第A話 保健室の秘め事
学校に到着し、私は萌ちゃんの肩を抱きながら学校の保健室に入る。
朝の始業前の時間帯、保健室には誰も居なかった。
「萌ちゃん大丈夫?」
「う、うん。ありがとう……あかねちゃん」
――つまんないのーっ!
――ぷーんだ!
みかんには、先に教室に行くように、私から説得をして、納得させたのだ。
いや、納得はしてないか。
みかんは、プンプンしながら教室へと向かったのだった。だって、萌ちゃんを心配して保健室に来ると言うよりは、未知の世界に来る冒険心の方が遥かに強そうだった。
もし、みかんが保健室に入ったら、はしゃぎまわるに違いないもん。萌ちゃんも落ち着かないし、邪魔になるだけだ。ダメ。ダメダメだ。
さっき、萌ちゃんは目眩がすると言っていたけれど、それはみかんの呪文から発せられた光線の影響に違いない。それを自分の身体の不調だと思い込んだ萌ちゃん。
病は気からと言うけれど、萌ちゃんの顔は火照っていて、とても辛そうだ。ごめんね萌ちゃん。
それに最近、史緒里や聖也絡みとか、萌ちゃん自身にも色々ストレスになることが多々あったし、そのことも身体に症状として現れているのかもしれない。
「萌ちゃん。あそこのベッド空いてるよ。少し横になった方が良いよ」
「うん……」
私は萌ちゃんのことを支えつつベッドに寝かせつける。ハァハァと吐息を吐き出すその姿は色っぽささえ感じ、とても私と同い年なんて思えない。
「萌ちゃん、リボン外すね」
「うん……」
私は、ベッドに腰かけて萌ちゃんに覆いかぶさるような姿勢になる。そして、萌ちゃんのうなじに両手を回し手探りでリボンの留め具を探す。
うーん……
他人のリボンを外す機会なんてあまりないから、中々上手くいかないな。
リボンの留め具を探すことに一生懸命になった私は、自然と体勢が萌ちゃんを抱きしめる形になる。
――あんっ!
突然、萌ちゃんは身体を仰け反らせ喘いだのだ。
「萌ちゃん! 大丈夫?!」
「だ、だいじょうぶ。あかねちゃん、リボン……」
「う、うん。ごめんね。もう少し待っててね」
萌ちゃんは、ハァハァ……と吐息交じりで、とても苦しそうだ。モタついている場合では無いな。早くリボンを取ってあげなきゃ。でも、焦れば焦るほど留め具が上手く外れない。
無意識に、私の頬が萌ちゃんの頬に触れる。そして、萌ちゃんの豊満な胸が、私の胸に押し付けられている。
胸と胸が擦れている状態に、何だか私も恥ずかしくなってきた。私の方まで、身体が熱くなってしまう。
みかんのおっぱい充電のせいで、胸が敏感になっているのかもしれない。ブラの上からでも感じているなんて、自分でも考えられない。
――いや、いやいやいやっ!
私は何を考えているのだ。
苦しんでいる萌ちゃんを目の前に不謹慎にも程がある。
何を考えているんだ私は!
――あ、そうか。
「萌ちゃん、ごめん、横向いてくれる?」
「あ、うん……」
そうだった。
何も萌ちゃんの正面からでなくても、私から反対向きに横を向いて貰えば良いんじゃないか。そうすれば、リボンの留め具が見えるのだ。
こんな簡単なことも思いつかない私はどうかしている。
――取れた!
やっとのことで、萌ちゃんのリボンを外すことに成功し、私は身体を起こそうとした。
ごめんね萌ちゃん。
苦しかったよね。
「あ、あかねちゃんっ!」
「……え?」
身体を起こそうとした私のことを引き止めるように、萌ちゃんは思い切り両手で私を抱きしめた。
必死に。
今、手を放してしまうと、私と萌ちゃんが二度と会えなくなってしまうかのように。
「あかねちゃんっ! 私、あかねちゃんのことが好きなの!!」
「え、ちょ、ちょっと待って! 萌ちゃん。熱でおかし……く……うっ」
萌ちゃんが、私の顔を強引に正面に向けて、
「あかねちゃん……」
――萌ちゃんの唇が
――私の唇に
――強く
――情熱的に
――押し付けられた。
「……え、え?」
突然の事態に反応が出来ない私は、されるがままに萌ちゃんに身を預けてしまう。
それは、好きとか嫌いとかの次元では無くて、純粋に戸惑い。今、自分が置かれている立場を理解することが出来ずに、頭の中は真っ白になっていた。
一体何が起こっているのだ?
萌ちゃんの瞳は閉じられて、頬には一筋の涙が流れている。
萌ちゃんの柔らかい唇。
優しく、でも強く、長い時間、私の唇と萌ちゃんの唇が重なり合っている。
とても心地良い感触。
衝動的に私は、萌ちゃんの後頭部に手を回す。
そして、頭を撫で……
「いや、ちょっと待って!」
我に返った私は萌ちゃんのことを突き放した。
私は腐女子だけれど、自らが女の子とキスをするなんて考えたことが無かった。発想がなかった。
それでもなお、萌ちゃんは潤んだで瞳で私を見つめている。
「ごめんね……あかねちゃん」
「ど、どうして……?」
「正直、今まで、ずっと私は、あかねちゃんのことを恐れていたの。あかねちゃんは、何をするにも完璧で隙が無くて……それが怖かった」
「え、そうなの?」
萌ちゃんからの意外で衝撃的な言葉。
私は昔から、決して完璧なんてことはなかった。だから、清楚で完璧な女子になるために毎日、必死に努力してきた。
もし、もしも、この努力が、萌ちゃんに対して恐怖心を煽っていたと言うのであれば、私の本意ではない。
そんな私のことを恐れながらも、受け入れてくれていた萌ちゃんには感謝しかない。
萌ちゃんは言葉を続ける。
「それでこの前、あかねちゃんの妹、みかんちゃんが転校してきたじゃない?」
「あ、うん」
「それで少しずつ、あかねちゃんの本性……と言うか、人間らしい一面が垣間見えてきて、なんか嬉しかったの」
「そ、そう」
むしろ、みかんが来てからと言うもの私のキャラ崩壊によって、清楚系女子のイメージが崩れ去っていく危機感しかなかった。
それでも萌ちゃんは、そんな私の方が好きだと言う。
――混乱した。
「あかねちゃんの別の一面が見えて、最初は嬉しいと思っていたのだけれど……うん。思っていたけれど、みかんちゃんと仲良くしているあかねちゃんの姿を見ていたら、なんか胸が苦しくなったの。それで最近、その気持ちが嫉妬なのに気づいた」
「……え?」
「このままでは、あかねちゃんが遠くに行ってしまう。その気持ちが、どんどんどんどん大きくなってきて、私の胸は張り裂けそうで、みかんちゃんに対する嫉妬心が押さえつけられなくなってきて、もうどうしたら良いかわからないの!」
突然の萌ちゃんからのカミングアウトに、私の方が訳が分からなくなっていた。
ちょっとクールダウンしたい。
これでは私も混乱して知恵熱が出そうだ。
私は、あえて、冷静に、ゆっくりと萌ちゃんのことを説き伏せるかのように呟いた。
「ごめん……ちょっと考えさせてくれないかな。萌ちゃん疲れているんだよ。少し眠った方がいいよ」
私はベッドから立ち上がり、保健室から出ようと逃げるように扉に向かった。
「あかねちゃん!」
「なに?」
萌ちゃんから呼び止められて反射的に振り返る。いや、ここは聞こえないふりをして、保健室から出た方がいい。
――深みにはまる前に。
だけれど身体が言うことを聞かない。まるで脳と身体が別の意志を持っているようだ。
萌ちゃんは、少し迷いながらも何かを決心したかのように、私に言った。
「ひとつだけお願いがあるの」
「……え?」
「頭撫でてくれないかな。10秒3秒で、んーん。3秒で良いから。お願い」
「……うん。」
私は少し考えたけれど、萌ちゃんのお願いに応えることにした。
萌ちゃんは悩んで悩んで勇気を振り絞って、私に告白してくれたのだ。
ここで、萌ちゃんのことを冷たく突き放すことなんて私には出来ない。私に出来る訳が無い。
私は、ベッドに横たわる萌ちゃんの髪の毛を優しく撫でた。割れ物を傷つけないように、壊さないように、優しく……丁寧に……ゆっくりと。
細くて柔らかくてフワフワしている萌ちゃんの髪。子猫みたいだ。
すると、萌ちゃんの濡れた唇が、遠慮がちに小さく開く。
「あかねちゃん……大好き」
その大好きは、友達の大好きでは無く、恋愛を意味する大好きであることは、恋愛経験のない私にも容易にわかった。でも、萌ちゃんの言葉に応えることが出来ない私がいた。
ここで受け入れてしまったら、私の、そして萌ちゃんの心が壊れてしまいそうで、私自身が壊れてしまいそうで、今まで少しづつ積み重ねてきたものが一気に崩れ去りそうで……
少しずつ、一生懸命、必死に、完璧女子になるために日々頑張ってきた私の努力が無になりそうで……
――怖かった。
「あかねちゃん……」
今、まさに勇気を振り絞っていると思われる萌ちゃんの身体は、小刻みに震えていた。
萌ちゃんの大きくて潤んだ瞳は、真っすぐ私の瞳を見つめている。萌ちゃんの気持ちに比べたら私の恐怖心なんて、ちっぽけなものだ。
萌ちゃんは今、私に告白することで、友人関係が壊れてしまうかもしれない大きなリスクを冒してまで、告白してくれているのだ。
萌ちゃんからの熱い視線は、純粋で健気だった。それは、萌ちゃんのことを守ってあげたいと私に思わせるには十分だった。
そして……
萌ちゃんの大きな瞳が、再びそっと閉じられた。そして潤んだ唇が何かを求めている。
何か、を。
そして私は、
萌ちゃんの潤んだ唇に吸い込まれるように……
唇を重ねたのだった。
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