第3話 ぶかぶかのブラジャー

 ――0700まるななまるまる


 ピピピピピピピピピッ!


 目覚まし時計のアラームが、けたたましく鳴る。


 ――カチャ。


 ふあああ……

 なんか今日は珍しく良く眠れた気がする。


 寝たときの記憶がないけれど……昨日は早く寝たんだっけ。スマホいじってたら寝落ちしちゃったのかな。


 まあ、いつものことだ。


 ――んんーっ!


 ベッドから起き上がり窓に向かって大きく伸びをして、外の雲一つない青空を眺める。


 今日は、いい天気だなあ。お休みだったら、お散歩したいくらいの良い天気。


 ……ん?

 一冊のノートが、不自然に自己主張するかのように机の上に置かれている。


 不自然に自己主張……そう、そこには表紙に太い赤マジックで大きく『必読!!』と書かれたノートが置いてあった。


 なになに?

 ゆっくりと表紙と1枚目のページをめくる。


『これから書くことは、信じられないかもしれないけれど絶対に最後まで読んで! 全て本当のことだから!』


 ……え、なにこれ……?


 いつ誰が置いたの?


 美少女アンドロイド……?

 みかん……?

 双子の妹設定……?

 アンドロイド審査会……?

 強制送還……?


 ちょっと。

 ちょっと、やめてよーっ!!


 こわいこわいこわいこわい!!


 でも。筆跡は間違いなく私の字だ。

 それにノートの1枚目は白紙で、2枚目から使う癖も間違いなく私の癖だ。


 ……けれど。

 こんな手紙のような文章を書いた記憶は全くない。


 その筆跡は、何故か水に濡れ滲んでいる。水でも零したのではないかと言うくらいには濡れていた。


 なんだこれは。

 まったく意味がわからない。


 私、夢遊病にでもなった?

 うーん。夢遊病で、こんなゴリゴリ文章を書く症例なんて聞いたことが無い。


 ――あかねーっ!

 ――起きたー?

 ――ご飯できたわよー!!


 キッチンでお母さんが私を呼んでいる。


「起きてるー! 今行くーっ!」

 

 バタバタとキッチンに向かって、いつもの席に座る。そして、これもいつもの通り、食卓には4人分の朝食が並んでいた。


 え、いつもの通り?


 え、4人分?


 私は一人娘で3人家族ですが?


 なのに、いつもは何も置いていないはずの私の隣の席に、朝食がセッティングされていた。


 って、なにこのバナナの山は?!


 私の席にまではみ出るくらいに、隣の席には大量のバナナが置かれていた。


「何このバナナの山?! ゴリラでも居る訳?!」


 キッチンに居る母に呼びかけると、母は、あらまあと首を傾げて不思議そうに呟いた。


「あらやだ。言われてみれば本当だわ。どうしたのかしら。何か、そこにバナナを置かなきゃいけない衝動に駆られたのよ」

「衝動って……まったく、しっかりしてよね!」


 お母さんは苦笑いをしながら、大盛りのバナナと一人分の朝食を片付けた。


 うっかりにしても一人分多く、しかもバナナを山盛りでテーブルに置くなんて尋常では無い。いや、スーパーで大量にバナナを買っている時点でおかしいでしょ。


 もうボケが始まっちゃったのかしら……

 なんて言ったら、お母さん泣いちゃうかな。


 さ、て、と。

 朝ご飯を食べ終わり、「ごちそうさま!」の挨拶をして部屋に戻る。


 部屋に入って壁掛け時計を見てみると時計の針は『7:30』を差していた。起きたのが7時だから、それから30分くらいか。


 まあ、いつものペースかな。


 いつもの……?


 うそだー。


 冷静になって、この事実をもう一度考えてみる。


 学校の始業時間は8:10。

 家から学校まで1時間ちょっと。


 今は7:30。

 さて、これから着替えて学校に向かうと何時になるでしょう。


 いやいやいやいや、ちょっと待って!


 これって、何をどう考えても遅刻じゃない!


 うん。これは気のせいだ。

 時計が遅れているんじゃないかな。


 私に限って、ね。

 スマホなら正確な時間を表示してるから、と……。


 ですよねー。

 スマホのロック画面に表示されているデジタル時計も7:30だった。


 知ってる。

 だって、私の目覚まし時計も電波時計だもの。


 ――終わった。


 そもそも目覚ましを7時にセットしている時点でありえない。


 一体、昨日の私は何を考えていたのだ。

 次の日が休日かと寝ぼけてたのかな。お母さんのことボケてるとか言えないじゃない。


 あ、そうだ!

 慌ててSNSで萌ちゃんに『ごめん、遅れる! 先行ってて!』とメッセージを送る。


 スグに萌ちゃん返信があり『珍しい! どうしたの?!』と驚き心配するメッセージを送ってきた。


 それはそうよね。

 今まで無遅刻無欠席の優等生『胡桃沢あかね』だったのに、こんな間抜けな理由で遅刻なんて目も当てられない。


 ショックは大きいけれど、今更急いでも遅刻する事実は変わらない。


 萌ちゃんに適当な理由を考えて貰って、先生に伝えてもらう様にお願いした。萌ちゃんには今度、今回のお詫びにパフェでもおごらなければ。


 はあ、もう慌ててもしょうがないから、ゆっくり支度をしよう。


 そう言えば昨日、今日の準備を全くしていないことに気づいて、時間割を見ながらカバンに教科書を詰め込む。


 どうしたの、昨日の私っ?!


 ……あれ?

 何故か本棚に同じ教科書が、もう1セットある。中学の時のじゃないよね。高校って書いてあるし。


 パラパラと教科書を捲ると、右下に男同士が、くんずほぐれつしているパラパラマンガが描かれていた。


 しかも必要以上にクオリティが高くて、滑らかにアニメーションレベルに動くその光景。これはもう私の性的嗜好しこうにメガヒットしている。


 既に遅刻確定の私だったけれど、その場に立ち尽くし、繰り返し繰り返し何回もパラパラ漫画を捲り眺めるのだった。


 数回、パラパラパラとページを捲った後、その流れでページは裏表紙まで行きついた。


 ――胡桃沢みかん


 可愛い文字で名前が書かれている。

 そして、ネームの最後に果物のみかんの絵が描かれていた。


 うーん。

 胡桃沢みかん。

 従妹にいたっけな?


 そして、私の脳裏には『必読ノート』に書かれていた胡桃沢みかんが浮かび上がる。


 ――こわいこわいこわいこわい!


 うん、見なかったことにしよう。

 早く着替えなきゃ。私は何事も無かったかのように教科書を元の場所に戻した。


 そそくさとパジャマを脱いで、チェストの中からブラジャーを選ぶ。


 ……え?

 見慣れない柄のブラジャーが、お行儀よく引き出しに並んでいる。お母さんが気を利かせて買ってくれたのかな?


 気を利かせて娘のブラジャーを買って、引き出しに入れておく母。


 あんまり嬉しくない。


 それにしてもブラのサイズ大きくない?

 試しにブラジャーを身体に合わせてみると、やはり私の胸のサイズより明らかに大きい。いや、ぱっと見で、そんな予感はしたのだけれど、こんなにも差があるとは思わなかった。


 それはもうブカブカだ。

 ブカブカ。


 なんなんだこれは!!

 頭クラクラで混乱しながらも、手に取ったブラを元の場所に戻し、自分のブラジャーをつけて制服に着替える。


 当然の様に制服も2着クローゼットに掛けてあったけれど、もういい。


 私の幸せのためにも気づかなかったことにした。


 きっと制服とブラジャー、お母さんが予備で買っておいてくれたんだな。それでブラのサイズも、うっかり間違えちゃったんだ。


 しょうがないなあ、まったくもう。ドジなんだからあ。


 うん。

 そうだそうだ。


 きっとそう。


 ――胡桃沢みかん


 いやいやいやいや。

 忘れろ。忘れろ私。


 さあ、早く学校に行かなきゃ遅刻しちゃう!


 って、もう遅刻は確定なのよね。


 家を出て、早足で藤沢駅に向かい、電車に乗る。


 うわあ!

 いつもより遅い時間の電車だけれど、当然の様に車内は激混みだった。


 でも毎日満員電車に乗っているはずなのに、何だか久しぶり……と言うか、こんなに通学時間かかったっけ。


 いや、藤沢駅から田町駅なのだから、それなりに時間かかるの当り前なのだけれど。うーん。何を考えているのだ私は。


 やっとのことで田町駅に着いて、満員電車から解放されてダッシュで学校に向かう。


 ああー。

 もう間違いなく授業始まっちゃってる時間だ。


 遅刻確定なのだから急がなくても良い気もするけれど、罪悪感からか小走りに教室へ向かった。


 ――あら、胡桃沢さん来たの?!

 ――無理しないでね。


「……え? あ、はい。ありがとうございます。」


 先生から怒られるどころかねぎらいの言葉を掛けられて、頭にたくさんの?マークを浮かべながら席に着く。


 すると前の席に座っている萌ちゃんが振り向いて話しかけてきた。


「おはよう、あかねちゃん。先生には、「あかねちゃん風邪っぽいから遅れる」って言っちゃった。ごめんね。」

「あ、ああ……なるほどね。萌ちゃん、ありがとう!」


「えへへ、どういたしまして!」


 萌ちゃんは、少しはにかんで前を向いた。


 こう言うところ可愛いんだよな。

 そう言えば、家にあったブラは、萌ちゃんの胸からしたら全然小さいんだろうな。全く世の中不平等にも程がある。


 ……あれ?

 隣を見ると、隣に誰も座っていない机があった。


 うーん……

 転校生でも来るのかなあ。


 でも、その空席の隣に座って居る姫宮さんが転校してきたばかりだし、そもそも我が校に転校生が来ること自体レアケースなのに連続して転校生が転入してくるなんてことあるのかしら……


「ねーねー萌ちゃん。」


 萌ちゃんの肩をトントンと叩く。


「なあに?」

「この机、誰か転校生でも来るの?」


「あ、そう言えばそうだね。前からあるような気がするけれど、先生は何も言ってなかったよ」

「そっか。ありがと、ごめんね」


 家で色々不思議なことがあったせいなのか、何でもないことに敏感になっているんだな。


 いけないいけない、授業に集中しなきゃね。


 私は黒板に目を向けて、既に板書一杯に書かれた文字をノートに書き写した。

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