第3話
一人の少女がヒーローという夢を捨ててから4年が経過した。彼女は現在14歳になっているのだが、今喫茶店でミートパスタを食べている少年には、まだ何ら関係の無いことである。
「マスター、今日は平和で良いですね」
カウンター席に座る少年は、向かい側に立つ、白く長い髭を伸ばした老夫に言う。
「はっはっは、そうですね。何も考えずに時間を過ごせるなんて、滅多にありませんから。今のうちに、ゆっくりと休息をとってください―――ヒーロー」
「ヒーローなんてよしてくださいよマスター。僕はまだまだ未熟者ですから」
「何を言いますか。この街にとって、貴方は紛れもなくヒーローですよ。何度も怪獣や悪の組織からこの街を守ってきたではないですか、それをヒーローと言わずして何と呼びますか」
普段はお洒落な喫茶店の落ち着いたマスターとして街中で通っているが、しかし少年の前に立てばその印象は微々たる程度でしか感じられない程、少年に対して熱烈に語る。
そんな老夫に対して、少年は落ち着いた面持ちだった。
「本当によしてください。守っているなん
て。救えなかった命がいくらあったか、もう数えきれません」
「しかし、それは4年前の小学校全焼事件が最後だったではないですか。それからは全ての事件において、完全無血解決ではないですか」
4年前の小学校全焼事件。それは、市内にある公立小学校が前触れも無く爆発し、全焼し、生徒職員全員が焼死、または窒息死、もしくは落下死、そして斬殺され、たった一人の少女だけが行方不明になった事件だ。
ヒーローが現場に駆け付けた時には、既に小学校は壊滅状態であり、生存者はいなかった。その上、犯行に及んだ犯人も、その痕跡も見つからず、結局この事件は未解決のままになっている。
ヒーローは、老夫の言葉に反論する。
「そうだけど、でもやっぱりそれで満足しちゃイケないんだ。傷を負う人がいなくなったから満足じゃダメ、事件を起こす悪を壊滅させて、事件が起こらなくなって初めて、僕はヒーローに成れるんだ」
事件が起きなくなって初めてヒーローに成れる。それは、全世界の悪意を失くすということだ。果たしてそれが可能かどうか、それはこの物語では語られない。
「彩芽くん、流石です」
マスターは、妻にも見せたことの無い恍惚とした蕩けるような笑みをした。まるで神でも見ているかのような、そんな笑みを。しかし、この表現はあながち間違えではなく、マスターの少年に対する感情は、最早狂信と言ってもよいレベルだ。
彼が少年、
完全無欠のヒーロー、誰もが待ちわびていた理想のヒーローが現れたのだ。それは、神が現れるのと大差の無いことである。
「しかし、そうなるとあの小学校全焼事件を起こした犯人を、早急に捕えなければですね」
「はい。でも残念ながら未だに手がかりが無いんです」
「あの行方不明の生徒はどうなったのですか?」
「その子も依然として見つかってないです。しかし不思議ですよね、全校生徒、職員も合わせて500人を越える人数の中で、たった一人だけ行方が分からなくなるなんて。しかもその子、母親によると朝は遅刻でしたけど登校はしたらしいですし」
「遅刻したが故に、事件に巻き込まれなかった。しかし生き残りがいたと分かった犯人が彼女を誘拐した、ということでしょうか」
「だとしたらその場で殺せばいいだけじゃないですか?学校関係者全員が死んでいる現場にいて、わざわざ一人だけ殺さないなんて、意味が無いように思えます。それに、お世辞にも彼女の家は裕福とは言えませんし、誘拐理由が金銭目的であるのならば、彼女以上にもっと裕福な家庭の子供がいましたし」
「しかし、だとしたら少女が犯人でしょうか」
「可能性はなきにしもあらずですけど、でも彼女は普通の家庭に住んでいるただの小学5年生です。あそこまで大規模な事件は起こせませんよ」
「うーん」
マスターはグラスを磨きながら、そう唸った。
そんな時だった。
ズウゥゥゥゥゥゥン、という重たい地響きが喫茶店内に響き渡り、棚に並べられた食器はカタカタと揺れ、数枚は落ちて割れてしまった。
その音は、あまりに日常から逸脱した、異常だった。
「彩芽くん!」
「分かってますマスター!」
老夫はカウンター下から赤い服、ヒーロースーツを取り出し、彩芽に投擲する。
するとスーツは誰の手も触れていない空中で勝手に動きだし、そして彩芽の体を包み込み、彼をヒーローの姿に変えたのだった。
「行ってきます」
「えぇ、ご武運を」
完全無血解決の完全無欠のヒーロー彩芽小は、こうして出陣した。
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