記憶の間隙

 すぐには、誰も言葉を続けない。

 それは半端な立地から生まれる静寂と奇跡的に噛み合い、しばらく呼吸の音さえ耳に入る程の静けさを生み出した。

「──そりゃまた、随分と都合の良い話だな」

 そしてそれを打ち破るのは。

 カウンターの奥の、大男。

「記憶喪失ってか。だってのに自分の名前も、どう生きるかも、何をすべきかも、──何かしらの設計図も覚えてる、と」

「都合の良い話だよね。僕もそう思う。そして少しだけ誤認されてるから、そこは正しておきたい」

 溜息。

 腕を組み、唸り声さえ聞こえそうな渋い顔で、レウィンは続ける。

 その後ろで目を合わせ、或いは首を振る二人は、彼の視界には入らない。

「覚えてないよ。驚く程に。──僕の記憶は東の国の樹海、その端からだ。たまたま通りがかった御者さんに、いつの間にか懐にあった砂金を叩き付けて、安全な所に連れてきて貰っただけ。そもそも此処が東の国である事もその時に知った・・・・・・・。呆れてくれ」

 ふん、と鼻を鳴らすバロン。

 しかしその目は、正対しておらずとも離されない。

 若干の沈黙。その間隙に一声。

「……少しだけ聞かせてください、レウィン」

 踏み込みながら、クラウの質問。

 呼び声に振り向き、青年は続きを促す。

「それを自覚したのは、いつですか? そして、それを誰にも話さなかったのは何故ですか? 少なくとも、ゼファーは何も知らなかったようですが」

「ああ──うん。いや、理由については簡単だよ。今のゼファーとバロンを見ればわかる」

 麗人の後ろの困惑した目。

 もう一度振り返れば、大男の怪訝な目。

信じられないだろ・・・・・・・・。僕だって他の人が口にしたら、信じるかどうかも躊躇う話だ。だから、積極的に話す事はしたくなかった」

 それから時期だけど、と青年は続ける。

「……樹海で目を覚まして、すぐに違和感に気が付いた。此処が何処で、僕は誰で、何の為に此処に居るのか。何もわからないんだ。実の事を言うと、とても怖かったよ。名前さえ覚えていなかったんだから」

「…………マジ、かよ」

 頭を抱えるゼファーを横目に、両手を広げるレウィン。

「そして不可思議な事に、この名前レウィンは冒険者協会の受付で知った。思い出したわけじゃない。レウィンと名乗るべきだ・・・・・・と確信した。きっとこれは、僕の名前では無いと思う」

 再度の嘆息。

 いつの間にか下がっていた視線を上げ、改めて全員と目を合わせながら。

「これが、今の僕の全てだ。明かせる手札は今は無い。……何かある度に、きっとまた頭の中に何か湧いて出るのだろうけど、少なくとも僕自身が今語れるのはこれくらいだよ」

「結構。俺がお前を信用するかの情報としては、充分だ」

 一瞬だけ、バロンの目線が余所へ向く。

 それに応えるように頷くクラウ。直後、大男はレウィンと──今度は真っ直ぐに目を合わせ。

「話せよ」

「え──」

「お前の頭の中の設計図とやら。それと必要な金型について。まとめて話せ。作れるかどうかはそれから決める」

 ……葛藤は、数秒。

 悩む理由はなかったと首を振り、青年が紙とペンとインクを要求するのは、それからすぐの事だった。





 その、後ろで。


「ゼファー。あちらの話はつまらなさそうなので、少しだけ──私とお話しませんか?」


 金色が、黒色を誘う。

 前の二人には、聞こえないように。

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