第5話
完全無欠のヒーロー彩芽小が、4年ぶりの完全敗北を喫してから1ヶ月後。今日も彼は喫茶店のカウンター席に座っていた。しかし、今回はミートパスタをのんびり食べているわけではなく、マスターと作戦会議を行っていた。
「今回は敵が強大です。不意を突かれなくても、あの時は負けていたかもしれない」
「では、どうするのですか。あなたにも敵わない相手を、一体どう撃退するんですか」
胡麻塩頭のマスターは訊いた。
「他県のヒーローに応援要請をしておいた」
47都道府県あるこの日本では、県ごとに担当ヒーローがいる。管轄は基本的に己の属する県内だけだが、彩芽は例外であり全国区を管轄としている。彼には、それが可能な程の強さがあるから。つまり今回、彩芽が全国のヒーローたちに応援要請をするということは、異例中の異例。異常事態である。
そして、そこまで追い込まれていると知ったマスターの顔には、普段の冷静さや熱烈さなどは微塵もなく、焦りと不安だけを滲ませた険しい表情を浮かべていた。
「ですが、全国のヒーローを呼び集めたとしても、あなたの力には遠く及ばずですよ。北海道の4姉妹のヒーローがあなたと対等に渡り合えると言ったところでしょうけれど、しかしそれは4人いてからこその力であって、恐らく今回の緊急要請では全員は来られないと思われますし、そうすると、次にあなたと渡り合えるとしたら、沖縄県のヒーローです。しかしそれでも力不足ではないですか?」
マスターの心配は正しいもので、彩芽と他県のヒーローには明らかな力の差があるのだ。それはサボらない兎と諦めの早い亀程の差だ。
「確かにそうかもしれない。でも、日本全国のヒーローが力を合わせれば勝てると思うんだ。正義の信念がある限り、僕たちは負けない」
彩芽は、力不足だとか、そういう実力なんて考えることはしない。必要なのは力ではなく、いつだって正義を貫く心だと考えている。彼は根っからのヒーローだった。
しかし、この選択は間違いだった。そもそも今回の襲撃では、まずは街の住人を早く避難させることが優先的であったのに、彩芽は4年間、無血解決、スピード解決をしてきたため、避難させるということをすっかり忘れていたのだ。
それが今回彩芽が犯したミスであった。
既に、彩芽の掲げる無血解決という目標は、破綻していた。
しかし、まだそれに気がつけていないヒーローは、尚も作戦会議を進める。
「相手は恐らく大軍勢を率いてくる筈だ」
「何か確証があるんですか?」
「敵意の数が多いんだ」
彩芽の能力に、《敵意の察知》というものがある。読んで名のままの力であり、彼は相手が向ける敵意を自然と感じとることが出来る。人間関係を作っていく上では、この上なく欲しい能力であり、またヒーロー活動をする者にとっても、それは憧れる力であった。
なにせ彩芽は、この能力を使って被害が出る前に悪を倒しているのだから。
「いつ頃皆様は到着されますでしょうか」
「分からない。自分の県のこともあるだろうから、全員集結までには時間がかかると思うんだ。最悪来れないなんて場合もあるだろうけど」
それは杞憂だった。そもそも、日本一の強さを誇る彩芽小が負ける可能性のあるこの戦いで、もし戦場に赴かずに完全無欠のヒーローが死んでしまえば、それは日本全国にとっての痛手である。なので、多少の被害に目を瞑ってでも、他県のヒーローはやって来る。
「多分最短で来れるのは同じ関東圏のヒーロー達。だから、まずは7人で食い止める」
「敵いますか?」
「敵うさ、きっと。うん、僕は今から偵察に行ってくるよ」
「分かりました」
「他県のヒーローが到着したら、すぐさま出陣してください、って伝えてください」
「はい。では、お気をつけて」
「うん、マスターもね」
彩芽は既にヒーロースーツを着込んでおり、今回は毎度の流れをはしょって喫茶店を後にした。
店を出て一歩目で、彩芽は軽くジャンプをした。ヒーローの軽くは、勿論常人の力強く、その5乗のレベルである。
彩芽は浅く小さい水溜まりを飛び越すような軽いジャンプで、軽々と高層ビルの上まで跳び、そして時速約20キロ程度のスピードで空を飛び、地上を見渡す。
「現状異常は無し。いや、これこそが異常か。僕にとって、怪獣や悪の組織が街を襲う方が日常だ」
異常もいずれは日常になる。それを受け入れるか受け入れないかで、人間は生きれるのか生きれないのかが決まってくる。
争いが日常である彩芽は、常に警戒をし、辺りをくまなく見渡し、そのお陰でビルの屋上の縁に一人で座っている小さな少女の存在に気付くことが出来た。
上空から見下ろすだけでも分かる異様な雰囲気。彩芽はその雰囲気から、彼女はこれから飛び降り自殺をするのでは、と勝手に推測した。
「こうしちゃいられない!」
一気に急降下し、ものの3秒で彩芽は少女の座るビルの屋上へと降り立ち、そして語りかけた。
「ねぇ君、何してるの?」
ゆっくりと、少女の背後に迫る彩芽。彼女の身長は低く、まるで小学生、せいぜい中学1年生といったくらいの背丈しかなかった。まぁ座っているのだから低く感じても当たり前かもしれないが。しかし、そんな彼女から漂う異様さは、小学生の無邪気さや、思春期の中学生のトゲトゲしさとは全く類を異なるものだった。
少女は彩芽の声に反応して、振り返った。
その少女の顔に、彩芽は引っ掛かりを感じた。どこかで見覚えがある。
しかし考えを巡らそうとした瞬間に、少女が返した。
「やぁヒーロー、見ての通り、街を眺めていたんだ。この街は美しく平和だ。平和は素晴らしい、愛を感じる。この街を守ろうとする愛を」
姿相応とは言えない喋り方をする少女に、彩芽の感じる違和感は増していった。しかし、特にそれについて考えることはせず、とりあえず少女と会話をすることに決めた。
「愛ね。確かに僕はこの街を愛している、良い街だよね」
「ああ、だがいまいち、足りない」
「足りない?何が足りないの?」
「平和を愛するだけの街が、素晴らしい訳がない。絶望も悲しみも、それら全てを愛して世界は素晴らしいものになるんだ。私は4年前に絶望を知った、誰も救えないという絶望を」
「4年、前」
「絶望を愛した私に、見覚えがあるか、ヒーロー」
「っ!」
事件を追い続けていた彩芽にとって、4年という情報だけで、彼女の特定には十分だった。
何度も何度も見た、彼女の母親から提供してもらった写真。目の前にいるのは、その写真の中にいた少女と雰囲気が異なるだけで、容姿はまるきり同じの少女だった。
消えた少女、愛沢広だった。
「どうして君がここに!今までどこにいたんだ!」
「それは大体想像がつくだろう。ヒーローが完敗した、リーマン風のおじさんの所だよ」
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