第8話 大魔道士、サイと共に魔物を退治する
それから一週間、同じような日々が続いた。
日中は魔道士団の隊舎で古代魔道書の解読と暗記に励み、夕方からはメープルの店に通って名物のアルノー牛料理に舌鼓を打つ。とはいえ、高価なアルノー牛を堪能しているのは大魔道士ばかりで、サイが口にするのはせいぜい安い山羊肉の照り焼き程度だった。
「メープル嬢、今日もそなたは美しいな。こんな場末の酒場に置いておくのはもったいない」
「何をおっしゃっているんですか。大魔道士様は美しいご令嬢なのお知り合いが大勢おありでしょうに」
アルトカルはいやいやと首を振り、機嫌良くメープルに笑いかけた。
一方、サイは少し面白くない。
自分の婚約者がほかの男に目を付けられるのもイヤだし、彼女がそれに如才なく返すのもなんだかモヤモヤする。
「ところで、君以外の今日のおすすめはなんだね?」
「もう、アルトカル様。せっかくのお褒めの言葉を食い気と一緒にしないでいただけますか?」
そんな軽口を叩けるくらい、アルトカルはメープルと打ち解けた。
アルトカルは、名門貴族の出身で、しかも大魔道士という大げさな肩書きの割には、案外付き合いやすい人物だった。
確かに偏屈なところはあるし、また異常なほどに気位が高いが、それも貴族らしい態度と割り切ってしまえばまったく話のできない相手でもない。
「ところでサイプレス、貴様、魔道書の進捗はどうなのだ?」
「ええ、同僚が運んでくれた魔道書には一通り目を通しました。後は禁書庫の分が半分くらい残っているだけです」
初日、いじめのようにサイの机に魔道書を積み上げた若い団員は、その後も毎日大量の書物を机に積み上げてきた。
彼からしてみれば明らかに嫌がらせのつもりだっただろう。
ところが、サイが一向に堪えるそぶりを見せずに淡々と読みこなし、それどころか日に何度もおかわりを要求するので、最近は顔を見るたびにげんなりした表情を浮かべている。
「ならばそろそろいいだろう。これからちょっと付き合ってもらおう」
「どこに、でしょうか?」
「貴族街の外れにある廃屋だ。魔物が住み着いたから退治して欲しいという訴えが魔道士団に出されている」
「え? アルトカル様が直々に出向かれるんですか?」
「貴様の使い勝手を確かめたい。多少手応えのある相手であるとうれしいがな」
なるほど、大魔道士の称号はダテではないらしい。痩せぎすの貧弱そうな見かけによらずフットワークがよく、なおかつ戦闘的な性格の一端を見て、サイはアルトカルに対する見方をさらに改めた。
「よし、炎! 火炎旋風で奴を寄せ付けるな!」
廃屋に住み着いた魔物というのは子犬ほどもある巨大なコウモリの群れだった。
アルトカルはまばゆい閃光で魔物の目を封じ、耳に聞こえないほどの超高音で魔物の耳を封じて動きを止めると、剣を抜いて個別撃破を始めた。
サイは命じられるまま無詠唱で火炎の魔方陣を現出させ、そこにアルトカルが自分の魔力を通して自分たちを中心につむじ風を起こした。
家具や調度品が炎を上げながら次々と舞い上がり、それがバリケードとなって二人を襲おうとする魔物を遠ざける。
『やった!』
サイは内心で喜びの声を上げた。思わずぐっと両拳を握りしめる。
アルトカルに命じられて読み込んだ古式魔法の魔道書。そこに記されていた発現術式を組み込むことで、サイは無詠唱での魔法発現に今日、初めて成功した。
「次、氷! そして風を多重発動! 炎を鎮火し広間の温度を限界まで下げる!」
ぶっつけ本番での無詠唱発現が成功したことに気をよくして、サイは命じられるまま、次々と空中に魔方陣を現出させる。
アルトカルが様々な属性の魔方陣を立て続けに要求してくるのはサイの能力を試しているのか、それともこの
サイが発現させた多重魔方陣。アルトカルはすかさずそこに大魔力を注ぎ込んで大広間全体を一気に凍結させた。
牙を剥き、飛膜を広げたままの姿で凍り付き、ボタボタと床に落ちてくる魔物の首を彼は次々と剣で刺し貫く。程なく、大広間には二人の他に動くものの姿は見えなくなった。
「なんだこれで終わりか? 思ったよりあっけなかったな」
剣を鞘に戻しながら、アルトカルは拍子抜けしたような口調で言った。
三十匹以上の巨大コウモリを屠ったにしては手応えがなさ過ぎたのか、彼の表情はどこか不満そうだ。とはいえ、魔力の消耗はそれなりに激しいようだ。腰のベルトからハイポーションの小瓶を抜き取ると続けざまに飲み干し、ようやくふうと大きく息をつく。
「それにしても、貴様、なんなんだあの構築密度は? 本当に魔方陣を打つのは初めてなのか?」
「ええ、一応学校で過去の技術として学びました。教授も含めて魔方陣の使い手は誰もいませんでしたし、発現術式も知りませんでした」
サイは自らもポーションを飲み干しながら、質問の意味がつかめずに首をかしげた。
空中に一時的な魔方陣を現出させる術式は、確かについ先日、触るだけでボロボロ崩れてくる古い魔道書で学んだばかり。実戦で試したのも今日が生まれて初めてだ。
「それに、あれだけ緻密な陣を組んだ割にさほど消耗しているようにも見えないが?」
「いいえ、ポーション二本消費しました」
答えながら足下に転がる空瓶を指さす。
「アルトカル様がそのたびに目的を言って下さったから思ったよりやりやすかったですよ。言われた目的をだけを考えて陣を構築しました。属性限定ですから見た目より単純ですし、魔力もそれほど使いませんし——」
「言うほど簡単か? 少なくとも俺は即興でここまで綿密な魔方陣の多重生成、構築などできん」
「いえ、術式の構文を理解すればそれほど難しいとも思えないのですが?」
「……馬鹿な! 術式は記憶するものであって、そもそも読み解く物などでは……」
アルトカルはどうしても納得ができないようで、眉をしかめながらさらに問う。
「その上貴様、風はともかく火と氷属性は持っていないと言っていたはずだよな?」
「……ええ。学校ではそう判定されました」
「ありえん!」
サイは、アルトカルがなぜ火と氷の魔方陣を要求したのか、その理由にようやく思い至った。彼はサイの力量を試していたのだ。
だが、サイが火と氷の属性を持たないというのは厳密には正しくない。
「そもそも、僕は魔法属性というのが未だによく分からないんです。世の
「……五大元素説は魔法の基礎の基礎だぞ。そんな調子で貴様は一体どうやって術式を発現するというのだ?」
「ですから、僕は術式を徹底的に解析して、発動原理を理詰めで理解することでカバーしています」
「は? 術式はもとよりかくあるべくしてあるものだろう? 原理の理解など術式の発動にはまったく不必要だ……」
アルトカルは呆れたように鼻を鳴らした。
サイは、例えば高温の湯気も氷も、水という物質の活力のようなものの量が違うだけではないかと考えている。物質の持つ活力が多ければ湯気になり、少なければ氷になる、というように。
だが、学校では、高温の湯気は火の属性、氷は氷の属性。完全に別物として教えられる。ここがサイには納得できない。
こと水に限らず、岩も、木も、同じ物質なのに、それぞれが持つ活力の多寡で属性が変わるという考え方にサイはどうしてもなじめない。そのせいで、属性判定の際にうまく意識を集中することができなかった。
「……ううむ。術式の分析力は認めるが、貴様の考え方は今の魔道士界では異端だ! おそらく誰にも理解されることはないだろうな」
アルトカルはそう断言した。
結局その夜、貴族街と平民街を仕切る門で別れるまで、アルトカルは難しい顔をしたまま一言も言葉を発しなかった。
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