人の名の化物
くすり、と微かに漏れる声。
その笑顔は、先程までより一回り昏く、ともすれば邪悪とも取れそうな程に。
「──では。ええ、ええ。そう思った理由をお聞かせ願いましょう。私は聞かれた事は包み隠さず答え、そして貴方はそれに信頼を預けると返してくれました。ですから、何も今更
「行動への信頼と、言動への信用は別だよ」
嘆息。
少しずつ整理していく。彼は元より、問われた事にしか答えていない。問われていない事までは語らない。
それはつまり、青年の知らない事は触れないようにしていた──という事でもあるのではないか。
「言葉を拾うなら君だってそうだ。昔の自分を見ているようだとは言ったが、何も街で迷ったとは一言も口にしていない。似たようなとは言われたが、それがあの無様とは明言しない。それに、」
一息。
「それに──僕が案内してくれと頼んだのは雑貨店。間違っても武具や金物屋じゃない。通常なら不親切か、或いは的外れた誘導だろう。だけど、僕はそこで確かに記憶の端を掴んだ」
「ふふ。良いですね──『レウィン』らしい、良い推察です」
……否定も肯定も弁明もなく、白を切るわけでさえなく。
次の言葉を促される。
「根拠こそ無いが、初めから君は『
「……ふふ。ゼファーを離したのは正解ですね」
「僕を害するつもりなら、それこそゼファー共々簡単にできただろう。今はそうする気が無いなら、せめてこの疑問には答えてくれないか」
含み笑い。
黙秘か、と諦めかけた所で、それは稲妻の様に思考を打つ。
「『アルフレッド』。それが貴方の、ひとつめの名前でした」
──呼吸が、止まる。
それは錯覚だ。息を止めたつもりもない。心臓の音が聞こえる程の緊張が、息が詰まる程の焦燥感が、そう思わせているだけだ。
必死に自分に言い聞かせ、青年は大きく深呼吸。僅かにでも心を落ち着かせてから、しかし問いを続ける材料を見失った。
できる事は。
次の言葉を、促す事のみ。
「正直、私には不可解でした。貴方はアルフレッドではない。そう思わせるだけの要素が多すぎて──そして、レウィンという名前を使うだけの理由が薄すぎて。貴方の言葉も意思もちぐはぐで、不気味だったのですよ。試すような真似をしたのは、極めて個人的なものでした」
「…………」
「まずは、私の知る『アルフレッド』の話をしておきましょう」
軽く腕を組み、クラウは続ける。
青年はただ、それを聞く事しかできない。
「……知る限りでは、その男は外道を演じる事のできる化物でした。自分の信じる正義の為に、より多くを躊躇無く踏み潰せる狂人でした。曰く──『数多くの未来の為に、僅かな人命を価値に変える』でしたか。事実、彼の発明はいくつもの未来を作り上げていきました」
一息。
「踏み台にした、二百余名。生かされていた、千と数名。そういう命の取引を、迷い無く行える畜生です。そしてそれを繰り返し続け、最後まで己の正義を貫いた
「──何だって?」
「ええ、『
はたと、気付く。
──アルフレッド。その名前は引っかかるのに、青年の脳裏には名前以外の何も浮かばない。
それは、話に聞く男と自分が別人である──という事を意味するのではないか。
「貴方の質問に答えましょう。私は貴方が『アルフレッド』であるなら、素直に知っていたと言えます。いえ、……言いませんね。もしアルフレッドであったなら、言葉を交わす前に殺しました。私怨も多分に含まれていますが」
「……では、僕は『レウィン』だと?」
「そこが、不可解なのです」
珍しく、麗人の口から重たい息が漏れる。
声に浮かぶのは、困惑の色。
「貴方はその名前を知らない筈です。それに、その体と──そしてバロンの前で見せた知識は、間違いなくアルフレッドの物。普段は『レウィン』として在る貴方が、唐突に『アルフレッド』の記憶に接触すると……無茶な仮定ですが、そう考えましょうか。しかし、」
ふむ、と声が抑えられた。
「……やはり不可解なのですよ。アルフレッドは『レウィン』という人物に遭遇していない。その名前は誰も知らない筈です。貴方は言いましたね? その名前を名乗るべきだと確信したと」
「ああ──うん。説明は難しいのだけれど」
「不要ですよ」
再三の嘆息。
そうして、クラウはあまりにも突拍子もない仮説を立てた。
「レウィン。貴方は『アルフレッド』を核とした、ひとつの人格──或いは魂と呼ぶべき物。私はひとまず、貴方自身をそう定義するのが妥当だと考えますが。如何でしょうか?」
……その言葉を、噛み砕いて。
ゆっくりと、飲み込んで。
腑に落とす所はそこだろうと──納得して。
「……わかった。最後に一つだけ、確認させてくれ」
いつの間にか、麗人の笑みは戻っている。
先程まで、とても真剣な表情だった事に今更気がつく。それ相応に、彼にとっても大切な話であったのか。
「僕が『レウィン』である限り、君は僕に協力的で在り続けてくれるんだろう。だけど、もし──もし、僕が『アルフレッド』になったらどうするつも」
「殺しますが」
食い気味の即答。
「放っておいたら世界を殺す災厄ですよ、アルフレッドという男は。今まで何度同じ事を──いえ」
言葉を一度、途切らせて。
失言でした、と笑いながら、これ以上は不要だと手を上げる。
……気になる事はいくつもあるが、それらの整理が追いつかない。今は、黙っておく方が良いのだろう。
(──だとしても、僕は)
しかし。
大きな課題が、浮かんでしまった。
(『僕』を知ろうとする事は、正しい事なんだろうか──?)
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