第7話 大魔道士、サイの使い道を思いつく

「私には瞬間記憶能力があります。一度目にしたことを忘れることはありません。というか、忘れることができません」

「なんだと!」

「ですから、石板の文字も、前に教授が持ち込んだマヤピスの古文書もわざわざ書き写す必要がなかったんです」

「……それはまた、ずいぶんと都合のいい能力だな」


 アルトカルはようやく落ち着いたようだ。真っ赤に茹だっていた顔色も少し冷め、サイの告白に疑わしげな目を向けてくる。


「魔道士学校の課題もそうです。テキストも術式も一瞬目にすれば完全に覚えられますから。おかげで分不相応に首席なんかをつとめています。別に魔道の才が貴族の方々と比べて優れている訳じゃないんですよ」


 そう言ってサイは謙遜けんそんして見せた。


「それは当然だな。平民が貴族以上の才を持っているはずなどないしな」

「というわけで、私は魔道よりむしろこの記憶力で大魔道士様のお手伝いができると思うんですが?」


 何でも一瞬で記憶し、忘れない。

 この能力が学業に有利に働いたことは間違いない。ただ、サイは自分の魔道が平凡だとも思っていない。そこはゴールドクエスト司祭が幼い日のサイに何度も何度も繰り返し言い聞かせていたことでもあった。


『君の魔道の才は、恐らく当代に並ぶ者がないだろう。それこそ大魔道士と言われるような人にも決して劣ってはいない。ただ、それを決してひけらかしてはいけない。他者が君に対して抱く恐怖、そしてそねみやねたみは魔法でも消し去ることはできない。君が何より恐れなければいけないのは、強大な魔法使いでも魔獣でもない。そういう負の感情の連鎖だよ』


 彼はサイが孤児院を離れる朝にもそう言ってサイを諭した。

 お互い切磋琢磨する間柄ということもあって、ライバル心をむき出しに迫ってくる同級生は多かった。だが、同じ魔道士の卵同士、サイが多少やり過ぎても、学校内で必要以上に恐れられることはなかった。

 だが、卒業して街に出るとそうはいかない。世の中は魔法を使えない人が大半だし、一度妙な悪評が立ってしまえば取り返しがつかない。外の世界では学校長のようにサイを守ってくれる仲間はいないのだ。

 メープルと平凡で幸せな家庭を持つことを夢見るサイは、卒業後は極力能力ちからを隠し、目立たず生きていこうと心に決めていた。

 だから、ここで大魔道士に能力を危険視されるよりも、多少侮られても魔法以外の部分で認められ、便利使いされる道を選んだ。

 その方が、卒業後、魔道士団の一員になる時も何かと都合がいい。


「なるほど。貴様は魔道士としては平凡かも知れんが、その記憶力には多少なりとも使い道があるようだ。明日から魔道士団に顔を出せ。俺が直々に使ってやる」

「判りました。仰せの通りに」


 大魔道士が思惑どおり話に乗ってきたことに満足し、サイは素直に頭を下げた。

 一方、アルトカルは、学校推薦でやって来た得体の知れない魔道士補が、自分の立場を脅かす危険性がないと悟ってほっとしていた。

 この男が立場の違いをわきまえて、自分の下働きに徹するというのであれば思う存分こき使ってやればいい。使いつぶしたとしても自分の損にはならないし、それなりに役立つなら手柄だけ受け取って放り出せばいい。

 そう割り切って内心ニヤリとほくそ笑む。


「お待たせしました! アルノー牛のステーキです。とってもおいしいですよ」


 タイミングよくメープルがやってくると料理をテーブルに並べ、アルトカルのグラスになみなみと赤ワインを注ぐ。


「ではでは、ごゆっくりどうぞ〜」


 とびきりの営業スマイルを大魔道士がめがけて炸裂させ、彼がだらしなく目尻を下げた所でサイの方にこっそり目配せをする。

 サイは小さくうなずいてメープルのアシストに感謝すると、皿の上ですっかり冷めてしまった山羊肉のかたまりを口に放り込んだ。




 翌日、サイは朝早く魔道士団の本部に顔を出した。

 昨日まで一歩も立ち入れなかった団員の執務室に始めて足を踏み入れると、戸口に一番近い粗末な机に分厚い本や書類が山のように積み上げられているのが目に入った。


「お前がサイプレスか?」


 魔道士団のマントを着た赤い髪の若い男がさらに一抱えの古文書を持ってきて机に積み上げると、サイの姿を認めて見下すように聞いてくる。

 サイは、またこの繰り返しかと内心うんざりしつつ、それでも作り笑顔でうなずいた。


「大魔道士アルトカル様からのご指示だ。この魔道書に今日中に全部目を通して、暗記しろ、だとさ」


 彼の口調から、どうせできっこないとバカにしているのが丸わかりだ。

 おそらく大魔道士が仕組んだ新手の新人いびりだとでも思っているのだ。

 しかし、昨夜、アルトカルはサイにこう言った。


『おまえを俺専属の術式索引として使ってやる。王家に伝わる魔法術式をすべて暗記し、必要なときに俺に示せ』


 どんな大魔道士でも、術式をすべてそらんじているわけではない。

 あらかじめ術を発現できることさえ判っていれば、使用頻度の低い魔法は必要なときに魔道書を紐解けばいい。アルトカルはサイをデータベース代わりに使い、魔法陣構築の手間を省略してお手軽に魔法を使いこなそうと考えたのだ。

 サイとしても、一般に出回っていない王家の魔法術式を知ることができるのには大きなメリットがある。断る理由なんてなかった。

 こうして、アルトカルに命じられるまま、サイはその日一日、積み上げられた魔道書をひたすら読み込み、脳裏に刻み込んだ。


「サイプレス。例の店に行くぞ。ついてこい」


 そうして夕方になると、アルトカルはサイの前に現れてそう言ってせかした。


「例の店?」

「アルノー牛のうまいあの店だ。平民街にあるくせ、あの店の給仕はなかなかに整った見た目をしている。その上料理も侮れん」


 どうやら、メープルの働く店のことらしい。


「私などがお供でいいのですか?」

「バカか貴様は。他の者に、俺が平民街に通っているなどと知られるわけにはいかんだろうが!」

「ああ、なるほど」


 サイは苦笑した。

 大魔道士と言うからどれほどお高くとまっているだろうかと思っていたけど、彼は意外とそうでもないらしい。

 それにメープルのことを見下さないのも好感が持てる。


(もしかしたら、うまくやれるかも知れないな)


 サイは内心そうつぶやくと、彼の後について魔道士団の建物を出た。

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