第6話 サイ、大魔道士の急襲を受ける
翌日、午後。
魔道士団の本部に出向いたサイは、頬をパンと叩いて眠気を払うと、大魔道士アルトカルに面会を申し込んだ。
だが、思った通り、彼はまったく姿を見せなかった。
「アルトカル様はご都合があいません。出直していただきたく」
「では出直します。いつがよろしいでしょうか?」
「いつでも同じです。お返事は変わりませんので」
昨日と同じ細い目の侍従が代わりに面会室にあらわれ、そう
だが、そこまでは予想の範囲内だ。
サイは小さく鼻を鳴らすと、ふところから筒状に丸めた皮紙の束を取り出した。
「では、これを大魔道士様にお渡しください」
「これは?」
「例の石板に刻まれた術式の直訳です」
「えっ!?」
表情の乏しい侍従が初めて驚愕の表情を浮かべる。
その様子にサイは心の中でほくそ笑んだ。
この、見えているかどうかすら分からない糸目が開いた瞬間を見られただけでも、徹夜で作業に取り組んだかいがあったというものだ。
気をよくしたサイは、もう一つ折り畳んだ皮紙をふところから取り出し、テーブルにぱらりと広げる。
「で、こっちは古代語で書かれたオリジナルの術式を可能な範囲で現代術式に置き換えたものです」
「なんですと!?」
「まあ、けっこうあちこちに意味の通らない部分があるので、実用まで持っていくにはかなりの修正が必要だと思いますが……」
「それは……いえ」
侍従は言葉を発しかけ、小さく咳払いして言い直す。
「それよりも、これをお預かりして本当によろしいのですか?」
サイは鷹揚にうなずく。
「ええ、構いませんよ。どうせこのままでは魔法の発現はできないと思います。でも、大魔道士様なら術式構成の検証くらいはできるでしょうから」
「あの、貴殿はこれで何を?」
「ええ、大魔道士様がこれを見てどのようにお感じになるか、それを知りたいだけです。すべては大魔道士様のお考え次第ですね。では」
「あ、ちょっ!」
サイはそこで話を切り上げると、侍従が止めるのも聞かずにすたすたとその場を離れた。
「さて、大魔道士様はどう出てくるかな」
サイは、目で見た風景の一瞬を切り抜いて、そのまま画像として記憶する能力を持っている。
風景の中の群衆の顔一つ一つ、街路の看板や食堂のメニューまでまるで写実画のように一瞬で記憶し、後からでもまるでその場にいるかのように克明に思い出すことができる。この能力は生まれついてのもので、子供の頃はこの程度は誰でもできるものだと思い込んでいた。
この能力でサイは石板の表面に刻まれた膨大な文字を一枚の画像として記憶し、寮に帰ってから文字に書き起こしたのだ。
「ふぁ〜、とりあえず、徹夜で腹がへったな。メープルの店にでも行くか」
後ろ頭をカリカリと掻きながら、サイは今度こそ誰はばかることなく大あくびをした。
「サイプレス! ここにサイプレス・ゴールドクエストはいるかっ!?」
その日の夕方。
メープルの勤める店で早めの夕食に取りかかっていたサイの耳に、焦りをにじませた叫び声が響いた。
「あれ、大魔道士様じゃないか?」
誰かのつぶやきに顔を上げると、興奮して手足を振り回し、おかみに入店を阻まれている金髪の美青年が目に入った。彼の背後には例の糸目の侍従の姿も見える。
「おい、サイプレス! 貴様、あれは何の真似だ!?」
大魔道士アルトカルはサイの顔をひと目見た瞬間、真っ赤な顔で吠えた。
「何って? そちらの侍従さんにきちんと説明させていただきましたが?」
人を食ったようなサイの反応に、彼はさらにヒートアップする。騒ぎ過ぎて少しばかり迷惑だと周りの客が感じ始めたタイミングで、メープルが小走りでサイのテーブルにやって来た。
「サイ、どうする?」
「どうするって?」
「あの人にこれ以上入り口で騒がれても邪魔なんだけど」
「まあ、確かに」
「もしサイが迷惑なんだったら、警備兵を呼ぶ?」
さすがにそれは意地が悪すぎるか。そう思いなおしたサイは小さく横に首を振る。
「うーん、テーブルについてもらおう。案内してくれると助かる」
「いいの? もし会いたくない人ならおかみさんに追い返してもらうけど」
「大丈夫、思っていたより早かったけど、いずれ来るだろうとは思ってたから」
「……ふうん?」
メープルはまだ半分状況を飲み込めていない様子だったが、戸口で番人のように通せんぼしていたおかみに耳打ちし、アルトカルと侍従をサイのテーブルに先導した。
「感謝を、美しいお嬢さん。で、サイプレス! 貴様はなぜこんなところでのんきに飯など食っている!」
メープルの手を取りキメ顔で感謝の言葉を紡いだ次の瞬間、サイの顔を見て大魔道士は態度を豹変させた。
「こんな所とはご挨拶ですね。このお店、料理は絶品ですよ。よかったら大魔道士様も夕食をご一緒にいかがですか?」
「あ゛!?」
彼の顔色が怒りでさらにどす黒くなる。表情を歪ませて潰れた蛙のような声を発して凄んだアルトカルだったが、周りの刺すような視線と侍従の耳打ちでさすがにアウェイを悟ったのか、わざとらしく咳払いをするとサイの向かいにどっかりと腰を下ろした。
「アルノー牛のステーキなどいかがでしょう? 大魔道士様」
「あ!? あ、ああ、じゃあ、それをもらおうか。あとはワインを」
タイミングよくメニューを差し出しながら割り込んできたメープルのにこやかな笑顔に毒気を抜かれ、アルトカルはすっかり素に戻ってメニュー表の一番上にある高価なメニューをオーダーする。
「で、大魔道士様、わざわざご自身で平民街までお越しになったのは一体何のご用ですか?」
アルトカルがどうにか落ち着いた所で、サイはナイフとフォークを皿に置き、今度は煽りなしの真面目な表情で問いかけた。
「〝で〟じゃない! 貴様、あの解読文は何だ?」
「ご覧いただけたんですね。ありがとうございます」
サイは内心〝しめた!〟と膝を打った。サイのことは無視しても、王宮に依頼された大魔道士として、石板の謎にまで知らん顔はできないらしい。
「違う! 俺が聞きたいのは、貴様はどうしてあれほど早く術式の解読ができたかということだ。そもそもあれは——」
「解読? してませんよ」
「はあ!?」
「石板の文字は別に暗号にはなっていません。忘れ去られた古い文字と言い回しで綴られていたものを現代語に翻訳しただけです」
「何だと!? じゃあ、なぜこれまで誰も読み解けなかった!?」
「あの古代語は遙か昔に廃れました。今や誰も使う人はいません。完全に忘れ去られたものです。私が読み解けたのは、前にたまたま古文書で見かけたことがあったからです」
「見え透いた嘘をつくな! あの文字についての書物など、一体この世のどこにある!? 王宮の禁書庫にすら見当たらないのだぞ。禁書庫の閲覧を許されたこの俺が言うのだから間違いない!」
「ええ、だから、以前学校で一度だけマヤピスの古文書を——」
「マヤピスだと!? あそこの書物は持ち出しも写本も禁じているはずだろう?」
「いえ、身分のしっかりした研究者には貸し出しを許すこともあるそうです」
「だとしても、どうして貴様ごときが写しを——」
いちいちケンカ腰でかみついてくるアルトカルに、サイは面倒くさいなあと思いつつ、意識してゆっくりと言葉を返す。
「大魔道士アルトカル様、私の説明をまずは聞いていただけませんか?」
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