第6話 僕に土下座する前に謝らなければならない人が居るだろう?

 学校からの帰り道。みかん、萌ちゃんと一緒に駅まで向かう。


「おわったおわったー。かえろかえろー。るんたった♪」

「ハイテンションねー。少しは落ち着きなさいよ! ……あっ」

「お、あかねちゃんどしたー? てへぺろ」

「な、なんでもない」


 また、やっちゃった。

 ダメだな私。みかんを相手にすると、どうしても怒ってしまう。


 ヘタに取り繕おうとしても、どうしても芝居がかってしまって不自然な感じになってしまうし本当に困ったものだ。


 まったく、このままじゃ周りに対する私の印象が大きく変わってしまうじゃないか。そう、このポンコツロボのせいで。


 それでも萌ちゃんは、みかんと私の姿を羨ましそうに眺めている。


「仲良くていいなあ……私一人っ子だから、あかねちゃん達みてると憧れちゃうよ~」

「そんなことないよ! 苦労が絶えなくて、一人っ子のほうが全然断然良いよ!」


 私は慌てて否定した。

 だって、そもそも私は一人っ子なのだ。博士の陰謀で、ロボのみかんと私が双子の設定になっているだけで、事実、私に姉妹なんて居ない。


 あの一人っ子のお気楽だった日々を返して欲しいと切に願う。


 と。


 ――おつかれにゃあん!


 後ろから聞き覚えのある声。

 声の主からポンポンっと肩を叩かれて、後ろを振り向くと、当然のように最初から居たかのように美由宇が立っていた。


 いやいや、今の今まで、みかんと萌ちゃん以外の気配なんて無かったよ?


 いつの間に現れたんだろう。油断も隙も無いったらもう。まさか、私たちが帰るまで、どこかで待ち伏せしてたのかな。だとしたら普通に引くなあ。ストーカーみたいなこと本当にやめて欲しい。


 とは言え、決めつけは良くない。本人に事実確認してみよう。


「みゅうちゃん、こんな時間まで何やっていたの? もしかして私たちのこと待ってた?」

「んにゃ。部活にゃ。バスケにゃ。シュート! にゃ!」


 美由宇は、バスケのシュートのポーズをする。彼女にとっては何気ない動作なのかも知れないけれど、それはとても綺麗なフォームで思わず見蕩れてしまう。


 って、いけないいけない。平常心を取り戻さなきゃ。美由宇に心を悟られてはいけないと、私は何事もなかったかのように応える。


「あ、ああ。ちょうど部活が終わったってわけね。」


 そんな私の上っ面の言葉を、美由宇は笑って否定した。


「んにゃ。まだ部活は、やってるにゃ! 体育館から師匠たちが帰るのが見えたから、みゅう急いでやってきたにゃ! みゅうは師匠の従順な下僕げぼくにゃ!」


 笑った口から覗く八重歯が、また萌えポイントだ。加点に次ぐ加点、満点の100点を軽く越してしまう。


 と言うか、体育館って、まあまあ距離があるんですけど。


 言われてみれば、美由宇はジャージを着ている。ってことは、一瞬にして体育館からここまで来たと言うことか。それこそ、みかんの瞬間移動の如く。


 そもそも、体育館から私たちを認識できたこと自体、とても人間技とは思えない。本気で視力15.0くらいあるんじゃないかと思う。南の国の原住民レベルで。


 僕っ娘みかんの次は、下僕美由宇か。全然うまくない。それに、師匠って呼んでいるってことは、まーだ、みかんと美由宇の茶番が続いていると言うことか。面倒くさいな。付き合わされる方の身にもなって欲しい。


 だがしかし、みかんと美由宇の茶番劇場は続くのだ。


「うむ。我が弟子みゅうよ。日々精進するのだぞ。あーめん」

「ありがたきお言葉にゃ! 師匠の後について日々精進するにゃ! あーめんにゃ!」


 みかんと美由宇、まるで打ち合わせたかのように2人同時に十字を切り祈りのポーズをしている。一体、何を誰に願っているのだか。呆れて物が言えない。


「あはははっ! 飛田万里ひだまりさんって、もっと怖い人だと思っていたけれど、こんなに面白い人だったんだ。あはははは!」


 え、私の隣で萌ちゃんがうつむいて声を殺し肩を震わせて、お腹を抱えて笑っている。そんなに面白いかな。萌ちゃんのツボがイマイチわからない。萌ちゃんって笑い上戸なところがあるのかな。私としては、これからのことを考えると、とても笑えないのだけれど。


 そう、そうなのだ。

 美由宇には、みかんが呪文を使っているところをバッチリ見られているのだ。


 今のところ美由宇には、みかんはマジックが出来るんだよー。すごいでしょー。えっへん。って、言わば子供騙しの嘘で誤魔化しているのだけれど、これからも油断は禁物だ。と言うか良く誤魔化せたな。


 これ以上一緒に居てボロが出ると困るし、美由宇には、すぐ此処から退場していただきたい。つまり居なくなって欲しいのだ。私は美由宇に向けて遠回しに問いかける。


「みゅうちゃん、もう部活はいいの?」


 お願い居なくなって。

 良くないにゃ、部活に行くにゃって言って。むしろ私の方がアーメンしたいくらいだ。


 美由宇はジャージ姿ではあるが、鞄も持っているし帰り支度は万端と言う感じだ。まあ、体育系の部活の人ってジャージのまま帰ったりするから、不自然ではない。


 けれど、確かバスケ部って、まだ練習時間中だと思ったんだけれど違うのかな。と言うか、本当に本気で部活に戻ってくれないかな。


 私の渾身の願いも空しく、私の問いにケラケラと笑って応える美由宇。


「ああ! 大丈夫にゃ! みんなには、おつかれにゃ! って言ってあるにゃ!」

「おつかれにゃ……あ、そう」


 私の儚い希望は脆くも崩れ去ったのだった。

 まったく、一年生から部活中に、おつかれにゃ! と言われて帰られてしまう部活も如何いかがなものか。とも思うけれど、今まで弱小だったし、変に逆らって美由宇に部活を辞められても困るから認めざるを得ないのだろう。


 ん?

 駅に向かう途中、男からの視線を感じる。

 反射的に振り返ると、男は立ち止まり、驚いた様子で私達から目を逸らした。


 あの男、何か見たことあるような気がする。


 私が思考を巡らせていると、突然萌ちゃんが私の後ろに隠れてブルブルと震えだした。


 あー、そうか。


 ヤツか。

 今朝、私のことをナンパしてきて、当然のように断ったら逆切れしたヤツだ。そうだそうだ。


 みかんが呪文を使ったのは、こいつのせいなのだ。みかんは、コイツをぶっ飛ばすために呪文を使ったのだ。そして不幸なことに、みかんが呪文を唱えている瞬間を美由宇に見られてしまった。


 全ての不幸の発端はコイツ、この男なのだ。これ以上、このチャラ男と話すことなんて何もない。関わりたくない。美由宇を相手にするだけでも大変なのだ。一刻も早く立ち去らなければ。私は萌ちゃんの手を引っ張った。


「行こう!」

「あ、うん」


「ああん! まってよーあかねちーん!」

「師匠! もちろん、みゅうも師匠について行きますにゃ!」


 私は3人を引き連れて駅に向かって足を向ける。これ以上面倒なことになったら堪らない。


 ――ちょ、ちょっと待って!


 諦めの悪いチャラ男は、後ろから小走りで私たちを追いかける。本当に本当に勘弁して。もう関わりたくないんだってば。


 って、小走りで?

 あ、そう言えば、みかんから殴られてコンクリートの壁を壊すくらい思い切りぶつかっていたけれど、ケガは大丈夫なのかな。あらゆる箇所から、むしろ流れちゃいけない場所から、血が流れていた様な気もするけれど。


 ――ズザザザザーッ!


「なんにゃ?! 何か用にゃ?! 返答によっては、みゅうが許さんにゃ!」


 突然、隣を走っていた美由宇が、突然アスファルトにローファーを擦らせてターンした。あの校舎裏で私を助けてくれた、あの時と同じように。


 プンプンと顔を赤くしてシャドーボクシングのように両手を前に突き出して怒る美由宇。一方、男は美由宇の迫力に焦った様子で、手をブンブンと振りながら弁解した。


「違う違う、誤解だ! その娘に用があってきたんだ。そこの金髪ショートカットの彼女!」


 金髪ショートカットの彼女。今まで触れてこなかったけれど、みかんの髪色は綺麗なブロンドヘア。チャラ男はみかんに向けて、凛々しくビシッと人差し指を差した。


 ――え?


 みかんに用って、呪文で朝のチャラ男の記憶は消えているはずだ。まさか、こいつも呪文が効かなくて復讐にでも来たってことなのかな。


 だとしたら、みかん自体に洗脳呪文が唱えられるのかってと言うのが甚だ疑問に思えてくる。私の家族限定にしか効力の無い呪文とか。そんな限定いらないけれど。


 他方、みかんに用があると聞いた美由宇は、さらにヒートアップする。


「にゃにゃ! 師匠に何の用にゃ?! 師匠は、お前のような低俗な人間と話すようなお人では無いのにゃ!」


 低俗って、いつの時代の言葉だ。美由宇の脳内は数千年前の時代にタイムスリップしてしまっているようだ。そしてチャラ男は、美由宇の勢いに押され、どもりながらも必死に弁解する。


「え、いや、あ、あの。僕もわからないのだけれど、今、その娘を見た瞬間、心臓のドキドキが止まらなくなったんだ。比喩ではなく本当に口から心臓が飛び出そうだ。こんな気持ち生まれて初めてで、居ても立っても居られなくなった。いわゆる一目惚れってやつなのかな」


 な、なんですって?!

 みかんに一目惚れ?!?!?!


 もしかして。

 みかんに殴られた記憶は消去されたけれど、記憶以外、つまり恐怖心だけ脳内にりこまれていると言うことなのではないか。そしてチャラ男は、その恐怖心のドキドキを恋のドキドキと勘違いしている……のか?


 ばからしい。

 とは言え、みかんと初対面であるかのように話しているチャラ男。これは、みかんに呪文を掛けられた自覚がない証拠とも言える。


 みかんは状況をわかっているのかいないのか、ドヤ顔で踏ん反り返っている。


「いやー、まいったなー。モテる女はつらいよー。てへぺろ」

「さすが師匠だにゃ!」


 呑気な奴らだ。

 こいつらの辞書には、モノを、物事を深く考えると言う言葉は、どこにも載っていないようだ。


 それでも必死なチャラ男。

 目の前で間抜けなやり取りをしているみかんと美由宇を華麗にスルーして、ひたすら訴えるのだった。


「頼む! キミ、俺と結婚を前提に付き合ってくれ! 金はいくらでも払う! 欲しいものがあれば何でも言ってくれ。それに今付き合っている女とは全員別れる。本当だ。」


 ……最低。

 女が金で買えると思っている時点でおかしいだろ。


 しかも全員と別れるとか、付き合っている女が複数いるのか。おかしくないか。それに別れるって簡単に言っているけれど、彼女たちの気持ちを考えた上で言っているのか。


 だから男は嫌いなのだ。女のことを性的欲求の捌け口としか考えていない。怒りが沸々と沸き上がる。こんなヤツとは1秒たりとも時間を共有したくない。不愉快だ。


「行くよ!」


 再び、みかんの手を引っ張って、その場を去ろうとした。……が、みかんは頑として、その場から動こうとしかった。


「あかねちゃん。ちょい待って」


 どうしたんだ?

 みかんは男の目を、じっと見つめている。


 氷のようにさげすんだ眼で……


「た、頼む!」


 男は、その場でひざをつき、地に頭がつくほど深く深く土下座をした。周りの人が振り返って男の姿を見ているのがわかる。


 この男は、こんなことも出来るのか。


 少し意外に思えた。

 綺麗に着飾っている姿からは想像がつかない。


 スラックスも泥まみれになっている。みかんに対する思いの深さ、真剣さが切々と伝わって来る。例えそれが、暴力が起因した潜在意識による気持ちだとしても、彼には関係ないのかもしれない。


 みかんは、それでも抑揚のない氷のように冷たく、そして鋭い声で言った。そう、私と最初に出会った時と同じ抑揚のない声で。


「僕に土下座する前に、謝らなければならない人が居るだろう……?」

「……え?」

「謝らなければならない人が居るだろう!」


 いや、私と初めて会った時とは少し違ったようだ。みかんの口調は怒りに満ち溢れていた。てへぺろも何もない。


 そして、チャラ男に見えるように、みかんは自分の身を横に移し、私の隣で震える萌ちゃんの姿を男に晒した。


 萌ちゃんに気づきハッとした顔をするチャラ男。


「あ……君」


 チャラ男は、小刻みに震えている萌ちゃんの姿を見て狼狽ろうばいした。まさか、萌ちゃんが私たちの友達とは思わなかったのだろう。


 ――おっぱい大きい子か。前から目をつけていて、試しに声を掛けたら逃げられちゃったんだけど、まあいいや。

 ――頭悪い分、脳みそが全部胸にいっちゃってるんじゃないかな~。


 今朝、彼が私に向かって、萌ちゃんのことを思い切りののしっていたことは記憶に新しい。


 みかんは言う。


「萌ちゃん、バシッと一発やっちゃいな。」

「え……? いいよ、そんな……」

「いいからいいから。それとも……萌ちゃんは、これからも彼の姿に怯えて生きていくのかい?」

「……!!」


 いつもとは違うみかんの言葉と立ち振る舞いに戸惑う萌ちゃん。かく言う私も戸惑っていた。


 けれど、みかんの言っていることは全くの正論で、今、行動しておかないと、カタをつけておかないと彼女は一生、彼の残像に怯えて生きていくことになるだろう。


 いつもとは違うみかんの姿に色気さえ感じる。美しい。


「ほら、立ちなよ」


 みかんはチャラ男の胸ぐらをつかみ、そのまま引き上げた。チャラ男は力なく、よろよろと立ち上がる。


 いつもバカなことを言っているみかんとは全く別人のようだ。みかんは相変わらず無表情な顔でチャラ男に話しかけた。


「ほら、顔を上げて。君、僕の言うことに異論は……?」

「ない。ないよ。キミ、嫌な思いをさせてしまってすまない。許してほしい」


 チャラ男は萌ちゃんの方をジッとみつめた。


 覚悟はできたようだ。

 萌ちゃんも震える足で、一歩一歩チャラ男に歩み寄った。


 そして、深く深呼吸。


 ――ハァーーーッ


 みかんは、萌ちゃんの目を見てうなずいた。


 萌ちゃんも意を決したようにうなずき返す。


 そして男の方に向き直って、思い切り身体をひねり……


 ――バシーンッ!!!


 ――ぐはあ!!


 思い切り殴ったグーで。握りこぶしで。チャラ男は綺麗にぶっ飛んだ。


 萌ちゃんって、意外と力あるんだな。


「うけるー! 萌ちんてば、ぐーで殴ったー! ぐーで! ちょーウケる! 萌ちゃんやるじゃん! てへぺろ」

「あはは……てへぺろ、かな。ありがとう。みかんちゃん」


 いつもの調子を取り戻したみかん。少しムカつくけれど、やっぱりこの方が、みかんらしくていいな。


 萌ちゃんもスッキリした様子でニッコリと笑った。


「お待たせ! 行こう! あかねちん!」

「あ、うん……」


 うずくまっている男を尻目に私たちは駅に向かった。


 そう、何事も無かったかのように。チャラ男の存在、出来事なんて、何もなかったかのように。


 私は、素朴な疑問を萌ちゃんに投げかける。


「萌ちゃん、人を殴った経験ってある?」

「……え?」


 想定外の質問に別の意味で戸惑う萌ちゃん。


「だから、今まで生きてきて、今みたいに人を殴ったことある?」


 キョトン顔で萌ちゃんは応える。


「え、ないよ? ある訳が無いよ。どうして?」

「あ、そ、そうだよね。変なこと聞いてごめんね」

「う。うん。大丈夫だよ」


 そうかー。

 萌ちゃんのチャラ男の殴り方。腰を捻って左足を前に踏み出して、体重を乗せてパンチを繰り出していた。しかもそのパンチは的確にチャラ男の顔面にヒットしていたし、てっきり経験者だと思ってしまった。


 だって、成人男性が吹っ飛ぶパンチって、経験者でもない限り女子高生じゃ中々繰り出せないよ?


 ラッキーパンチってことなのかな。兎にも角にも私は、萌ちゃんを敵に回しちゃいけないと心から思うのでした。

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