第6章 おやすみ

第1話 嫌だ

 ――1900ひときゅうまるまる


 呆然と立ち尽くす私の肩を、みかんは空いている方の手で、ポンッと叩いた。


「ま、そー言うことだから、あんまり気にすんなよ。てへぺろ」

「み、みかん……」


「だから、ちょっくら博士ん家まで行ってくるよ。それで僕が完成したら帰ってくるさね。あはは」

「完成……って……そんな……みか、んは、もう、完成して、る……じゃない……」


 そうなんだ。

 クソニートにとっては、未完成ロボなのかも知れないけれど、私にとっては完成品の大事な妹なのだ。みかんの天然で自由なところだって、チャームポイントなんだ。


 ――今のみかんを全部ひっくるめて、みかんなんだ。


「短い間だったけれど、僕、あかねちんと過ごせて楽しかったし嬉しかった」

「そんな過去形で言わないでよー! ふえーん!」


「ほら泣かないで、笑って。ね? あかねちん。だって、今だから言うけど、当初の設定では、僕、顔に表情を作ることが出来ない、笑うことも泣くことも出来無いアンドロイドだったのだ。てへぺろ」

「そ、そうなのっ?!」


 ここで博士が口を挟んだ。


『そうなのだ。私は、みかんの顔に表情筋……つまり、喜怒哀楽を現す表情機能を、あえて搭載しなかったのだ。正直、私自身、今みかんが笑っている、その仕組みがわかっていない。これは嬉しい誤算、君のお陰だ。ありがとう、あかねくん。』

「お礼を言われたって嬉しくないわよ!!」


『まあまあ、そう怒るな。本日24時、みかんは我が研究所に強制送還となる訳だが、それは、私の研究室で問題箇所、仕様を変更し修理しろと言う意味だ。つまり私が、みかんを修理して、再度、アンドロイド審査会でチェックを行う。そのチェックを通過さえすれば、再びみかんをキミの元に送り届けることも可能なのだ』


 なんですって……!!

 これは朗報だ!


 だって、みかんって暴力的な要素は殆どないし、今回だって、アリスやマリーに巻き込まれて強制送還となったと言っても過言ではない。


 私にはアンドロイド審査会の検査基準が、どのくらい厳しいかはわからない。けれど みかんだったら、それほど長い時間かからずに戻ってくるのではないかなと楽観的に考えてみる。

 

「ちなみに、どのくらいの期間がかかるのっ?!」

『まあ……短くて5年、長くて10年くらい、か……?』


「そんなにっ?! 10年なんて、私、おばさんになっちゃうじゃない!」

『おい、キミの10年後と言ったら26才だろ。26でおばさんとか35の俺にケンカ売っとるのか』


 博士は苦笑いをして私を見たけれど、10年後なんて想像もつかない。遠い遠い雲の先の未来、想像のつかない夢の先の話だ。


 ――まあ、そう言うことだから。


 博士は言葉を濁して、みかんの手のひらから消えて行った。結局、おっさんからは何の成果も得られず徒労に終わったと言うことだ。


 正直、みかんが居なくなるなんて実感が湧かない。私は、みかんを見つめ、そしてギュッと抱きしめた。


「みかん……もう、どうにもならないのかなあ……お別れなのかなあ……いやだよう、いやだよう」

「あかねちん、そんなに強く抱きしめられたら痛いってば。おっさんだって、僕を修理すれば人間界に戻ってこれるって言ってたじゃまいか。ほんのちょっと離れるだけだってば。ちょっと隣国の韓国へ海外旅行に行ってくるぜ! ……くらいの感覚だよ。てへぺろ」


 みかんは、私の頭をヨシヨシと撫で慰めながら言う。


 その優しさが余計に悲しくて切なくて、ぽろぽろと涙が零れ落ちて行く。これじゃどっちが姉だかわからない。


「ねぇ……? そう言えば、急にみかんが居なくなったら、周りの皆はどう思うのかな」

「あー、それは、ね。う、うん。あはは。大丈夫。心配いらないよ」


 みかんは、気まずそうに言葉を濁した。みかんの反応から思い当たることはヒトツだけ。


 でも、でも……それは嫌だ。絶対嫌だ。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だあああああーーーっ!!


「みかん!! 嫌だよ!! 私の中から、みかんが居なくなるなんて絶対に嫌だよ!! やだやだやだやだ!!」

「あかねちーん。こまったなあ……こればっかりは、あの めうっ娘が決めたことだから、僕にはどーにもならないんだわ」


「やだーっ! やだやだやだやだやだ……! 私が、みかんのことを忘れるなんてありえないし!! 絶対に忘れない!!」


 私はみかんのことを、ポコポコと両手で叩いて批難した。だって、そんなの寂しすぎるでしょ。私が、みかんのことを忘れるなんて有り得ない。


 あの羊っ娘が、どんな手を使ってきても、私は みかんのことを忘れないんだから!


 みかんが私の前から居なくなるだけじゃなくて、記憶から抹消されるなんて、そんなこと許される訳が無い。


 ……そうだ!!

 私は机に向かって、ノートを開く。そして一心不乱にノートに向かって、みかんのことを書き綴った。


『これから書くことは、信じられないかもしれないけれど絶対に最後まで読んで! 全て本当のことだから! 私の家にアンドロイドのみかんが、現れました。とても綺麗で可愛い女の子にしか見えなくて……』


 私がガリガリとノートにみかんのことを書き綴る姿を、みかんは黙って後ろから眺めている。応援するでもなく、止めるでもなく、黙って優しく、ただ見つめていた。


 まだ時間はある。

 24時までに出来る限りのことをしよう。


 みかんは全てを私に任せてくれていた、託してくれていた。そんなみかんの気持ちを考えただけで、所々ノートの文字が滲んでしまっているのは気づかなかったことにしよう。

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