第4話

 マッハを越える速度で、完全無欠のヒーロー彩芽小は空を飛ぶ。通常人間はマッハの速度なんて生身では耐えられないし、そもそも空を飛ぶことすら不可能なのだが、それもこれも全て彼が着ているヒーロースーツが可能にしてくれている。


 「うおおおおおおおおおっっっっっ!!!」


 彩芽はマッハの勢いのまま重たい音のした方向へ飛び、たったの数秒で音源地に辿り着いた。


 勢いを抑えたが、それでもスピードは速く、コンクリートと踵による摩擦熱によって炎を噴き出しながら、ようやく彼は着地した。


 足元から伝わる熱波を感じながら、彩芽は、突如現れた望まぬ日常を目の当たりにした。


 あまりにも見慣れた、一度も飽きない、それがあまりにも悲しすぎる現実を今日もまた、彩芽は見据えた。


 「オオオアアアァァァァッッッッッ!!!」


 鼓膜どころか全身が破れそうな怪獣の咆哮が街に響き渡る。しかし、それはヒーロースーツを着込む彩芽にはなんら効果の無いものだった。


 彩芽は怯むことなく駆け出し、常軌を逸した跳躍力を怪獣に披露し、先ほどの移動同様マッハの速度に達し、そして怪獣に蹴りを喰らわした。


 彼の蹴りは、最早蹴りなんてレベルではなく、彼自身が弾丸になった銃撃だった。


 怪獣は心臓を容易く貫かれ、多量の鮮血が吹き出し、街を赤で染めた。怪獣の血は、完全無血解決達成に含まれない。


 そして、そんな赤を、突如空から降ってきた業炎が紅に染め上げた。


 「やぁやぁ完全無欠のヒーローさん」


 爽やかな声を発したのは、亡骸と化した巨大怪獣の上に立つ、黒の背広に水玉模様のネクタイを締め、眼鏡をかけた高身長のオールバックの男だった。


 あまりにもこの場にそぐわない、異様すぎる姿と笑みを浮かべる男に嫌悪感を抱いた彩芽は、思わず動きを止めてしまった。


 その瞬間だった。


 男は一瞬の隙を見逃さず、彩芽の腹部に拳をぶつけた。


 「うっっ…」


 彩芽は短い呻き声を漏らし、膝を地につけ胃の中身を吐き出した。


 「ほぅ、お昼はパスタでしたか、んー、急に私も食べたくなってきましたね、夕食はパスタにしましょうか」


 彩芽の吐瀉物を眺めながらそう独りつ男は、ポケットから携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけ始めた。


 「もしもし、うん、私だ。今夜はミートパスタにしようと思うんだが、どうだ」


 姿、笑み、言葉、何もかもがこの場に似合わない男は、携帯電話を持たない手を握り締め、ヒーローの頭部を殴る。


 「ああ、材料は買っておいてくれ、調理は私がするさ」


 殴る。


 「え?おいおいやめてくれよ、この前君が料理をした時は散々じゃなかったか。棚の上に手が届かなくて、お皿や香辛料を床に落として割ったのを、私は未だに覚えているぞ。さらにその香辛料が鍋の中に入ってしまって、結局その日はコンビニ弁当になってしまったじゃないか。だから労いは、料理以外でお願いするよ」


 殴る。


 「ああ、材料はそれで良いさ。あ、あと粉チーズを買っておいてくれ、切れていた筈だ。私は粉チーズをふんだんにかけてミートパスタを食べるのが好きなんだ」


 殴る。


 「それじゃ、頼んだよ」


 通話終了ボタンを押して、ポケットに携帯電話を仕舞った男は、ボロボロになった醜いヒーローを見下す。


 「おやおや、やり過ぎてしまったかな」


 ヒーローは、燃えるコンクリートの上で倒れこんでいた。


 「…君は、紛れもなくヒーローだ」


 彩芽は朦朧とする意識の中、男が自分に向けて話す声を聞いている。


 「この美しい街は、君一人で守り抜いているのだろう?ククク、この街の人間は早く君の銅像を造るべきだと思うのだがね。偶像崇拝は禁止なのかね?」


 彩芽は答えない。答える気力も体力も、今は全て悪の組織の男に奪われたのだから。だが、そんな事を分かっている当事者は、それでもヒーローに語りかける。


 「君はヒーローだ。彼女とは違う、完璧なヒーロー。だが、そんな君だからこそ、いつかは彼女に負けるだろう。完全無血解決の完全無欠のヒーロー。今回は敢えて人のいない此処を襲ったが、しかし次は街の中心部を狙う。襲撃の日は、1ヶ月後だ」

 

 ヒーロー彩芽小は、男のその宣言を最後に、意識を手放した。

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