第4話 わかりません。
――
授業が終わり、萌ちゃんと田町駅まで一緒に並んで帰る。
本当は生徒会長の弘子さんをお手伝いしたいところだったのだけれど、朝から色々なことがありすぎて、早く家に帰って休みたいのが正直なところだった。
――胡桃沢みかん。
誰、誰なの?
まさか、お母さん、お父さんに隠し子でも居たと言うのかしら。そして、お母さんが私に言いづらくて、私の寝た後、そっと枕元に胡桃沢みかんの所有物を置いたとか……?
それにしたって、あからさますぎる。
今、私の頭の中は様々な負の思考が、ひしめき合っていた。嫌な考えがいっぱいで、たくさんで、処理しきれなくて、オーバーフローした思考達が、私の脳みそから次々と零れ落ちていく。そんな不快感で満ち溢れる。
目覚まし時計のアラームを設定した時間。
食卓に置かれた大量のバナナ(これはお母さんのせいだけれど)。
サイズの違うブラ、それに制服。
そして、何よりもあの赤くて太いマジックで必読と書かれたノート。
あれらは一体何なのだ。
本当に自分で書いたノートだとしたら、パラレルワールドに居る私からのメッセージなのだろうか。
意味が分からない。
全く意味が分からない。
わかりたくもない。
吐き気がする。
今日の授業の内容が、一切頭に入ってこないくらいには混乱していた。今日一日、席に座って、機械的に板書をノートに写すのが精一杯だった。
あと、先生から問題を回答するように指名された時があった。当然、先生は、答えられると思っている。
そう、いつもだったら、正答を即座に答えるのに、その時は、あわあわと慌てて何も考えられずに、結果、「わかりません」と小さな声で回答した。
――えええーーーっ?!
――胡桃沢さんが答えられないことなんてある?!
――どうしたの、胡桃沢さん?!
それは先生とクラス中の皆から一斉に驚きの悲鳴をあげさせるくらいには、十分すぎるくらい珍しい事柄だった。
ううーん……と、自分の頭の中の思考が脳内一杯で黙りこくってしまった私に対して、萌ちゃんは心配そうに顔を覗き込み、問いかけた。
「あかねちゃん、本当に遅刻なんて珍しいよね。どうしたの?」
「……ん? え、えっと。うーん。ちょっと寝坊しちゃって。えへへっ。目覚ましのアラームを掛ける時間を間違えちゃったみたいなの」
「ええーっ?! それこそびっくりだよー! 完璧最強優等生のあかねちゃんが、そんなケアレスミスするなんて珍しい!」
「あはは。完璧最強ってどれだけなのよ。全然そんなことないってば」
「いやいや、あかねちゃんは私人生至上最高で最強の優等生だよ!」
「萌ちゃん、どんだけ生きてるのよ。私達まだ、16才じゃない。まったく、萌ちゃんは私のこと過大評価しすぎっ!」
はあ。
とは言え、本当のことを萌ちゃんに言える訳が無い。
ここで必読ノートの話をしたら、それこそ萌えちゃんから、頭がおかしくなったのかと心配されるに決まっている。
と。
――しーーーしょーーーっ!!
――ズダダダダダダッ!!
「きゃあっ!!」
「きゃあっ!!」
突然後ろから突風が舞い起こり、スカートが捲れ上がりそうになる。私と萌ちゃんは悲鳴を上げながら、慌ててスカートの裾を両手でぎゅっと握りしめた。
――キキーーッ!
――ズザザザーッ!!
猛スピードで走ってきたその物体は、私たちの目の前でローファーを滑らせながら急ブレーキをかけ、一気に砂埃を舞い上げた。
そして、ゆっくりと砂埃が収まっていくことに連れ……人影がうっすらと、華奢でショートカットでボーイッシュな可愛い女の子が浮き上がってくる。
そう。
そこに居たのは、言わずと知れたバスケット部のエース
……え?
言わずと知れた?
「こらあっっ! あかねーっ! 師匠はどうしたのにゃ?! どこにやったのにゃ! 隠したら承知しないのにゃ!!」
この子は……ホントいつも突然現れるからドキドキする。
飛田万里美由宇。
A組の女子、私、特進S組の隣のクラス、1年生にして早くもバスケ部のエースとなって全国レベルまで押し上げた大スターだ。
って、あれ?
私は何で、この子を知っているんだ?
私は自分が興味のあること以外知らないはずなのに、隣のクラスA組の子のことなんて知る訳が無いはずなのに、何故、私は飛田万里美由宇のことを知っているのだ?
そもそも師匠って誰よ……?
「師匠って、誰のこと? そもそも何で私が、あなたの師匠とやらの行動を把握しておかなきゃいけないのよ」
「……!! 何てことを言うのにゃ! 師匠と言えば、胡桃沢みかん大先生、お前の双子の妹じゃにゃいか!! 冗談は顔だけにしろにゃ!!」
「!!!!」
まただ。
――胡桃沢みかん
一体誰なのだ。
しかも私の双子の妹……?!
あり得ない!
私は生まれて此の方、正真正銘の一人っ子だ。
双子どころか兄弟だっていないのだ。
とは言え、何も心当たりが何もなければ、しれっと聞き流すところなのだ。
けれど、朝、机の上に無造作に置かれた必読ノートの「胡桃沢みかん」と言うワードを見て……読んでしまっているから、到底無視できなくなっていた。
――この子は、一体何を知っているんだ……?
それに、美由宇の必死な振る舞いを見ても、とても嘘をついている、からかわれているとも思えない。
「にゃーにゃー? マジでホントに師匠はどうしたのにゃ? 体調でも崩したのにゃ……? お願いするにゃ。教えてにゃ! この通り!」
頭の上で両手を合わせ、深々と頭を下げる美由宇。
ここまで下手に出られたら、本来なら無視はできない。私が胡桃沢みかんのことを知っていたなら、誠心誠意、教えてあげたいところなのだけれど。
だかしかし、私の脳内には胡桃沢みかんの存在が無い、全く心当たりがない。
一片の欠片も無い。
むしろ私の方が胡桃沢みかんが誰なのか教えて欲しいくらいだ。
「ねえ、美由宇ちゃん。胡桃沢みかんって誰……?」
「にゃにゃにゃっ?! 本気……にゃ? あかねは記憶喪失にでもなったのにゃ……?」
美由宇にも私が嘘をついている様には見えなかったらしく、ゴクリと
記憶喪失?
おかしいのは私?
私がおかしくなってしまっているのか?
もし私がおかしいなら、萌ちゃんも胡桃沢みかんのことを知っているはずだ。萌ちゃんに心当たりを聞いてみよう。私は萌ちゃんの肩を叩き聞いてみる。
「萌ちゃん。私の双子の妹、胡桃沢みかん……知ってる?」
「……え? あかねちゃんって、一人っ子だよね。あかねちゃんに妹が居るなんて聞いたことが無いよ。」
「だ、だよね! ごめん、萌ちゃん。……悪いんだけど先に帰っておいてくれない? ちょっと美由宇ちゃんと話したいから。」
「あ、うん。わかった。あかねちゃん……また明日ね。ばいばい。」
「本当にごめんね。ばいばい。また明日。」
何か言いたげに独りで帰っていく萌ちゃんに向かって、私は、もう一度「ごめんね」と呟き小さく手を振り見送った。
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