さすらいの魔法使い 

凍龍(とうりゅう)

プロローグ 魔道士補サイ、首尾よく依頼を達成する

「よし、これで全部だな?」


 サイは塀の前で素早く振り返ると、右手をまっすぐ前に伸ばし、彼を追って来た砂漠オオカミの群れを強くにらみつけた。

 彼の思惑通り、バラバラに分散して村の家々を襲っていたオオカミたちは彼の背中を追うように集結していた。

 オオカミたちは、村はずれに設けられた半円状の空き地のすみで塀を背にして立つサイを二重三重に取り囲むと、まるでおびえる獲物をなぶるように、口々にグルグルとうなり声を上げる。

 自分たちの家に閉じこもり、扉の隙間から外の様子をうかがっていた村人たちは、その状況を目にして絶望感に襲われた。どう見ても、魔道士は逃げ場のない塀際に追い詰められ、今まさにオオカミの群れに食いつかれる寸前にしか見えなかったからだ。

 だが、若き魔道士見習い、サイの表情に悲壮感はなかった。


「さて、今度はこちらから行かせてもらうよ」


 そう宣言すると同時に、彼は飲み干した魔力回復ポーションの小瓶フラスコを足元に放り棄て、目前の砂漠オオカミの延髄に次々と鋭い針が突き刺さる様子を脳内で丁寧にイメージしながら詠唱を開始した。


「キリシ、アルケイオン・イ・ル・グオラ! 不可視の銀針よ、天より降りて悪しき野獣を貫きたまえ!」


 瞬間、はるかな高みに出現した何百本もの光の針がオオカミの群れめがけて次々と降り注いだ。

 無音でオオカミの中枢神経を貫いた銀の針は、その太い首をなんなく突き抜け、そのまま雨粒のように地面に吸い込まれて跡形もなく消え失せる。

 まるで凍り付いたようにビクリと体を硬直させたオオカミたちは、一体、また一体と音を立てて倒れた。

 群れを率いていたひときわ体の大きな砂漠オオカミは、自分の周囲で次々と倒れ伏す仲間の様子にぼうぜんとする。だが、先ほどまで逃げ回っていたはずの人間が自分の正面に立ちふさがり、それどころか自分の方へ大きく一歩踏み出したことに気づいて牙をむき出しにした。


「このまましりぞくなら見逃すけど?」


 サイはボスオオカミの目をじっと睨みつけ、大きく息をついて体勢を整えながら提案してみる。だが、いくら知能の高いオオカミ種とはいえ、人の言葉を野獣が理解できるはずもない。

 人の背丈をこえるほどの巨大なボスオオカミは、口を半開きにして自らの強力な牙を見せつけるように低くうなった。野獣は若い人間を丸飲みする甘美な予感に震え、大きく開いた口からだらだらとよだれをたらす。


「残念。その気はなさそうだな」


 サイはため息をつくと、腰に下げた最後のポーションを引き抜いて一気に飲み干した。銀針で体内の魔力はほぼ消耗し、ポーションで賦活できる魔力はあってもごくわずかだ。チャンスは恐らくこの一度しかない。

 サイは大きく息を吸い込み、両手を前に突き出し短く詠唱する。イメージするのはボスオオカミの脳幹で小さな雷が炸裂し、首を内側から焼き切るイメージ。


「……発動せよ!」


 ポタリ


 突然、オオカミの足元にまるで花が咲いたように赤い斑点が広がった。野獣は視界の隅でその光景を捉えたが、それが自分の首筋からほとばしる鮮血であることに気づく暇もなかった。

 赤い斑点は見る間にあたり一面に広がった。

 巨大な砂漠オオカミは、やがてその巨体を自らの振りまいた鮮血のじゅうたんの上にどうと投げだして息絶えた。


「ふう」


 サイはがくりと膝をつき、大きく深呼吸を繰り返しながら額の汗を二の腕で拭う。

 思った通り、今の魔法とっておきでサイの魔力は完全に枯渇した。回復まではどんなに早くて一週間はかかる。もちろん、それまで新しい依頼は受けられない。

 サイは腰の短剣を抜くと、倒れ伏したオオカミの間を慎重に歩き回る。だが、息のある個体はすでになかった。





「終わりましたよ!」


 サイは短剣をさやに戻すと、一番手近に建つ粗末な小屋に向かって声をかける。

 小屋の扉からおずおずと姿を現した老人は、累々と横たわる巨大なオオカミの姿を見て思わず身震いすると、その場にひざまずき、サイに向かってまるで神に祈るように手を合わせた。


「ありがとうございます。本当にありがとうございます。魔道士様はまっこと村の救世主でございます」

「いやぁ、僕は別に、魔道士ギルドに派遣された単なる下請けですから」


 拝まれて背中がむずかゆくなったサイは、照れ隠しに後ろ頭をかいて笑う。

 その頃には村長以下、村の顔役たちもその場に駆けつけ、外傷もなく息絶えたオオカミの姿に感嘆の声を上げた。


「すみません、さすがにボスは無傷というわけには行きませんでしたけど、それ以外はほとんど傷をつけてないので、いい毛皮がとれると思います」


 今回のような大きな群れが村を襲うことはめったにない。だが、時々現れるはぐれオオカミを首尾よく倒せば村の臨時収入になる。

 野獣の群れの来襲は災難でしかないし、命を失った人はもう二度と帰らないが、これだけ状態のいい毛皮がまとまって手に入ったのだ。今回の件で村がこうむった損害と相殺できる程度にはなるだろうとサイなりに気をつかったつもりだ。


「お気遣いありがとうございます。魔道士様」


 サイは討伐証明にもなる右耳だけを手早く切り取ると、後の始末を村人らに頼んだ。村長はその意図を正確にくみ取ってくれたらしい。礼をのべながら深々と頭を下げると、後ろに控える若者に声をかける。


「おい」

「あ、はい、これを」


 若者は村の野菜が詰め込まれた背負いかごをおずおずと差し出してきた。


「貧乏な村ゆえろくなお礼もできませんが……」

「ありがとうございます。僕の報酬はギルドから出ますから、どうかこれ以上はお気遣いなく」


 サイはできるだけさらりと答えると、せっかくなので厚意はありがたくいただくことにして、足早に村を離れた。


「天気もいいし、日暮れまでに隣町にたどり着けるといいけど」


 全身に気だるい疲労感はあるが、首尾よく請け負い仕事をこなした開放感でサイの足取りは自然と軽くなる。

 王都までの馬車が出ている隣町までは、この足取りで数刻といったところだろう。


野菜これはメープルに渡して食堂ででも使ってもらうか」


 はじけるように笑う幼なじみの笑顔が脳裏に浮かび、サイの表情も自然と笑顔になった。

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