第一章

第1話 サイ、魔道士学校長から呼び出される

 卒業課題の執筆に取り組んでいたサイは、自室の扉が慌ただしくノックされたのに気づいて羽根ペンをインク壺に戻し。顔を上げた。


「どなたですか?」

「夜遅くに申し訳ありません。学校長からサイプレス六回生にご伝言です」


 扉の外から聞こえたのは、まだ声変わりもしていないかん高い少年の声。声の主はおそらく学校の細かな雑用や伝令をこなすため詰め所で待機する一回生のうちの一人だろう。


「待って、今開ける」


 サイは風で飛ばないよう、文鎮ぶんちん代わりの砂漠オオカミの牙を皮紙の束の上に置くと、小さく息をついて立ち上がる。

 思い返してみれば、自分も一回生の頃は毎日のように校長室に詰めていた。

 入学した最初の年は、講義以外の大半の時間を校長室の脇に作られた狭い詰め所で過ごしたといっても間違いじゃない。

 放課後、寮の自室に戻れば、部屋を照らすためのランプの油や、暖をとるための豆炭の消費も馬鹿にはならない。だが、詰め所にこもっていれば少なくともそれらは節約できる。

 用を言いつけられれば真冬でも外に出ることになるが、一回あたりわずかではあるが手間賃チップも支払われる。

 サンデッガ王国南部の農村の孤児院で育ち、ここ王都に身寄りのないサイにとって、無料タダで明かりとぬくもりが提供され、ちょっとした軽食や、わずかとはいえ収入まで得られる詰め所番は願ってもない役割だった。

 そんなことを懐かしく思い出しながら扉を開く。案の定、緊張した面持ちで廊下に立っていたのは、まだ何の徽章も持たない一回生の少年だった。


「サイプレス・ゴールドクエスト六回生でいらっしゃいますか?」


 少年はぎこちない仕草で上級生に対する敬礼をしてみせると、ゴクリとつばを飲み込みながらそう問うた。


「うん、サイプレス・ゴールドクエスト、本人だよ」


 答えながら、こういった使いの相場である一分銀を二粒ほど彼の手に握らせてやる。少年はようやく少し安堵した様子で大きく息を吸うと、ゆっくりと口上を述べた。


「伝言であります。クレソール学校長がサイプレス六回生にお越しただきたいと仰っています。学校長室までお越しいただけますか?」

「わかった。いつ行けばいい?」

「あー、えっと、〝今すぐに〟と仰っておりました」

「え? 何だって?」


 サイは眉をしかめると振り返り、窓枠に置かれた時計の文字盤を確かめる。

 学校長からの呼び出しそのものは特に不思議でもないが、消灯時間も近いこんな夜更けに呼び出されることは珍しい。だが、少年はそれを自分が叱られたものと思い込んで引きつった顔をしている。


「あ、悪い。別に君を叱った訳じゃないんだ。学校長には〝すぐに行きます〟と言付けてくれるかい」

「はい! わかりました!」


 サイはそこでふっと表情を和らげる。


「実はさ、僕も入学から二年ばかり、君みたいに詰め所番をやってたんだよ」

「えっ! 四年連続首席のかた……サイプレス六回生が、ですか!」

「ああ」


 サイは小さく鼻を鳴らす。


「いいよ、〝堅物〟でも〝からくり人形でも〟好きなように呼んでくれて」


 そんなあだなを一体どこで聞いてきたのやら。彼が異常なほど萎縮しているのはきっとそのせいだろう。


「僕だって最初の頃は大したことなかったんだよ。君も頑張れ」

「は、はいっ!!」


 少年はこびるような笑顔を浮かべながら頷くと、まるでたがが外れたように猛烈な勢いで駆けていった。


「あんなに緊張しなくてもいいのに」


 サイは苦笑すると、身支度のために部屋に戻った。





 サンデッカ魔道士学校。

 サイが属しているのは、サンデッカ王国の王都に門を構え、諸外国にもその名の知れた国内唯一の魔道士養成学校だ。

 サイは南部の貧しい小村で生まれ、物心もつかないうちに親に捨てられた。

 彼の名は孤児院の門前に置き去りにされた時に握りしめていたヒノキの小枝サイプレスにちなんで名付けられ、姓は六年前、魔道士学校の入学試験を受けるため、孤児院の院長でもあった司祭のものを受け継いだ。

 村には、ほかに魔道の素質を持つものはいなかった。

 その才能を惜しんだゴールドクエスト司祭が私財をはたいて王都までの旅費と当座の滞在費を工面してくれ、将来を誓いあった幼なじみ、メープルと共に王都に移ってからは、とにかく毎日が必死だった。

 彼は学校の寮に入って勉学に専念、一方メープルは近くの食堂兼宿屋に住み込みで働くことになり、大都会の片隅で二人、身を寄せ合ってどうにか生きてきた。

 首席に選ばれ、学費無料の上に奨学金を得られるようになってからはわずかに蓄えもでき、その額は見習い魔道士としてギルドの仕事を受けるようになってから急激に増えた。

 おそらく、そろそろ王都のはずれに二人が住める小さな家を買う頭金くらいの蓄えはあるはずだ。


「そのかわり、面倒ごとも増えたけどな」


 彼はそうひとりごちる。

 魔道士は貴族が目指す職業としては一般的で、それだけに、平民のサイが彼らを飛び越えて首席を獲得したことで校内での空気は微妙なものになった。

 生まれつきの能力にあぐらをかき、魔道士資格だけを目的に通う貴族の子弟には、〝堅物〟と陰口をたたかれ、首席を狙っていた成績上位者からは機械のように正確な術式の発動を〝からくり人形〟とさげすまれた。

 だが、並外れた魔道の才を誰もが恐れ、直接対抗しようとする者はいなかった。


「そうだ。式の予約の件もあるし、今度メープルに聞いておかないと」


 彼は苦々しい気持ちを強引に振り払い、別のことに思いを向けた。

 卒業まであとわずか。メープルとは卒業と同時に結婚の約束を交わしている。

 そのための共通の貯金は、寮住まいで簡単に外出のできないサイに代わって、幼なじみのメープルがまとめて魔道士ギルドの口座で管理している。

 

「楽しみだな」


 サイはいずれ来るその日のことを夢想し、小さく頬を緩ませた。

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