第4章 謎の転校生

第1話 姫宮・マリー・クロティルド・ルシール・ラプラード

 私としたことが、保健室で自分を見失ったようだ。


『萌ちゃん、今回のことは忘れて。お互いに一時の気の迷いだったのよ』

『う、うん……わかった、よ』


 私の言葉に、伏し目がちに答える萌ちゃんを見るのは可哀想で辛かったけれど、これ以上深みにはまるのは危険すぎる。ずぶずぶの泥沼百合沼に入ってしまうことは火を見るよりも明らかだ。


 きっと萌ちゃんは最近色々なことがあって疲れてたのだ。きっときっと精神的に正常な状況ではなくて不安定だったのだ。


 だから、一時の気の迷いなんだよと萌ちゃんと私自身に言い聞かせて、保健室を後にしたのだ。


 昨日、今日と連日の通学中トラブル。

 そしてさっきの保健室の一件で、もう一日の終わりを迎えた様な疲労感で溢れかえっている。まだ授業が始まる前なのに。


 むしろ、昨日今日で1か月分の体力を使ったと言っても過言ではない。私は清楚なお嬢様キャラで、疲弊した姿なんて似合わない。本当に勘弁して欲しい。


 とは言え、周りに取り繕う余裕の無い私は、席に着くと同時に、ぐたーっと机の上にひれ伏した。


 疲れた……

 本当に疲れた。

 身も心も疲れ果てたわ。


 ――みかんちゃーん!

 ――教科書届いたよー!


 教室の入り口から日直の女の子二人が、みかんを呼んだ。大きな段ボールを2人がかりで重そうに持っている。


 きっとあれは教科書だ。

 ウチの学校は私立と言うこともあって、文部科学省検定教科書は使わずに、学校独自のオリジナルの教科書を採用している。


 どんな暇人が作ったのだ、と思うほどに教科書が分厚く重いのだ。そりゃあ重みでカバンだってボロボロになる訳だよね。


「さんくー! これお礼ね」

「あ、ありがとう……」


 みかんは日直から段ボールを受け取るとポケットからバナナを二本取り出した。そして日直二人に、それぞれバナナを1本ずつ手渡した。


 って、いつの間に家のバナナをパクってきたのだ?


「あかねちゃーん。これなにー?」


 片手で段ボールを持ち上げてブンブンと振る みかん。いやそれ何キロあると思っているのよ。怖いよ。危ないよ。


「学校の教科書だよ」

「ほうほう……」


 みかんは三本目のバナナを咥えながら、段ボールから教科書を取り出した。そして、教科書を1ページずつペラペラと捲って興味深く見つめている。


 やっぱりロボだから、教科書の内容なんて一瞬にして記憶してしまうのかな。そう言う意味では、みかんに教科書は不要なのかもしれない。


「それ、記憶してるの?」

「いやー僕、教科書の内容には興味ないのだよー。ギャル語の教科書なら記憶するけどねー」

「ああ、そうですか。はいはい」


 まあ、彼女の場合は覚えなくても、毎晩私の記憶を盗んでいるらしいから、勉強する必要も無いのかな。


 それはそれでどうかと思うのだけれどね。


 みかんは、授業が始まると、一心不乱に教科書に何かを書き込んでいる。


 それはもうバリバリ書き込んでいる。

 勉強に興味が無いのでは無かったのかと、不思議に思うくらいには熱心だ。


 いけないいけない。

 私が集中力を切らせてどうするんだ。


 次の期末テストでみかんに負けたら、それこそ目も当てられない。私は一番で無ければならないのだ。学年首席が私のステータスなのだから。


 ……と思ったのも束の間、次は背筋をピンッと伸ばして座るみかん。


 その姿勢、不自然すぎるな。

 目元を見ると、目は開いているが、瞳は真っ黒だ。これって、もしかして、もしかしなくてもスリープしてる?


「みかんっ! みかんっ!」


 私は、みかんの肩を揺さぶって懸命に起こそうとした。


 家では、いくら揺さぶっても起きないから、無駄だとは思うのだけれど、先生に指名されたら大ごとになる。


 私の気も知らずに呑気な みかんは、両腕を挙げて伸びをする。


「ふあぁー。ああ、あかねちん、どしたーあ?」

「どうしたーじゃないわよ! ちゃんと授業聞きなさいよ!」


「ああ、ごみんごみん。僕には何の役にも立たない授業だからバッテリーもったいないし、ちょっとスタンバイ状態にしていたよー。てへぺろ」

「いい加減にしなさいよ!」


 何にも役に立たないとか、だったら学校に来る必要なんてないじゃない。まったく、勉強が目的じゃないとか、何をしに学校に来ているのよ。


 ――こらっ、胡桃沢姉っ!

 ――静かにしろ!


「あ、すみません……」


 ちょっとー。人生初、先生から怒られたんですけど。


 凄くショックだ。

 優等生の私が先生から怒られるなんて。勉強のしすぎで注意されることはあっても、私語で怒られることなんてなかった。皆無だった。ありえない。


 みかんは悪びれもせず、隣でニヤニヤと笑っているし最悪だ。


 ――きーんこーんかーんこーん。


 ふう……

 やっと今日のカリキュラムが終わった。


 まったく、偉い目にあったわ。

 みんなが、先生から怒られる私を見て目を丸くしていた。


 むしろ私よりも驚いていたくらい。それくらい私が怒られている姿は激レアということなのだ。


「ねーねー! あかねちーん! みてみてー!」


 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、みかんは能天気に私に向けて教科書を差し出した。さっき一生懸命、授業のメモを取っていたみたいだから自慢したいのだろうか?


「何よ?」

「ほらほらーっ! ぱらぱらぱらーっと!」


「!!!!」


 みかんは私に向けて自慢気に分厚い教科書をパラパラとめくった。


 そこには、パラパラマンガ。

 みかんが朝に見ていたBL小説ロボヤオイが、くんずほぐれつと絡み合っているでは無いか。


 いやいや、上手いけれども。

 リアリティが高すぎて実写なのでは無いかと思うくらいだけれども。


 むしろR18を銘打っても良いくらいだけれども。


 ……後でゆっくり見たいけれども。


 どう考えても教科書に書くのはマズいでしょ!


「みかんちゃん、パラパラマンガ書いたの? 見たい!」


 こう言うときに限って、授業の途中に保健室から戻ってきた萌ちゃん。私の肩越しに、みかんの教科書を覗き込んだ。


 保健室での出来事は無かったかのように普通に振る舞ってくれている。私は少し救われたような気がした。


 ――バタンッ!


 私は間髪入れずに、みかんの前に飛び込み、教科書を強引に、そして思いきり閉じたのだった。


 いやこれ純情無垢の萌ちゃんが見たら死んじゃうよ!


 ショック死しちゃうよ!


「い、いやあ……みかんの絵ってヘタすぎてー人を不快にさせちゃうから見ない方が良いよ!」

「あかねちんどいひーっ! みかん画伯の傑作をバカにすんなしっ!」

「……う、うるさい!」


 これ以上、私の株を下げないでよね。

 みかんの評価は、双子設定の私にも少なからず影響するのだから。


 萌ちゃんは、私とみかんの内輪揉めの空気を察したのか恐縮してしまっている。


「ま、まあ……うん。なんかごめんね」

「萌ちゃんが謝らないで。悪いのは私たちの方だよ。ごめんね萌ちゃん」

「そーだよー。あかねちんが悪いんだよー。ぷんすか」

「あなたが一番悪いのよ!」


「てへぺろ」


 はあ、なんでこうなっちゃうのかな。

 清楚系女子のスタイルを貫きたいのだけれど、みかんを相手にするとキャラ崩壊を防げない。


 いや、キャラと言っている時点でダメダメじゃないか。


 ――ガラガラガラッ


『はーい! みんなちゅうもーく!』


 担任が教室に入ってきてショートホームルームが始まる。


 クラスメイト達は一斉に前を向いた。

 ここら辺は進学校だけあって反抗する生徒は居ない。そして先生は、いつもとは違う意外な言葉を続けたのだ。


「突然だけれど、転校生を紹介します。入ってきなさい」


 ……え?

 なんか最近、見た様な展開だな。


 入口の方に視線を向けると青い髪色、ロングヘアーで長身の女の子が颯爽と登場した。


 足が長くて顔が小さくて、身体の線が細くファッションモデルのようだった。


「あ、えっと。姫宮・マリー・クロティルド・ルシール・ラプラードさん、ね。フランスからの帰国子女です。皆さん仲良くしてくださいね」


「姫宮・マリー・クロティルド・ルシール・ラプラードですわ。マリーとお呼びくださいの。よろしくお願いいたしますわ。」


 マリーは、か細い身体を折り曲げて深くお辞儀をした。その容姿は、幼いころに遊んだミカちゃん人形のようだ。こんなお人形さんみたいな娘が現実にも実在するのだな。


「ちなみに姫宮さんの転入試験の得点は、胡桃沢姉妹に次ぐ三番目でした。成績優秀な生徒が次々と入ってきて先生も驚いています」


 ――すごーい!

 ――あかねちゃん、みかんちゃんの次なんてスゴい!

 ――また、このクラスの平均点あがっちゃうね。困るー!


 クラス内で大騒ぎする中、1人だけ別の意味で驚いている生徒がいた。


 そう、先生の隣に。


「な、なんてことですの?! この私が1番では無いなんて! 何かの間違いですの!」

「マリーさん、残念ながら我が校の入学試験はマークシート式で機械を介して採点しているから、まず間違いはないの。」


 先生の言葉にがっくりと両ひざをつくマリー。結果を聞くまで、マリー自身が一番であることを信じて疑わなかったらしい。


 とは言っても、みかんの場合は私の記憶をコピーしてテストを受けているだけだから、半ば反則なんだけれどね。


 がっかりするマリーの肩に手を置いて、先生は空いている席を指差した。


「じゃあ、マリーさんは、胡桃沢みかんさんの隣の席にしましょう」

「はい……ですの。」


 マリーは気を取り直してスタスタと、みかんの隣にある一番後ろの席に向かった。


 そして、みかんに向かってニッコリと微笑む。


「胡桃沢あかねさんの双子の妹……と言う設定の胡桃沢みかんさん。よろしくおねがいいたしますの」

「お、おう……」


 え……?


 なんで私の双子の妹だって知っているの?

 設定って、どういうこと?!

 そもそもみかんの隣って席なんて無かったよね?


 ドキドキドキドキ……

 

 次々と湧く疑問に一気に私の胸の動悸が早まるのだった。

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