもサイからかすめ取り、大切な婚約者を簒奪さんだつしてなお飽き足らず、命までも奪おうというのだ。


「ったく、なんて執念だよ!」


 幼い頃から人の悪意には散々さらされて来たけど、ここまで徹底的でえげつない仕打ちは生まれて初めてだった。

 一時はアルトカルに心を許しかけただけに、この裏切りと豹変ぶりは、悔しいというより、ただただむなしく、そして悲しかった。


「もしかしたら、学校長も……」


 嫌な想像がふと頭をよぎり、サイは慌ててその考えを打ち消す。


「いや、そんなことより、早く脱出しないと」


 サイは立ち上がりかけ、店の入り口で砂利を踏む足音に気づいてギクリと動きを止めた。


「……ここか?」

「間違いない。血痕がここで途切れているな」


 追跡者のささやき声が戸口から漏れ聞こえている。

 ここまで、サイはひたすら追っ手から逃げ回り、相手がサイを見失って追跡を諦めることを期待していた。だが、さすがにもう限界だ。


「ここにいることはわかっている。両手を挙げて素直に姿を見せれば——」

「まあ、どっちにしろぶっ殺すだけだけどな」


 一人の声にもう一人が混ぜっ返すように茶々を入れ、


「そりゃ違いねえ」


 最初の男がそう答え、そろって粗野な笑い声を上げる。

 王都を脱出してからここまでの逃避行で、すでにサイは腕や足に何本もの矢傷を受けている。追っ手が、彼をわざといたぶっているのは火を見るより明らかだ。

 あえて急所を狙わず、まるでウサギ狩りのようにじわじわとサイを弱らせて追い詰め、ゲラゲラと笑いながら武器を向ける。

 そう、彼らにとっては、この追跡はただの〝ゲーム〟なのだ。

 そのことに思い至った瞬間、サイは憤りのあまり目の前が真っ赤に染まる。

 即座に飛んでくるボウガンの矢を、彼は避けなかった。矢はサイの右の耳たぶを抉り、後方の壁にズドンと突き立った。


「僕が二度と王都に戻らないと言ったら、見逃してくれるつもりはないか?」

「バーカ。そんな口約束が通るわけねえだろ。あのお方から、おまえは確実に始末しろって言われてるんだよ」

「この場で土下座して頼んでも——」

「やりたきゃやれよ。這いつくばって俺たちの靴を舐めてもいいぜ。結果は変わらないけどな」


 返事と共にうなりをあげて矢が飛んでくる。今度は彼の左手の薬指の先を吹き飛ばし、血しぶきと共に再び壁に突き刺さる。


「どうした? 逃げねえのか? 面白くねえ。ついに観念したか?」


 サイはこれ以上の対話を諦めた。

 学校では、魔法を仲間に対して使うことは厳しく戒められていた。

 入学式の誓いでも、魔法は人を生かすためのもので、人を殺めるものにあらずと全員が神に宣誓する。

 だが、彼はもはや魔道士学校の生徒でも、王立魔道士団の一員でもない。

 組織から一方的に切り捨てられた今、サイを縛るいましめはなにもなかった。

 サイは、頭をブンと振って強引に未練を断ち切ると、右手を追跡者の方に伸ばす。次の瞬間、青く光りながら音もなく回転する精密な魔方陣が現出した。

 無詠唱魔法。そして速成魔方陣の構築術。

 恋人も、財産も。ありとあらゆる物をを奪われ、サイの手元に残ったのはただひとつ、魔法これだけだった。


「やばい! 身体が動かねえ!」

「貴様、何のつもりだ!?」


 追っ手の表情に始めて恐れの色が浮かぶ。だが、もう遠慮するつもりもない。


「キリシ、アルケイオン・イ・ル・グオラ! 大いなる虚無よ、彼らを喰らえ」


 次の瞬間、追跡者は一言も発することなくその場から蒸発した。

 肉の焦げるような鼻をつく匂いだけが残り、それすらも壊れた窓から吹き込む砂混じりの風に運ばれて次第に薄れていった。


「あは、あははっ!」


 サイはその場にドサリとひざまずく。

 カサカサにひび割れた唇から、乾いた笑い声がこぼれる。


「あは、あはは、はははっ!」


 狂ったように笑いながら、サイは止めどなく涙を流した。


「もう戻れない。これで僕は殺人者だ……」


 追い詰められて、仕方なく。

 サイはこの瞬間、国家に反逆する大罪人になった。

 幼い頃から思い描いていた明るい未来も、手に入るはずだった美しく優しい新妻との生活も。この瞬間、まるで指の隙間から砂がこぼれるように、サイはそのすべてを永久に失った。


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いつも応援ありがとうございます。

つらい展開が続いていますが、明けない夜はないと信じて頑張って書いてます。

次話からは新しい展開につながっていく予定。

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