赤金の双狼
「ひッ!?」
女性が放つそのあまりの迫力に、柄にもなく私は思わず悲鳴を漏らす。
その殺気が自分に向けられたものでないとわかっていても。その勝ち気な瞳から見える赤く鋭い眼光が、口元から薄らと見える八重歯が、小さくなったこの体の恐怖心を駆り立てる。
最初に動いたのは獣だった。
後ろ足二本で立ち上がり、全身の体重を乗せた右前足による上段からのパンチ。
「--と。そんなへなちょこパンチ。効かないってさっきので学習できなかったのか?」
またしても盾で防がれた獣は、左後方へと飛び退き滑るようにして赤毛の女性から距離を取る。
「--え?」
一瞬。ほんの一瞬。獣から見て右斜め前に怯えて座る私と獣の目があった気がし、獣は体を内側へとしならせる。
「まずいッ!!」
それを見て、赤毛の女性も動いたが一歩、獣の方が動きが早く。顔を前にあげると同時に私の方へとボウリングの玉程の大きさをした火球が放たれた。
(ああ。これは間違いなく死ぬ)
そう実感させられるほどの熱量と緊迫感。脳はそれでも死ぬ訳にはいかないと、私を助けようと地面を蹴る赤毛の女性。迫り来る火球の動きはスローに見えて。私はただ、目を瞑ることしかできない。
あれから、どれくらい経っただろう。いくら待てど、痛みは来ない。
「……ナイスタイミング。ミーリア」
赤毛の女性の声が聞こえる。それに続くのは知らない声だ。
「もう。急に走っていなくなったと思ったら。いきなり『念話』でバックアップしろなんて言うんだものビックリしたわよ」
目を開けると、私の周囲に円を描くように半球体状の淡い緑い光が包み、それが炎から守ってくれていた。
背後からほんの少しの靴音と何か鉄状のもので地面を小突く鈍い音が響く。
そこには、赤毛の人とは違う一人の女性が立っている。
頭上には片方に宝石があしらわれたピアスを付けた立派な獣の耳を。髪は赤毛の人とは違い癖っ毛一つない綺麗な金色の背中まで届くロングストレート。瞳の色は黄緑色で、どこか優しさを感じる。
装備は鎧でなく白と緑の防御力の薄そうなローブを纏い。右手には銀色の鉄杖棍を地面に立てて、金の尻尾を凛々しく伸ばし。右足をほんの少しの前に出して立っている。
「グラッ!」
獣が、赤毛の人や私にも見向きもせず横切って、ミーリアへ襲い掛かろうとした。
「知能があるのか無いのか分からんな……。いや、なまじ知能があるから支援職のミーリアからってか? 」
「ッ! 危な-- 」
い。と言い切る間もなかった。
彼女は流れるような動作動作で右足を一歩、後ろに引く。
「でもなぁ……? 」
赤毛の女性が笑う。
「フゥゥンッ!! 」
一歩前へ。短く持たれた鉄杖棍の先端が、体のしなりも加わって、獣の左頬を直撃する。それはさながら野球のボールのように獣の体は壁に直撃し、轟音と土煙を立て突き破る。
「いくら支援職相手でも、私ら獣人相手に近接戦闘はご法度だ。意味はないとは思うが、冥土の土産ってやつだ。覚えておけよ? 」
(なんつー馬鹿力…… )
「で、アリューミア。何その子? なんでこんな危ないダンジョンの中に、こんな小ちゃな子供がいるの? 」
「ああ、そうだ。そいつ怪我してるんだ。悪いが治療してやってくれないか? 知ったの通り、私治療系の魔法はからっきしでさ 」
両手を笑う赤毛の女性ーー改め、アリューミアをミーリアは半目で見やるとため息を一つ。「わかったわ…… 」と言ってこちらへと近づいてくる。
「もう大丈夫よ。怖かったでしょ? どこか痛いところはない? 」
「だ、大丈夫…… です」
--でも一応と、私に目線を合わせるように目の前でしゃがみ。鉄杖棍を地面に置き、私に向けて手を伸ばす。そこから放たれたのは温かな金色の光。それに包まれると、手のひらや足など吹き飛ばされだとかに出来たはずの内出血や擦り傷など、徐々にではあるが治っていくのがわかる。
「…… 」
「ミーリア? どうかしたか? 」
目を細め、どこか不思議そうな。そんなミーリアに、アリューミアは周りを警戒しながらも、言葉を投げかける。
「いえ。思ったより大怪我をしていないなってのと……。少し、傷の治りが遅いような気がして……」
何かを隠したような気がした。
怖い表情をして語るミーリアの言を。本当に傷の治りについて思考していたのかを。今まで日本という平和な国で、ブラック企業に勤めてはいたが普通の暮らしをしていた私では彼女の言っていることが事実なのかを判断する術はない。
「大怪我をしてない?でもあの時見た感じではとてもそんな…… 」
アリューミアは、怪訝そうに何か考え込むように黙り込む。
「はい。治療終わりっと。どう? どこかまだ痛いところはある? 」
手を開いて閉じて。立ち上がりつま先を軸に足を回す。本当にかすり傷などの怪我が治っている。
(魔法なんて物が存在するってことはここは日本どころか地球じゃないのか)
いつまでも黙ってるわけにはいかない。私は彼女らを見て、ただ聞かれたことにこたえることとした。
「大丈夫そう……です」
「ならよかった」
とても眩しい笑顔。背後でゆらりと揺れる尻尾もとても愛らしく。
「--っ!? 」
「どうしたの? 」
「い、いえ。なんだか急に寒気が…… 」
慌てて周りを確認しても、先ほどのような化け物の姿はなく。気のせいかと私は首を捻る。
「まあ、こんな危険なところに一秒でも長くガキを止めて置きたくねぇし。さっさとガキ連れてダンジョンから出るってのが定石だろうが…… 」
「ねえ。あなたはどこから来たの? 」
私を見下ろすようにアリューミアが今の思いを口にすると、それに続きミーリアは私を真っ直ぐに見据え、真剣な表情で問いかける。
「よくわからないんです……。気がついたら水の中で、狭いカプセルみたいな所に押し込められていて…… 」
「カプセル? 」
アリューミアは首を傾げ、私はそれに構う事なく緊張が逸れたからだろうか。日本などと言ってもわかってもらえそうにないのでそれは伏せて、一切警戒する事なくただ見たものを口にし説明する。
「そこから出た後は…… 扉の隙間から部屋を出て…… 」
ああ。情けない。柄にもない。体が小さくなったとはいえ大の大人が訳がわからず涙が溢れてくる。
「え?」
「怖かったね……。もう大丈夫だよ」
ミーリアに抱きしめられ、頭を撫でられたくらいからはもう止めようがなかった。まだ近くに怪物があるかもしれないとわかっていても、声を出し泣かずにはいられない。
ああ、本当に私は子供になってしまったのだろう。
「…… もう大丈夫か? 」
「はぃ……。ありがとうございました」
ひとしきり泣いて、前を見る。
「あの、そういえばさっきの獣はどうしたんですか?」
「ん?あー 」
忘れてたのかアリューミアは声を漏らすと、彼女は崩壊した壁を見やる。獣の死体があるであろう地点へゆっくりと赴き、立ち止まると何かを拾い上げるように体を折る。
「おー。ミーリア見てみろよ。思ったより大きい」
ニヤリと笑い、彼女は何か紫色に発光する宝石の原石に見える物をどこか自慢げに胸の前で掲げてみせる。
確かにそれは紫色に輝いてとても興味をそそられはするが、私が気にしていることはそれではない。獣の死体だ。こんな廃墟に人が頻繁に出入りするとは思えないが放置すれば感染症などの媒介となりえ、放ってはおけない。
「あの。ええっと。死体の処理はしなくていいんでしょうか? 」
「? 死体?」
言っている意味がわからないと首を傾げ、
「ほら、アリューミア。この子がさっき言っていたでしょ。気がついたらここに居たって。もしかしたらこの子……」
「…… ああ。なるほど知らないのか」
ミーリアの補足もあってようやく、納得いったと声を上げる。
「まあこういうのは聞くより見たほうがわかりやすいよな……。ほら、こっち来いよ…… そういえば名前聞いてなかったな。名前はわかるか?」
「え?あ、はい。稲田
「イナダ……ホムラ? イナダが名前?」
「いえ。ホムラが名前でイナダが苗字です」
「ほー、随分と変わった名前だな? それにホムラ?お前ってなんか妙に大人びてるな。なんかませガキって感じ」
ませガキとは失礼な。そうは思えど大人びていると言われるのは体が子供になってしまったいま、悪い気はしない。
そんな気持ちをそっと仕舞い。あまり死体などグロテスクなものは見たくはないが私は恐る恐るアリューミアに歩み寄った。
「ーーあれ? 」
心の準備のため、詰まっていた瞼を開くと、そこにあるべき死体は何処にも見当たらない。
「さっきの魔物は「ブラックウルフ」読んで字の如く黒い毛並みをした狼系大型の魔物」
背後でミーリアが近づく声と、言葉が聞こえる。
「魔物はね。人や魔獣。そういった生きている生物と違って死んだら体はほとんど残らないの。人しか襲わないし。まるで自然現象のように突然現れて、魔石とその魔物が象徴とする部分以外は何も残らない」
彼女は私の隣に立ち、アリューミアの持つ岩をチラリと見ると、膝を折ってしゃがみ地面に手を伸ばし、
「この魔物だと、いまアリューミアが持ってる魔石の原石と…… この爪かしらね」
ミーリアがつまみ、持った物は先が鋭く、漆黒に輝く大きな爪。
「お二人は何でそんなに物知りなんですか?」
彼女は立ち上がり、爪をポーチに仕舞い。アリューミアは頬をかき、
「…… こうも大人びたガキを相手にするってのも、なんか調子が狂うな……」
「まあこれくらいの事は親や学園で教わるのが普通でしょうけど。日常生活では使わない知識だし。敷いていえば私たちが「冒険者」だからかしらね」
「冒険者」
小説やゲーム。そういったファンタジーでしかお目にかかれない存在が、いま私の目の前にいる。
「場所によっては「トレジャーハンター」なぁーんて呼ばれているみたいだけどね」
ああ、これも体が子供になった影響なのだろうか。こちらを見下ろす二人の姿はどこか神々しくて、
「私たちは二人で「
かっこいいと思った。
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